短編小説 | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
綺麗だったなぁ、幸せそうだったなぁ。
マンションのエレベーターの中で思う。右手に持った引き出物の中身は定かではないが、信じられないくらいに重い。ワインでも入っているのだろうか。そんなもの貰ったって、困る。一人で寂しく飲むしかないから。このドアを開ければ恋人がいるはずだが、どうせ眠っている。平日は私より早く仕事に行って、私よりも遅く帰ってくる。くたくたに、使い古されたペラペラのTシャツみたいになって帰ってくる。そんな彼に私は「おかえり、お疲れ様」しか言えない。休みの日になれば多少時間があるように思えるが、彼のスマートフォンはしょっちゅう震える。話している時でも、スーパーに買い物に行った時も、なんかそんな空気の時も、しょっちゅう。彼が悪いわけではないのに、ごめんねって顔になって、その後ですぐに仕事モードの京治くんがスッと顔を出して、あーあって思ったりする。そんな彼を見ていると「遊びに行こう」とか「この映画を一緒に見よう」なんて言えなくて、私はなるべく静かに、過ごす。いい子のふりをして、泣き出したり、喚いたり、不平不満を述べたりせず、我慢している。

「おかえり」
「…………ただいま」
「なんですか、その間」
「起きてたの」
「もう十五時ですよ」
「でも、」
「山場、超えたんで」

ガチャリと、なるべく静かに鍵を開けた。七センチのヒールから解放されて、最高の気分だ。友人の結婚式に参列するね。午前の式だから、昼過ぎ……夕方には戻れると思う。そう連絡を入れておいた。昨日、彼は私が眠る前に帰ってこなかったから、書き置きのメモのようなものだ。まぁ、しょっちゅうこんな感じなので、それはまったく、問題ないのだけれど。

「……何してるの」
「なまえさんが帰ってくるのを待ってました」
「なんで」
「なんでって……普通でしょう?恋人が帰ってくるの、待ってるのって」
「寝てていいのに」
「寝ましたよ、かなり、じゅうぶん」

俺、なまえさんが出迎えてくれると、嬉しいので。起きてる時間に帰ってこようって、頑張れるので。
そう言い、突っ立っている私から大きな紙袋を奪う。「重っ、なんですかこれ」と声を出す。まじまじ、私を見る。三秒後、刺さる視線に耐えられなくて、問う。なあに、と。

「綺麗ですね」

彼が正面に立って、ふうっと、私の頬を手のひらで包む。こっちを見ろとでも言いたいのか、そのまま固定され、私は瞳だけをきょろきょろを泳がせた。可愛い色のニットはざくざくと編まれたもので、彼によく似合っていた。眼鏡、仕事用じゃないやつ。鼈甲の、一緒に選んだやつ。たくさん眠った、という主張は事実なのか、いつもの疲労感はあまり、感じなかった。久しぶりに視線を合わせた気がする。ちゃんと、ドキドキする。

「……きれい?」
「なまえさん、綺麗です。それ、迷ってるって言ってたワンピースですよね」
「……うん」
「似合います、可愛い」
「…………ありがとう」

そうだっけ?と、私がいっしゅん、考え込んでしまった。彼の言葉で記憶が掘り起こされる。聞いたなぁ、京治くんに。お友だちが結婚式に招待してくれたんだけど、新しいワンピース買おうか迷ってるの。こっちのふわっとしたのか、こっちのストンとしたやつ、どっちがいいかな?そもそも新調した方がいいかな?色もラベンダーとミントグリーンが可愛いけど、ネイビーの方が無難だよね。そんな、きっと、疲労困憊の彼にとってはどうでもいいことを一通り相談して、京治くんは「はぁ」って訳がわからなそうな相槌を打ちながらも答えの出ない不毛な話し合いに参加してくれたっけ。しかもちゃんと「これがいいと思いますよ、色はこれ、この間買った靴にも合うんじゃないですか」みたいな、的確な答えをくれたっけ。
ま、結局、彼からそう言われても私は暫く勝手に悩んだ。彼の意見が知りたいというよりは、自分の頭の中のごちゃごちゃっとしたものを、誰かにぶちまけたかっただけなのだから。

「疲れてます?」

彼の手は今朝美容師によってちゅるりと巻かれた後毛を弄ったり、パールの耳飾りと首筋を撫でたりと寄り道をするが、お気に入りのチークを塗った頬を包むのはやめない。だからずうっと、彼に見つめられて、私もなんとなく見つめてしまって、勝手に恥ずかしくなってる。逸らせばいいのかもしれないが「逸らすな」と言われているような気分なのだ。それに、私が逸らしたくないだけかもしれない。大好きな彼を、瞳に焼きつけたいのかもしれない。

「え、うん、まぁ、ふつうに……ヒール、久々に履いたから」
「着替えたい?」
「……なんで、」
「可愛いから、もうちょっと見てたくて」

あ、誤解を招きそうなので言葉を足しますが普段も可愛いですよ。今日が特別可愛いだけで、いつも可愛いんですけど。
そうやって理解に苦しむ言葉も矢継ぎ早に届いて、私はますます混乱した。

「このまま俺だけが眺めてるのもいいんですけど、外に出てちょっと自慢したくなって」
「……どういうこと」

だいたい、わかる。言いたいことは。私も京治くんが可愛い格好をしていると、彼の許可なく勝手に写真におさめてしまう。インスタグラムのストーリーに載せたくなってしまう。肌寒いのに、カフェのテラス席に掛けたくなってしまう。彼をチラッと見る女の子がいたりすると、なんかこう、優越感みたいなものを覚えてしまう。
いいでしょう?私の彼氏。格好いいし、おしゃれだし、背も高いの。おまけになんか、ちょっと面白いんだよって、ぜんぶ大きな声で自慢したくなったりする。だから、彼の言いたいことはわかるのに、聞く。言葉を欲するなんて、強欲だろうか。でも、録音するわけじゃないし、自分の耳に、鼓膜にすりこむだけだから、許して。

「結婚式参列するって聞いて、綺麗ななまえさんが見れるから楽しみにしてたんです。あ、何度も言いますが」
「いいって、わかったら」
「……なまえさん?」
「はやく、言って?」

なんで、泣いてしまいそうなんだろう。なんとなく、思ったからだろうか。今日、純白のドレスを纏う幸福そうな友人を見て、あまりにもまばゆくて「あぁ、自分はこうはなれないもしれない」と、なんとなく思った。そこに畳み掛けるように、なまえは?結婚まだなの?彼氏と結構長くない?あぁ、でも歳下だもんね、まだ遊んでたいのかもねえなんて言葉が飛んできて、驚いたのだ。多分向こうからしたら何気ない台詞だ。悪意なんてなくて、それでも京治くんの草臥れた顔と眠る顔以外の記憶がぼんやりしてきた私にとっては、大ダメージだった。それで勝手に不安になって、でもちゃんと、この部屋にいる京治くんは京治くんだったから、ほっとしたのかもしれない。安心したのだ。

「こんなに綺麗な人が俺の恋人なんだって……誰でもいいので、とにかく、自慢したくなりました。羨ましいだろって。性格悪いですかね」
「悪いよ」
「……なまえさんにはわからないでしょうね、この感覚」

京治くんは優しいから、声が震えている私のことなど、知らんぷりだ。ほおっておいてくれる。どうしたの?なんで泣いてるの?なんて聞いてこない。情緒不安定な、こんなどうしようもない女にも優しい。フッと、いつもみたいに笑って、ダメですかって、また問う。

「しません?デート」

私が返事を渋っていると、思い出したかのように尻のポケットに仕舞われていたスマートフォンを取り出し、弄る。前、東口にいい感じのイタリアン出来たって言ってましたよね?ここ?あ、一時間後空いてる。電話かけて席確保していいですかって、口早に。

「ねえなまえさん、ダメですか」
「……だめ」

耐えきれなくなって、京治くんにぎゅうぎゅうしがみつく。その店、オープンしてから半年経つよ。なんで覚えてるの、半年前のそんな、どうでもいい会話。ワンピースの件といい、イタリアン・レストランの件といい、取るに足らないくだらない会話を覚えているの?大切にされているみたいで嬉しいから、擽ったいから、やめてよ。彼の手からスマートフォンを奪って、ソファに投げる。玄関からヒール、持ってきたい。届かないのだ、彼の唇に。キスがしたいと思っても、全然、届かない。だから言うしかない。強請るしかないのだ。

「……ピザ、食べよ」
「ピザ?」
「デリバリー、頼も。なんでもいい、食べられれば、なんでも。あ、引き出物重いから中身ワインかも。飲む?とにかく、二人で居たい。部屋で、京治くんと二人で居たい。あとごめん、キスしたい。ぎゅってしてほしい」

あと、ほんとごめん。エッチもしたい。
そんなことを口走って、それを聞いた京治くんはびっくりしていた。そんな彼のリアクションを見て、ハッと我に返った私は急に恥ずかしくなって、逃げたくなって、目など合わせていられるはずもなく、彼の胸に顔を埋めるが、京治くんは逃してくれなかった。また、私の頬は彼の手のひらに捕まる。何度かふわっと唇を重ねて、ぎゅっと抱きしめられて、また二つの手のひらに包まれて。

「で、あと、なにして欲しいんですっけ?」

京治くんが意地の悪い顔で問う。そして思う。美しいウエディングドレスを纏った彼女はさぞ幸せだろうが、私もかなり、じゅうぶん、幸せだなと、思う。

2022/01/20