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「どうする?この後」

黒尾くん、演技上手いなぁ、多少、酔っ払ってるくせに。
三度目のデート。歳下の男を横目に、私はそんなことを思った。四月の夜、少し前に日付が変わった。街はまだそれなりに賑やかで、でも昼間の喧騒はなくて、春の呑気な気温が火照った頬を包む。そんなとても良い夜、私は好きな人の隣にいる。これ以上ないほど、良い夜だ。

「……どうする、って」

年度はじめの職場の喧騒を蹴り倒した。こちらも瀕死状態ではあるが、倒れるわけにはいかない。彼が待つ居酒屋へ向かわなければ。普段よりも更にせかせかと足を動かす。それでも、想像していたよりも少し遅れてオフィスを後にしたので、もちろん待ち合わせ時間よりも少し遅れて到着した。店の前で、ふうっと深呼吸。髪、乱れてないだろうか。手櫛でささっと整える。会社を出る前にぐりぐりっと塗った淡いカラーの口紅の上から、唇の中央にだけグロスを足す。ふっくら見えて可愛い気がするのだ。そうした後で、平然を装って、ドキドキしてませんよって顔を作って店内へ。いらっしゃいませと元気な声が響いた。一名様でしょうか?に「すみません、待ち合わせで、黒尾で予約してると思うんですけど」と告げる。そうすると出来の良い店員はにこりと笑って奥の席でお待ちですよと案内をしてくれた。個室、入るとすぐに「お疲れ」って、先に勝手に始めている彼が片手を上げた。好きだと思った。思ったの、初めてじゃないけど。ていうか、初めて会った時からわりとずっと、好きだけど。
そうやって好きを募らせながらすっかり楽しんで、その後、最近開拓中のバーへ。いい雰囲気とほどほどのアルコールに酔っ払ってはいる。ふわふわと浮かれた気分。でも、手首に巻き付いた時計で時間を把握できないほど酔っ払ってはいない。スマートフォンの左上に表示されている四桁の数字が理解できないわけもない。もう三年住んだ部屋だ。仕事終わり、黒尾くんと合流して食事をするのは大抵、この辺。終電の時間なんて当然、把握してる。私の方が三十分、早い。たった今、その時間を過ぎた。黒尾くんの終電の時間まではあと、多分二十分くらい。駅までゆっくり歩いても、じゅうぶん、何の問題もなく、間に合う。そんなことくらい、私も、もちろん、私よりもずっと賢い黒尾くんも知っている。

「なんで知らないフリするの?」
「はい?」
「いつも終電だよって教えてくれるじゃん」

私の熱烈な視線に気付かないのだろうか、この人。横顔も、綺麗で私よりもずっと大きな手も、ずっとずっと、見つめているのに。

「……スミマセンね、楽しくてすっかり忘れてましたよ」
「見てたのに?」
「なにが?」

この辺で自白すると思っていたが、しらを切るつもりらしいので、私は言葉を足した。彼が、逃げられないように。言い訳の言葉を選べなくなるように。言っておくが、まったく、これっぽっちも怒っていない。怒ってはいないが、いじけていた。今日、この後の予定に関して、私も彼は同じ思考回路だと思っていたのだ。なのに、私ばかり「そんなつもり」だったみたいで、恥ずかしかったのかもしれない。

「時計、ちゃんと見てたよね?」
「見てたらお伝えしますよ、時間ですよって」
「見てたじゃん、黒尾くん」
「え?なに?俺のせい?」
「そうじゃなくて」
「そうじゃないの?」
「……わたしは、私は見てたよ、時計」
「じゃあ、」
「自分の終電の時間くらいわかるよ、わかるに決まってるじゃん。この時間には出なきゃいけないって、わかっててこうなってるんだよ。なのに、これからどうするって聞かれても、」

そう続けると、黒尾くんはショートしたかのように、何も言わなかった。だから思った。あ、まずい?言い過ぎた?重い?私。攻め過ぎ?でもだってさ、デート三回目だよ。しかも、この間、手、繋いだじゃん。繋いだというか、私が勝手に結んだんだけど。いや、でも、だって、興味のない女と食事、行きます?ナシならナシで、それなりの対応してよ。期待しちゃうから。それに、黒尾くん、仕事忙しいって言ってたよね?そんな時にどうでもいい女と会います?どうでもいい会話で日々メッセージのやり取りしたりします?私はどうでもいい人の為に仕事終わりに時間作ったりしないよ。LINEの返信だってしない。それになにより、今日、金曜の夜ですよ?いやもう土曜ですけれども。何度も言うけど、デート、三回目だよ?普通に、思うじゃん。
そういうことするって、思うじゃん。

「……違うの?私、今日、黒尾くんのお部屋行けると思ったのに」

沈黙があまりにも気まずくて、私は何かで埋めなければと焦ったのだろう。特に包まずに、発言をした。彼の表情を窺う。言葉に反応したのか、それとも刺さる視線にハッとしたのかはわからないが、彼がこちらを見て、不可解だと、そう言いたげな様子で。

「……俺のお部屋、来るつもりだったの」

彼が私の発言をリピートする。下心丸出しの自分の存在がはしたなく思えて、急にかあっと、恥ずかしくなる。

「え……うん、いや、その……ごめんなさい」
「いや、そうじゃなくて」
「……帰るね」
「え?」
「きょうは、帰る。ここでだいじょうぶだから、また連絡して?」

タクシーを探すが、見当たらない。もう一本向こうの通りなら見つかるだろう。夜の闇にすうっと消えて、溶けてしまいたかった。

「え、いや、なっ……いやいやいや、ちょっと待って、まじ、違うから」

なのに、焦った様子の黒尾くんは、私の手首をぎゅっと掴む。「待って」を繰り返す。私が溶けるのを、阻む。

「わざとです」
「え?」
「わざとですごめんなさい、なまえさんの言う通り、時計めちゃくちゃ見てました。早く終電の時間過ぎないかなぁって、めっちゃ見てました。いつもの八倍は見てたと思う。ごめん、まじで」

黒尾くんは恥ずかしそうに、申し訳なさそうに口早に。もうそれ以上何も言わなくていいのに、更に付け足した。

「……なんなら昨日、今日のことを考えて部屋の掃除もした。なまえさん来るかなって期待して。仕事、残業続いてちょう疲れてんのに。この間の休み、髪切りに行ったし、その帰りになんかいい匂いのディフューザー?も買った」

そうやってとても可愛い白状をすると、へにゃへにゃ、しゃがみ込んでしまう。今度は私が言葉を選べなくなってしまう。なんて愛おしいんだろう、この子。そんなの、なんにも恥ずかしくないのに。

「黒尾くん」
「はい」
「いい?お部屋、お邪魔して」
「はい、そのつもりだったので」
「だいじょうぶだよ」
「……なにが。だいじょうぶじゃないでしょ、こんなダサい男」
「全然。私もね、下着、新しいの付けてきたよ。黒尾くんに見せても大丈夫そうなやつ」
「はい?」
「したぎ、」
「いや、二回も言わなくていいです。聞こえてるんで」

彼が「何言ってんだこの人」を滲ませてこちらを見上げる。私、まだ一個しか言ってないのに。私だって、この間の休みに美容院に行っていつもよりもグレードの高いトリートメントをした。昨晩はいつもよりも念入りにボディークリームを塗って、剥げていたネイルを塗り直し、職場を出る前にお気に入りの香水を纏った。ぜんぶ、黒尾くんのためだ。黒尾くんとそうなった時に、恥ずかしくないために。ちょっとでも、一ミリでも、可愛いって、好きだって思ってほしいから。

「ほら、行こう。終電、間に合わなくなっちゃうよ」

手のひらを差し出す。彼がのろのろ、手を伸ばす。繋がる。じわっと、体温が伝わる。欲しかった熱に、身体がうきうき、高揚している。

「あの」
「ん?」
「好きです、なまえさんのこと」
「うん、私も好きだよ。知ってると思うけど」
「……はぁ?」
「え?」
「いつから?」
「いつ、って……結構前、初めて会った時からいいなぁって思ってたよ」
「まじで?」
「まじで」
「顔、出なさすぎでしょ。ポーカーフェイスにも程があるわ。意味わかんないんだけど」
「そう?私、好きじゃない人とご飯行ったりしないよ。どうでもいいこととかでLINEしたりもしないし」
「……知らないんだよね、そういうの。つーか、知ってたらこんな面倒なことしてないし」

あーあ、だっせえ。かっこ悪。
そう項垂れた彼と駅を目指して歩く。格好いいよ、好きだし、と溢す。黒尾くんはハッと私を見て、何か言いたげに
唇を動かしたが、何も言わなかった。その代わりに、触れ合っていただけの指がじゅっぽん、絡んで、ぎゅっと握ってくれて、嬉しかった。駅までの微睡んだ道のり。時折、横顔を見上げる。頬が、耳が、ぼんやりと染まって、とても綺麗で、見惚れて、彼に「見過ぎ」と叱られるのだ。

2022/01/30