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「お姉さん隣いい?」

愉快そうに話しかけてくる男。相変わらず背の高い男。数年ぶりに会った高校の同級生。この男は私がずうっと好きだった男で、ずうっと結ばれなかった男だ。十八のか弱い私に、告白するという選択肢がなかったから。告白していたらどうこうなっていたのか?と問われれば、残念ながらスムーズに頷くことはできないからそんなことは聞かないでほしい。

「遅れてくると居場所ないのね、合コンって」
「私は遅れてきてないけど居場所ないよ」
「えぇ、そんな、コメントに困る発言しないでくださいよ」
「事実だもん」
「俺としては有り難いけどね、お話しする相手がいて」

当時、黒尾はそこそこ人気があって、なのに恋人はいなかった。全校集会で遠くから彼を見ている後輩の女の子は沢山いた。バレンタインにはたっぷりチョコレートを貰っていた。卒業式では彼の学ランのボタンは全てなくなっていた。なのに、彼女がいなかった。とても不思議だった。
私は彼と何故だかそこそこ親しくさせていただいていたので(三年間クラスが一緒だったせいだと思う、多分。クラス替えの主導権を握る教師に感謝せねばならない)身体中の勇気を掻き集め、聞いたことがある。なんで彼女作らないのって。彼はちょっとだけ考えて、答えた。なんでだろうねって。なんでだろうねって、なにソレ。そう思ったものの、私の勇気はもう残っておらず、それ以上何も聞けなかった。何度も言うが、十代の私はちゃんとウブで、いちいち緊張したりドキドキしたりして、可愛かったから。じゃあいまこの瞬間彼に恋人の有無を聞けるの?と問われると、これもまた、すんなり応えることができないのだが。
で、いま。彼は私の隣に腰を下ろす。手にはビールジョッキ。残量は四分の一くらいだ。一応、次の飲み物を頼んでやろうかと「同じのでいい?」と問う。

「え?」
「飲み物。ビール?」
「えぇ、いや、そんな、気遣わなくても。お姉さん、すみません」

黒尾は女性店員を呼び止める。注文いいですか、の後に言った。なまえは?何飲んでんの?と。名を呼ばれて心臓を弾ませている私にどうか気付かないで、と願った。素っ気なく「まだ大丈夫」と答えてしまう。可愛くない女でごめん、と心の中で謝罪。今日は可愛こぶる準備してないの。黒尾が来るなら、教えて欲しかったよ。休日、街をぶらぶらしている時、会社で仲良くしてもらっている上司から連絡。急で悪いけど一時間後の合コン来れない?数合わせ!と、端的なメッセージ。断れなくもなかったが、先日面倒な書類の処理を手伝ってもらったことを思い出し、イエスの返事を送る。夕食を作るのも億劫だったし、まぁいいのだ。駅前のイタリアン・ダイニング。お気に入りの派手なアイシャドウをガッツリ塗っていたせいか、私にまとわりつく男はいなかった。すみませんね、合コンだって聞いてたらこんなに彩度の高い紫も、鮮やかなオレンジも、ギラギラと瞼で輝くラメも、眠らせておいたんですけど。だいたい、強そうな女が苦手な男が苦手なので、こちらとしては願ったりかなったりですが。

「久しぶりなのにつれないねえ」

この遅れてきた男を除いては、の話だが。黒尾はたっぷり塗られたアイシャドウに怯みやしない。この数年の間に色彩を捉える感覚が壊死しているのかもしれないと、心配になった。洋服だって、背中の空いた淡いカラーのワンピースを着ている訳じゃない。無地のシンプルな白いTシャツにストレートのデニム、厚底のサンダル。女っけのない格好。ハイヒールでも履いていればまだよかったのかもしれないが、残念ながら休日の私にそんな元気はない。

「こんなに急に会いたくなかったの」
「なんでよ」
「なんでって、」

本音を溢してしまった。近年の夏の狂った暑さのせいか、私の脳は再び本音を溢そうとする。「好きな人だからでしょう」と、そんな言葉が頭に浮かんで、慌てて消した。我ながら笑えてくる。何を考えているんだ、今更。まだ、好きなのか。何人かと適当に付き合って普通に「好き」という感情を抱いていたけれど、いまこの瞬間、黒尾を見て思う。あれは好きではなかったんだと。好きみたいなものだったんだと。

「可愛くなったね、なんか」
「は?」
「いや、怒るところじゃないんですけど」

黒尾が唐突にお褒めの言葉を寄越すもんだから、私は怒りが滲んだ声を出した。びっくりしただけ、と見え透いた言い訳をする。

「何にびっくりしたの」
「…何にって、」
「可愛いなんて言われ慣れてるでしょ、なまえちゃんは」
「…可愛いなんて言われたことない」
「言われたことない、は言い過ぎでしょ。俺でも言われたことあるよ、クロオカワイーって。これに関しては完全に馬鹿にしてるだけだと思うけど」
「ここ数年、言われた覚えない」
「覚えてないだけでは?」
「違う、言われてない。褒められたことはだいたい覚えてるから」

可愛いと言われただけであたふたしている自分が間抜けだった。本当に可愛い子なら「ふふ、ありがとう」って可愛くニッコリ笑うのだ。知ってますけどそんなこと、と言わんばかりに、余裕たっぷりに。

「昔っから可愛いけどね、なまえ」
「…なに、どういうこと」
「言葉のまんまの意味よ」
「…他の人の方が可愛いでしょ、私なんか、」
「そ?可愛いわよ、アナタ」

いい緑だね、旨そうと言いながら黒尾は枝豆を口に運ぶ。彼の見ている世界がモノクロでないようなので安心して、同時に心臓が喧しく動き出す。

「ねぇ」
「…なに」
「そんな警戒しなくても」
「戸惑ってるの」 
「何に」
「…黒尾からの、可愛い、に…?」
「なにそれ、可愛いじゃん」
「揶揄ってる?」
「いや、事実述べてるだけよ」
「お待たせいたしました、生ビールお持ちしました」
「あぁすみません、ありがとうございます」

黒尾は運ばれてきたビールジョッキを受け取る。三文の一くらいを、そのまま胃に流し込む。

「なまえさ、いま彼氏いんの?」

私があの頃聞けなかったことをこの男はすんなり聞いてきやがる。負けてたまるか、と。私もあの頃以来に身体中の勇気を掻き集めて言う。

「藪から棒に、申し訳ないね」
「…黒尾は、彼女」
「いないから合コン来てんのよ」

で、どうなの?きょろり、目が合う。いません、と何故だか敬語で答えてしまう。

「あ、そうなの」
「…黒尾、なんで彼女作らないの」

年齢を重ねたせいか、勇気の所持量が増えていたようだ。二つ目の質問をする余裕が、いまの私にはあった。

「…高二、いや高一の終わりくらいから、ずっと好きな女の子がいまして」

周りはガヤガヤ、好き勝手楽しそうにやってる。だからいいよね、私たちも勝手に、ちょっとくらい、楽しくやったって。

「ま、俺がなんもできなかったからどうにもならなかったんだけど……大学進学して、なんかまぁ、興味本位で付き合ってみるじゃん。でもなんか、こう…上手くいかないというか、で、今はそこそこ仕事忙しいってのを言い訳にしてたんですけど」

チラリと私を見る。淀みなく流れていた「俺が彼女を作らない理由」が止まる。続きが欲しい私は続きを聞かせろと言いたげな顔をしていたのだろう。彼は意地悪く笑って、しばらく黙った。私はずうっと、ドキドキしていた。

「なまえ、今度飯行かない?ふたりで」
「え?」
「ダメ?」
「…ダメじゃない、です」
「時折敬語になるのウケるね。いつがいい?週末?」

黒尾がそれ以上思い出話をすることはなかった。携帯が故障してしまった時に消えてしまった彼の連絡先が、数年ぶりに戻ってくる。浮かれた私はどうでもいいこととか連絡していい?と聞いてみる。黒尾はいっしゅん、驚いたような顔をした後、すぐにいつもの余裕綽々の表情を作ってお好きにどうぞ、とほくそ笑む。

2020/08/17 title by 草臥れた愛で良ければ