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別れたくないけど別れるしかないじゃん。
震わせて、そう言った。肩も、声も、指先も。大人気なくて、余裕もなくて、必死になる。そんな姿を恋人の前で晒すのはみっともないと、自分でよくわかっていた。意味のわからない意見を主張していることにも気付いている。お門違いなのもわかる。でも事実だから。離れたくないから。

「徹が勝手に、行っちゃうんじゃん」

「勝手に」と言ったが、これは間違いで、実際は勝手ではない。付き合ってから暫くして「恋人」の肩書きが馴染んできた頃から、何度も私に相談していた。この人の元でバレーボールがしたいと、心に決めている。その機会があったら絶対に逃したくない。いつそうなってもいいように、毎日しっかり準備したい。そう話す彼は普段見れないような真剣な表情で、なにより楽しそうだった。でも私は「そっか、がんばってね」なんて言いつつ、深く考えてこなかった。徹の話したそれらを絵空事だと捉えるお気楽でどうしようもない女だからだろう。その場面を迎えた今、こうやって駄々を捏ねる子どものように嘆いている。「徹が悪いんだよ」を込めて言葉を発するが、私は知っている。徹は何も悪くない。自分のこととバレーボールのことと私のことをバランスよく考えてくれている。なのに私は、私ときたら。

「勝手なのはわかってる。わかってるけど、」
「わかってるんだったら何で言うの、何で行っちゃうの」
「前から話してたけど、どうしてもその人の元でバレーボールがしたくて、」
「相談する意味なくない?どうせ行っちゃうんでしょ」

刺の生えた私の言葉は徹の作り物のような顔を歪ませた。まだ彼が話している途中だ。人が話している時は傾聴すべきである。そんなことくらい、わがまま放題好き放題な三歳児みたいな私にだってわかる。でも、聞いていられない。徹が言っていることが正しいから。そっか、わかったよ。がんばってきてね。身体大事にしてねって朗らかに言えばいいんでしょう?それはわかる、わかるよ。彼が穏やかに話を進めたいのもわかる。こんな気の狂った私に呆れることも怒鳴ることもしないのだから。でも私には穏便にこの場を済ます気がないわけで。

「これだって、どうせ報告じゃん。行くからよろしくねって、そういうことでしょ?私が何言ったって、どうせ行っちゃうんでしょ?」
「……行かないでほしい、って、思うの?」
「え?」
「なまえは、行かないでほしいって……一緒にいたいからアルゼンチンになんて行かないでって、思ってくれるの?」

だいたい徹がこういうことを聞いてくる時は、クラスに一人はいる意地悪な小学ニ年生の男子みたいな顔をしているのに、そうじゃなくて。美しい顔には憂いが浮かんでいて、それはとても秀麗で、ぞっとするほどだ。

「なまえ?」

大好きな声で名を呼ばれたところで、うんともすんとも言えなかった。
思うに決まってるでしょう、好きなんだから。
スルッとそう言えたら、どんなにいいだろうか。そんなに素直でも可愛くもない私は、喧嘩をした翌日、徹にねだって買ってもらった口紅が塗られた唇をギュッと噛んだ。可愛いじゃん、って言ってくれた口紅。私のご機嫌をとるためだったのかもしれないが、私はその一言がじわじわ嬉しくて、口元が緩んで。それから徹は頻繁に可愛いを届けてくれるようになって、ますます好きになったっけ。

「ねえ」
「徹は、平気なの」

彼は私と離れたって平気なのに、私はこれっぽっちも平気じゃない。それが悔しいなんて、もうとっくの昔に大人になったというのに、まだ子どもみたいで、格好悪くて。

「平気ではないよ。でも嫌でしょ、俺と一緒にアルゼンチン行くの」
「…日焼けしそうで嫌」
「え?いや、そこ?」

ちゃんと四季もあるし、一年中暑いわけじゃないよ。徹は先ほどよりも少し声のボリュームを絞って、ふうっと笑う。そのまま、きっと、多分、愛おしそうに私を見た。泣きそうで、でも怒っていて不機嫌な、酷い顔の私を柔く見つめる。

「…戻ってきたときに」

そんなにしおらしい声を出さないでよ。抱きしめたくなるから、愛おしくなるから。ただの言葉を、綺麗事を信じたくなるから。

「ごめん。なまえの言う通り。なんて言われようと行く。行くけど、絶対戻ってくるから。待っててって言いたいけど、そんなこと言う資格もないから」

彼が何を言おうとしているのか、だいたい想像がついた。両手で耳を塞ぎたいような、iPhoneのボイスメモで徹の言葉を録音しておきたいような、どうしようもない気持ちに襲われる。そんなことはお構いなしに、彼は言葉を淀みなく寄越すのだ。

「戻ってきたら一番に連絡する」

ううん、一番じゃなくていいよ。戻ってきてからだいたい一週間以内に連絡くれればそれでじゅうぶん。

「気が向いたらでいい。気が向いたらでいいから、その電話に出て欲しい」

多分ね、すぐに出たい気持ちを抑えて暫くディスプレイ眺めちゃうよ。だけど辛抱強く鳴らしてね。七コール目くらいで、きっと心の準備ができると思うから。

「気が向いたら会って欲しいし、」

悪いけど、会うのは一週間後くらいにしてね。新しいワンピースが欲しいし、美容院にも行きたいし、肌も出来る限り艶々にしたいから。久しぶりに会う徹に「綺麗になったね」って思って欲しいから。

「それで、気が向いたら…なまえがよければ、もう一回俺と付き合って欲しい」

あの日みたいに、気まずそうに言うのだろうか。俺、結構本気でなまえのこと好きなんですけど…って、大きな目を伏せて言うのだろうか。結構ってなに?好きなんですけど?で?それで?ってムッとした私に怯んで好きだから付き合ってくださいって早口で伝えてきた、今よりもあどけない彼の姿を思い出す。

「徹は、」
「ん?」
「徹は、気が向くの?何年後でも?私がどうなってても?」
「なに、どうなっちゃうの」
「…どうにもならないと思うけど」
「じゃあ問題ないでしょ。俺、なまえのことずっと好きだし」

随分とサラッと、愛の言葉を吐くようになったもんだ。くりくりとした、可愛い女の子のような瞳がじいっと私を捉え、真っ直ぐに見つめて絵空事を並べた。おまけに「約束ね」って小指を絡ませてくる。お決まりのお歌を歌い出す。単純な私は地球の裏側に行ってしまう男の絵空事に随分、期待している。結ばれた指が、じんじん、熱い。

2020/06/05