短編小説 | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
置いていけば?と何度も言ったが、彼女が荷物を置いていくことはなかった。化粧落としや化粧水、着替えに下着、ヘアアイロン。全部置いていったっていいのに、何も置いていかない。じゃあね、またね。なまえちゃんが出ていってしまうと、彼女がいた証拠はほとんどなくなってしまう。「ちょっと奮発して買ったの」と嬉しそうにしていたヘアオイルの香りがほんのり残っているくらい。だから俺はサヨナラするのが苦手で、今日もまた、引き止めてしまう。

「俺送ってくよ」
「いいよ、遅くなるし」
「心配なんですよ」
「心配ご無用なんですよ」
「荷物も多いし」
「女の子は荷物が多いの、そーゆーもんなの」
「置いていけばいいのに」
「家で使うもん」
「おんなじの買っておけばいいじゃん。買っとこうか?」
「えぇ、いいよそんなの。来れたり来れなかったりだし…鉄朗これから忙しいじゃん、仕事」
「忙しくないですよ」
「忙しいでしょ」

栄養ドリンクのビン、いっぱい捨ててあったじゃん。冷蔵庫にもストックあるし。
彼女はピシャリと言って、よいしょと大きな鞄を肩に掛けて。

「またね。無理しないでね」
「まじ、送ってくって」
「まじでいいですって」
「もうちょっと居て欲しいから、居て」

立ち上がろうとする彼女の手を掴んで、結構真面目な顔で真面目なトーンで言ってみる。いつもふざけておちゃらけている俺だ。普段と違う俺になまえちゃんも気付いたようで、ちょっと考えて、鞄を下ろして。

「スミマセン、わがまま言って」
「もうちょっと居るけど、一人で帰るからね」
「ねえ」
「なに?」
「ここ、夏に…七月かな。契約切れるんだけど」
「引っ越すの?」
「人の話は最後まで聞きなさいよ」
「ふふ、はーい。すみませんね、遮って」

あぁ、もう。勢いは完全に死んで、言わなきゃいけない一言が言えない。その辺の棚……いや、あの棚の上から二段目の棚にしまってある合鍵を渡す勇気も枯渇していて、さてどうしたものかと頭を悩ませる。彼女は不思議そうな顔をして俺の方をチラチラ見ていた。俺と交互に、トーク番組に出ている若手イケメン俳優を眺めている。俺が何も言わないものだから、どちらかというと若手俳優を見ている時間が長くなり、そちらに視線をやりながら「夏に引っ越すのって大変そうだねえ」と溢した。ですよね、大変そうですよね。それに貴方を巻き込もうとしていますが、どうかお許しください。そしてどうか、お付き合いください。面倒なことは俺がやりますので。

「なまえちゃんさ、ちょっと真面目な話なんだけど」
「ちょっと?」
「いや、まぁ結構…かなり真面目なんですけど」
「うん」
「一緒に住まない?俺と」
「ん?」
「いっしょに、」
「住むの?」
「うん」
「いいよ」
「…いいの」
「いいよ、だめなの?」
「いや、俺はいいんですけど」
「ねえねえ、あの辺の棚にさぁ、合鍵あるでしょ?」
「え、あ、うん。あるね、よくご存じで。つーかバレてたのね」 
「鉄朗がさ、通帳作ったときの印鑑なくしたって騒いでたじゃん、半年くらい前かな。あの時にあの辺探してたら見つけちゃって」
「あったね、そんなこと」
「いつ渡してくれるんだろうって思ってたし」

何でまだ渡してくれないんだろう。もはや私のじゃないのかな?って思ってたから。
ほろほろ泣き出すものだから、俺はもう全くどうしたらいいのかわからなくて。えっちょっと待ってごめんごめん。そんな感じのことを言ってテーブルの上にあるティッシュペーパーを三枚取り、彼女に渡すくらいのことしかできない。なんて情けない男だろうか。一緒に暮らす資格なんてあるのだろうか。

「何で鉄朗が謝るの」
「俺のせいじゃん」
「何が」
「泣かせたの」
「いいよ、勝手に泣いてるだけだから」
「良くないでしょうよ」
「いいの?」
「ん?」
「私、鍵貰ってもいいの?」
「うん。是非。寧ろ貰ってもらわないと困ると言うか」
「何で半年も保管しとくの」
「…なまえちゃん、荷物置いてってくれないじゃん」
「それ関係ある?」
「なんかこう…嫌なのかなって、俺のこと」
「嫌?」
「生理的に」
「…生理的に嫌な人と付き合わないでしょ」
「まぁ、ハイ、そうなんですけど」
「なんなの、ほんと」

涙をティッシュペーパーで吸い取ってやる。ごめん、と数度呟く。謝んなくていいよと彼女が笑う。ごめんねともう一度謝って、言いたかったことを漸く、声にする。

「鍵はなまえちゃんのために作ったやつだし…とりあえずそれ使ってもらって……で、夏になったらもうちょい広い部屋に引っ越すから、俺と一緒に暮らしてほしくて」
「うん、」
「嫌だと思うんですけど」
「え?嫌じゃないよ」
「あ、あのね、そっちじゃないっつーか……夏に引っ越すの。やでしょ」
「あ、なるほど。私も引っ越すのか」
「そうなんですよ、なまえちゃんも引っ越すんですよ」
「大変だね」
「やめとく?」
「やめとかないよ、それは」
「良かった、安心した」

とりあえず今日どうする?と彼女に問う。甘ったるい返事を期待したが、今日は帰るよと釘を刺される。不満そうな表情をする俺がさぞ面倒臭かったのだろう。

「ね、荷物重たいからパジャマと下着と…歯ブラシだけ置いていってもいい?」

意地悪く微笑む彼女にそう言われ、俺はもうニヤニヤするしかなくて、やっぱりどうしようもなく情けない男で。

2020/05/04 title by 草臥れた愛で良ければ