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狭苦しいワンルーム。ベッドと机、ローテーブルと二人がけのソファ。以前から聞いていた通り、小さいテレビ。黒尾くんの部屋はものすごく黒尾くんぽくて、彼がこの部屋で生活していることがありありとわかって、生々しくて、ドキドキして、嫌だった。

「綺麗だね、部屋」
「一昨日掃除したんで。なまえさん、ラッキーでしたね」

胡散臭く彼は笑った。元々綺麗にしてあるくせに。アルバイトの中で制服のシャツをパリッとさせてるの、貴方くらいだからわかるんだよ、私。

「適当に座ってください。コーヒーでいいですか?まぁ先ほどもお伝えした通りコーヒーしかないんですけど」
「ごめんね、家主に働かせて」
「そんなこと言わないでくださいよ。部屋に誰かくるの、初めてだから浮き足立ってるんです。見守ってやってください」

新しい嬉しい情報が追加されたが、それは嘘か真かわからなかったし、真実を探求する気にもならなかった。コンパクトなキッチン。彼は湯を沸かす。チグハグなマグカップが用意されている。

「なんか手伝う?」
「大丈夫です、座っててください」

彼がそう言うのでソファに着席したが、そうすると冷静になってしまって、急にこっぱずかしくなる。歳下の学生の男の子の部屋に勢いで乗り込んでしまった。しかも夜、こんな時間に。そもそもの話だが黒尾くん、こういうノリで生きてる女、苦手そうなんだよな。いや、私だって普段はこんなことしないんですよ。黒尾くんだからだよと言い訳を述べたかったが、それってつまりそういうことなので、口を動かすことはしなかった。ただただドキドキしながら、彼がマグカップを持ってくるのを大人しく待った。

***


「え?あの映画もうDVDになってたの?しかも準新作?嘘でしょ?」

週末、バタバタした店が少々落ち着いた頃、黒尾くんは私に言う。なまえさん、あの映画見たいって言ってませんでしたっけ、もうレンタル始まってるみたいですよ。
私の勤め先で、黒尾くんはアルバイトとして勤務していた。週に二、三回やってくる。他にも幾つか掛け持ちしているようで、会う頻度は他のバイトの子よりも少なかったが、彼はよく仕事ができたし、何より気が利いた。周りをよく見ている。大学三年にしては大人びていて、平均よりずっと高い身長も相まって、学生には見えなかった。

「準新作でしたよ、確か。駅前の店舗で見たんですけど」
「やったぁ、今日帰り借りよう」
「面白そうですよね、あれ。話題になってましたもんね」
「見る?」
「え?」
「一緒に」
「俺とですか」
「黒尾くんの部屋でいい?」
「……そこは俺の部屋なんですね」
「だって近いよね?駅の裏でしょ?」
「まぁそうですけど……」

流石に気まずいだろうか。私たちは決して仲が悪いわけではないが、特別親しいわけじゃない。社内の、大人数での飲み会を数度共にしたことはある。私と、私の同期と、彼を含めたアルバイトの子たち数人と焼き鳥を食べに行ったこともある。そういう時に、偶然席が隣で、他愛無い話をしたこともある。その程度の、近くも遠くもない距離感だ。あ、でも連絡先は知らないなぁ。だからやっぱり、急に二人で、彼の部屋で、映画を一緒に見るなんてのは、些かハードルが高いのかもしれない。こんなに気軽に声を掛ける仲ではないのかもしれない。それでも、発言を撤回することなどできず……いや、「嘘ウソ、冗談だって」とけらけら笑うことができないわけではなかったが、私は多分、なりたかったのだ。二人きりに。絶妙でどうしようもない距離を、ググッと、狭めたかったのだ。

「いいんですか?」

一人で映画見るの好きだって言ってたじゃないですか、俺と一緒でいいんですか?仕事終わりにいいんですか?真っ直ぐ帰りたいんじゃないですか?付き合ってもいない男の部屋上がっていいんですか?二人っきり、気まずくないですか?いいんですか?
いいんですか?の六文字の意味はどれに当てはまるのだろうか。わかるようなわからないような。黒尾くんはいいの?我ながらずるい問いで誤魔化す。

「俺はいいんですけど、」

快く快諾されたが、彼がいったい何を「いい」と思ったかは知らない。私は黒尾くんがいいなら。彼が「いい」と言ったなら、まぁ、いいんだ、きっと。

仕事をパパッと片付けて、冬が近付いてきた街を肩を並べて歩く。更衣室でお気に入りのボディミストを振りかけた私は、我ながら可愛い女だった。彼の言う通り、駅前のレンタルショップにお目当てのそれはたくさん並んでいた。DVDを借りて、彼の家の近くのコンビニでポテトチップスとチョコレート。何か飲み物も買おうとしたら「コーヒーならありますよ」って彼。そう?ありがとうってお言葉に甘え、お邪魔するからと私が代金を支払い、この、狭い部屋。お察しかと思うが、私はアルバイトの、学生の、歳下の彼をほんのり「いいなぁ」と思っていた。ただ、パリッとしたシャツは彼の、歳下の小動物みたいな可愛い恋人の仕業だと思っていたから、なるべく気にしないようにしていた。なのに、先日、聞いたから。アルバイトの子たちで話しているのを、ひっそりこっそり。「彼女?いたら土日全部、朝から晩までバイト入れたりしねえよ」って、自嘲するように笑っていた。だから、あ、じゃあまぁ、いっかって。

「彼女いないって本当?」

映画は思ったよりもつまらなくて、…いや、多分、隣に座る彼がまぁまぁ近くて、それはソファが小ぶりだから当たり前のことで、でも緊張して、目の前の綺麗な映像と画面の下に表示される字幕を上手く追うことができなくて。

「……え?なんですか?」
「黒尾くん、彼女」

彼がどの程度この話題作に集中しているのかわからないから、前を、画面を見たまま話す。真剣に見ていたらごめんね。面白いと物語に入り浸って、引き込まれていたらごめん。自分が見たいと言い出したくせに、貴方の映画鑑賞の邪魔をして、ごめんね。

「誰から聞いたんですか」
「風の噂」
「……風の噂、ねぇ」
「いないって本当?」
「いると思います?逆に」
「いると思ってたよ」
「なんで?」
「なんでって…モテそうだから」
「どの辺が?」
「……雰囲気?」
「え?俺、雰囲気、モテそうですか」
「うん、かなり」
「じゃあなまえさんはどうですか、俺」
「え?」
「なまえさんは彼氏にしたいと思います?こんな歳下の、アルバイト掛け持ちしてる大学生の男」
「……それは私から見た黒尾くんのステータスであって、…あ、ほら。大学の後輩とか」
「なまえさん」

私の言葉を遮って、黒尾くんはそう言った。ついでに、私の顔を覗き込んでくる。画面とピントが合わなくなるが、随分前からこのストーリーを理解できていないので、特に問題はなかった。

「俺はね、大学の後輩でも同世代のバイト仲間でもなくて、なまえさんに好きになってもらいたいんですよ」

きょとん、彼を見つめる。そんな都合の良い展開があっていいのだろうか。にぃ、と笑った彼は言葉を続ける。黒尾くんも映画、つまらなかったのかな。ごめんね、私、映画選ぶセンスなくて。

「はぁ?歳下の男とか、まして学生とかありえないんですけどぉ、って思ったらね」

ダメだよ、部屋上がったりしたら。
黒尾くんはそう言って、私の唇を奪おうとする。奪われたかった私は、彼の首に喜んで、手を回す。触れ合う寸前、いいの?って彼が言う。今度の「いいの?」は「キスしてもいいの?」だとわかったので、いいよと答える。でも、彼は口付けてこない。準備万端の私は不服だった。

「…しないの?」
「いや、する……したいんですけど」

じいっと彼の顔を見つめる。気まずそうに彼は目を泳がせて「こんなこと聞いて申し訳ないんですけど」を滲ませながら声を出した。

「なまえさん、俺のこと好きなんですか?大丈夫なんですか、俺で」
「だめなの?」
「いやダメとかじゃないんですけど……つーか、彼氏いないんですか?」
「彼氏いるのに男の人の部屋ノコノコ上がり込むと思う?」
「そういうタイプじゃないといいな、とは思いますけど、お綺麗なので」
「そういうタイプじゃないよ。付き合ってない男の人の部屋、初めて入ったし。あ、ねえ、映画見てた?ごめん、話しかけて」
「いや全然、なまえさんのことばっかり考えてて、ほとんど理解できてなかったんで」
「…え?なに?」
「いや…なんつーか……なんでこんな急に、こんなことになってんのかなって。訳わかんないじゃないですか、なんか、自分の部屋に憧れのお姉さんいるし、近えし、いい匂いするし」

彼も同じで、安心した。安心して、愛おしくて、ねえ黒尾くんキスして欲しいなぁって可愛こぶって言えば、彼はゆっくり、重ねてくれる。ボディミスト振りかけたついでに、色付きのリップクリームを塗り直しておいて、ほんと、よかった。

2020/11/17 happy birthday