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「あの、……っ、なまえさ、じゃなくて、えーっと、みょうじさん迎えに……黒尾です、さっき連絡いただいた」

オフィスに勢いよく飛び込んできたのは、先程まで電波を通じて話した男だった。かなり、背の高い男だ。日常に馴染まない長身。でもたぶん、若い。恋人?でもなまえさん、彼氏、ずっといないって言ってたよな。最近付き合ったのかな。いや、そんなことより。挙動不審な彼に駆け寄る。冬が終わりを迎え、春がやってきたような気はするが、まだやんわりとしか暖かくないこの頃だ。なのに、彼は額から大粒の汗を落としていた。息も上がっている。キョロキョロと何かを探すような様子だったので、軽く手を上げる。私と目が合って、ペコっと頭を下げた。

「あの、私、先程電話したものです。すみません急に……朝から顔色悪かったんですけど……こっちです」
「俺も今朝言ったんですよ。会社休めば?って」

俺も、今朝言った。
彼は呆れたように、心配そうに告げた。つまり、一緒に住んでいるということだろうか。同棲……ということだろうか。彼がなまえさんの弟説、も否めなくはないが、彼は「黒尾」だしなまえさんは「みょうじ」だから考えにくい。彼が婿に入った、ということがあり得なくはないから百パーセントありえない、ということはないが、顔も似ていないし、可能性としてはゼロに近いだろう。疑問ばかりが湧き上がる。この人、なまえさんの、なんなんだろう。普通に考えれば恋人だろうが、私よりも歳下な気もして、となると、なまえさんとは片手以上歳が違うだろう。イメージしにくかった。彼女はなんとなく、歳上の、落ち着いた男性がタイプだと、勝手に思っていたから。

「なまえさん」

彼は蹲っているなまえさんに近付いて、しゃがみ込んで、柔らかい声を出す。

「なまえさん、来たよ。遅くなってごめんね、送ってく」

指先で彼女の顔にかかった髪を撫でる。そんな二人を見て思った。あ、たぶん、なまえさん、随分前からこの人と付き合っているなぁって、なんとなく、思った。

***


「ごめん。この人に伝えて、迎えきてって」

なまえさんは綺麗で、おしゃれで、優しい先輩だった。私よりも四年、先輩だ。コーヒーはブラックだし、会社の飲み会ではきちんと量を摂取しているのに、酔いつぶれているところを見たことがない。品のいい人だ。あと、毎日いい匂いがする。そんな人だ。
同僚たちの前で上司に叱られて、羞恥心がぼろぼろになり、こっそりメソメソ泣いた日。私のデスクにやってきて「あげる」って、にっこり笑って高級なチョコレートを二粒くれた。ぽかんとして「なんで」とぼやくと「いらない?」って微笑む。「美味しいから、食べたらいいかと思って」と。私はなまえさんの優しさによってまたひとしきり泣いて、彼女を困らせたりもした。私がなかなか仕事を覚えられず、何度も同じことを尋ねて申し訳ないと謝罪をした時だってそうだ。「気にしないで、これ難しいよね」と言った後で「いつも私の様子見て、手が空いてる時に聞いてくれるけど、そんなに気遣わなくても大丈夫だからね。いつでも聞きに来て」とケラっと笑ってくれる。彼女に触れると、こんなにも親切な人がいるのかと、感銘を受けたりする。そんな人が真っ青な顔で出勤してきたので、私はすぐさま声を掛けた。しかし、なまえさんは平気だと、わかりきった答えを寄越した。ごめんね、ただの生理痛なの。薬も飲んだし、一時間くらいすれば楽になるから、と。だが、昼休みに入った途端、彼女は力なく立ち上がって、そのままフラフラっと倒れ込んだ。周りの社員が駆け寄って「大丈夫?」を繰り返す中、私を見つけると手招きして、スマートフォンを持たせて、言ったのだ。この人を呼んで、と。ディスプレイには「黒尾くん」の四文字が浮かび上がっていた。この人が誰なのか、それを知る前になまえさんは横になれる休憩室に運ばれて行ったし、私の手元の電子小型機器はどこかにいる「黒尾くん」と電波を繋げたらしい。どうしたらいいのだ。でも、大好きななまえさんからの頼みだ。私が彼女の役に立つことなんて今この瞬間以外、何ひとつなかったのだ。もしもし、と思い切って声を出してみる。一瞬、変な間があって、向こうも同じことを言った。語尾にたっぷり、クエスチョンマークが添えられていた。

「あの、突然すみません。私、なまえさんの……みょうじさんの職場の後輩なんですけど」
「はい、」
「いま、みょうじさん、倒れちゃって……」
「え?」
「朝から体調悪そうだったんですけど、あの、迎えに来てほしいってみょうじさんが、」
「倒れた、って」

伝えていいのかどうか一瞬迷ったが、なまえさんが彼を頼ったのだ。良いだろうと判断して、彼女との朝の会話を伝える。

「その、なんていうか……一応、朝聞いた時は生理痛だとは言っていたんですけど」
「っ、すぐ行きます。そちらに伺えばよろしいでしょうか、場所……多分二十分……十五分くらいで着きます。住所だけ教えてもらえますか。だいたいわかるんですけど……何階ですっけ?ちょっと待って、メモ……」

矢継ぎ早にやってくる質問に私が怯んでしまう。自分の言葉を確認しながら彼にひとつひとつ伝えて、通話を遮断する。どっと疲労に似た何かがやってきて、そしてその男はこうやって、宣言通り十五分ほどでやってきた。部屋に案内する。ノックをすると、力無い「はい」が返ってきた。

「……くろおくん」
「だから休めって言ったでしょ」
「ごめん。仕事、はじまったばっかりなのに」
「午後休んでいーって。タクシー待たせてるからこのまま帰ろう」
「……ごめん、」
「謝んなくていいけど、普通に心配だから無理しないで」

私の知っているなまえさんは凛としていて、すうっと真っ直ぐ、自分の力で立っていて、綺麗で勇ましい。いま、この男と話しているなまえさんは弱々しくて、小さくて、女の子みたいで、可愛かった。こんななまえさんがいることを、私は全く知らなかった。二人を見つめていると、彼女がチラリと視線を寄越す。

「ごめんね、電話。ありがとう」
「えっ、いや、そんな、とんでもないです。なまえさん、大丈夫ですか」
「うん、横になってたらちょっと良くなったよ。でもまた倒れると悪いし、今日は帰るね」
「ありがとうございました、呼んでもらって」
「とんでもないです、私は何も……なまえさんにはいつもお世話になっているので」
「あ、今更ですけど黒尾鉄ろ、」
「この人彼氏なの、黒尾くん」

私はさして驚かなかった。そんなこと、わかるからだ。この二人の空気感。随分前に知り合って、ずうっと付き合っているような、そんな雰囲気があるから。そして私なんかよりも、なまえさんの隣にいる彼が、たっぷり驚いていた。何に驚いているのかは、まだ、私にはわからなかった。

「いいの、言って」
「え、ダメだった?」
「……俺は何でもいいけど」
「他のみんなには内緒ね、従兄弟って言っておいて」
「いや、顔似てなさすぎるでしょ」
「従兄弟ってそんなもんでしょ。何びっくりしてるの?」
「……嫌だって言ってたから。人に知られるの」
「ふふ、何年前の話してるの?」
「根に持つタイプなもんで」
「嫌なわけじゃないよ。恥ずかしいの。でも呼んじゃった。いないんだもん。黒尾くんしか、頼れる人」

彼を見つめ、彼女はそう言った。じわっと、背の高い男の頬が赤くなる。

「あ、黒尾くんね、私よりも七個歳下で……この春から社会人なんだ」
「え、私よりも歳下なんですか?しっかりされてますね」
「だって、よかったね」
「大人ぶって生きてるんです、なまえさんに追いつくために」
「永遠に追いつかないよ、歳は」
「……歳とかそういうことじゃなくて、精神的なヤツですよ」
「ごめんね、なんか面倒臭くて彼氏いないって会社の人には言ってるんだけど」

お似合いですねって、私はポツリと溢していた。お二人、お似合いですって、いつの間にか。二人はポカンとして、じいっと顔を見合わせる。なまえさんが「だって。嬉しいね」って、ふわっと、笑う。それを見て私は、また同じ言葉を繰り返す。心の底から、思うのだ。なんて素敵な二人だろうと。狭い部屋に独特な空気が充満して、黒尾さんが「なんかスミマセン」と謝罪を寄越した。ほら、帰るよと彼女を促す。

「じゃあ、ごめんね。お先に失礼します」
「あ、はい。お大事になさってください」
「ありがとうございました、お邪魔しました」

なまえさんはゆっくりと立ち上がり、本当にありがとうと今一度私にお礼をくれて、オフィスから去った。背の高い彼はやや縮こまって、ずうっとペコペコ頭を下げていた。二人が去った後、あちこちで「誰だろうね」「来た時、クロオって言ってたよ」「じゃあきょうだいじゃないよね」「背、高くない?」「普通に彼氏でしょ」「歳下っぽいよね、意外」が聞こえる。普段は自ら、噂話に参戦したりしないのに、この時ばかりは違った。いちいち首を突っ込んで「従兄弟なんですって。仲良いですよねえ」をたっぷりの笑顔と共に、言いふらした。でもこれは全く、意味のないことだった。しばらくすると「みょうじさん」は「黒尾さん」になったから、私の嘘なんて全く、何の意味もなかったのだ。

2022/04/13