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境界線が曖昧だ。隣で眠る彼女を眺めながら、黒尾は思う。先ほどまでの微睡んだ時間と行為は、夢か幻か、はたまた現実なのか。現実だとは思えなかったが、どうやら現実らしいのでなお意味がわからない。こうしていても悶々とするだけなので、すぐにでも眠ってしまいたいのに興奮はなかなか冷めず、そうはできなかった。賢者タイム?そんなのまったく、訪れてくれない。いったいどうなっているのだ。第一、眠ったら何かから覚めてしまいそうで……いや、そんなテレビドラマのような展開にならないことはわかっているが……それでも、まだ信じられないのだ。隣でとくんとくんと動く彼女の心臓に、感動さえもしている。確かに、夢の中では何度かこういうことをした。そんな風に暴露したら、すやすやと心地好さそうに眠る可愛い年下の彼女に軽蔑されるだろうか。でも男だから仕方ないだろう。多感な高校三年だし。黒尾は煩悩にまみれた言い訳を幾つも。眠りに落ちる前、無意識に考えてしまうのは当然だ。それに理由なんてない。好きな女の子のアレやらソレやら、浮かんでしまうものなのだ。見慣れた制服で隠されている肌が露わになるのは、ちょっと言葉では言い表せないくらいに、良かった。





「黒尾先輩」

可愛らしい声だった。勢いのある、震えた声。きゅっと、掴まれるような声。呼び止められたのは突然で、見覚えのない他学年の女の子。昼休み、黒尾はクラスメイトとバスケットボールをしようと、やや居心地の悪い気温になりだした体育館へ向かっている時だ。六月の終わり、雨が降っているおかげで気温はそこまで高くないが、湿度が高くて不愉快である。雨粒が渡り廊下の屋根を叩く。知ってる子?周りの友人に問われる。いや、と首を傾げる。

「行ってんね」
「おー、先始めてて」

声の主は数メートル先で、じいとこちらを見つめている。今になって思うが、相当な勇気を振り絞ったろうな、と。あの時は黒尾自身も困惑していたのでどうこう思うことはなかったが、冷静にあの場を分析すると感心する。他学年の、一つ年上の面識のない男が友人数人(こいつらとももちろん面識はない)と歩いている時に、女の子が一人で、あぁやって声を掛けられるだろうか。俺だったらムリだな、と。いつか、なまえちゃんにその件を問えば「だって、好きだったんですもん」ともぞもぞ伝えられたので黒尾はもうなんだか、やりきれなくなる。格好つけたがりな男なので「何で過去形なの」とおちょくってみたが、実際はもう、嬉しくて嬉しくて小躍りしそうだった。そう、なまえは黒尾に勝手に一目惚れしていたのだ。廊下ですれ違う、全校集会で姿を見かける、たまに二年のフロアにやってきてバレー部の男の子と話している。姿かたち以外、何にも知らない先輩。あ、学年と名字は知っている。三年の、黒尾先輩。それしか知らないのに、好きなのだ。変な話だが、本当に好きだ。だからなまえはこうやって、強行突破を図っている。

「俺?」
「はい、」
「どうしたの?」
「あの、私、」
「うん」
「あの…えっと、」

白、白、真っ白。真っ白いペンキが頭の中をムラなく塗りつぶす。段取りは組んでいた。かなり練った。まずは自己紹介して、いきなり話しかけてすみませんって謝って、いま少しだけ時間大丈夫ですかって聞いて……とか。それなりに考えていたのに。それらは見事に何処かへ散ってしまう。代わりに鼻の奥がツンと痛くて、視界は滲んで、泣きそうだよって心が叫ぶ。なぜこんな、突拍子もないことをしてしまったのだろう。困らせるだけだよ。声掛けた時点でそこそこ迷惑だろうに。おまけに何も言えないまま黙り込んで泣きそうだしさ。完全に意味わかんないじゃん、まずお前誰だよって感じですよねすみませんって、 なまえは自己嫌悪をたっぷりと抱え込む。
でもまぁ、安心してほしい。勝手に惚れ込んだ男は、そんなに悪い男じゃないから。俯いて鼻を啜った見知らぬ後輩に先輩は言う。「大丈夫?ゆっくりでいいよ、場所変える?」って。その言葉にハッと顔を上げたなまえは言う。好きですって。黒尾先輩のことが好きなので仲良くなりたいです連絡先教えてもらえませんかって、一息で言った後に気付いて、シュンとして、絞った声で。

「二年の、みょうじです。みょうじなまえと申します……ごめんなさい、順番おかしくて」
「なまえちゃんね、黒尾鉄朗です」
「あの、ごめんなさい。急に呼び止めたりして…時間大丈夫ですか」
「うん、大丈夫よ。連絡先ね、スマホある?」
「……いいんですか」
「いいよ」
「あの、あの……黒尾先輩って、付き合ってる人いますか」
「すごいあのあの言うね」
「え、あ、ご…ごめんなさい、すみません」
「いないよ」
「じゃあ、あの…好きな人、いますか」
「いるって言ったらどうするの」
「……ど、どうしましょう、…でも、好きなの、やめられそうにないので、」

黒尾の連絡先がなまえのスマートフォンへ。なまえの連絡先も黒尾のスマートフォンへ。あわあわとした女の言葉を聞いて、黒尾はなんだか愛おしくなってくる。好きなの、やめられそうにないのか。こんな、何も知らないであろう男のことを?恋愛ってやっぱり、ちょっと狂っている。

「可愛いこと言うね」
「えっ、いや…あ、で、でも、ご迷惑でしたらあの…やめるので、言って欲しい、です」
「ご迷惑じゃないよ、全く」
「…ほんと、ですか」
「うん、好きな人もいないよ」
「っ、えっ…と…本当、ですか」
「うん、本当」
「あの…れ、連絡、してもいいですか、たまに」
「うん、俺も連絡するね」
「ほ、ほんとですか」
「すげえ本当ですかって言うじゃん、本当だよ」

声掛けてくれてありがとうね。
黒尾はなまえにそう伝える。その音はとても柔らかくて心地いい。ついに女は泣き出してしまった。掻き集めて振り絞った勇気が、報われた気がしたのだ。涙を落とす後輩に黒尾はギョッとするし、遅れてやって来た隣のクラスの友人に「黒尾が後輩の女の子泣かしてる〜最低〜」と茶化されるし……とにかく、忘れられない昼休みだ。それからしばらくして、夏休みを迎える少し前に、二人は付き合いだしたわけだ。すごく当たり前のように、言うならばトントン拍子で今日まで進んできた。





「ん…」

汗で束になった前髪がうざったいのか、なまえはもぞもぞと動き、額にへばりついたそれを払う。黒尾は眠っているといくらか幼く見える女の顔をずうっと見ていたから、己の熱い視線で起きてしまったのではないかと勝手に焦り、また寝息を立て始めた女に勝手に安心し、勝手に大忙しである。自分って結構やばいのかもしれないな、なんて。たかがセックスだ。それでこんなに浮かれたりして……つうか、あいつらはこんなことをしておいて平然と生きているのか?友人の半数くらいはいつのまにか童貞を捨てている。あいつも、あいつもあいつもあいつも…え?なに?まじで?こんなこと定期的にやってんの?それで何事もなかったかのように日々振舞ってんの?あいつらまじでやばくない?日常生活に支障とかないわけ?俺、早速明日の朝練勝手に気まずいんですけど。若干ウトウトしていたのに、そんな方向に思考を向けると止まらなくなってしまう。

「…黒尾先輩、」

夏休みも終盤、時計は十七時を少し過ぎた頃だ。先週に比べればかなり涼しくなった…と言いたいところだが、まだ「涼しい」に振り分けるには些か疑問が生じる暑さだ。それにしても自分の部屋のベッドで自分以外が眠っているのは不思議な光景だ。未だ彼女の額に居座る邪魔くさそうな前髪を払ってやる。指が触れるか触れないか、とても絶妙なところであの日と同じように呼ばれた。

「ごめん、起こした?」
「んーん…すみません、寝ちゃってました」
「寝ちゃってていいよ」
「黒尾先輩、寝ないんですか」
「ん?うん、寝ます、寝る寝る」
「…なんか、夢見たいですね」
「え?」
「私、この間まで黒尾先輩のこと遠くから見てるだけだったのに」

今はこんなに近くにいるから、夢みたい。
そう続けて、黒尾の胸に顔を埋めて。ちょっとちょっと。大胆な行動に男は焦るが、そおっと恐る恐る、女の背中に手のひらを。同じ人間であるはずなのに、触れた肌はみずみずしくて、白くて柔らかい。女の子の肌って、なんでこんなにしっとりしているんだ。男は疑問に思うが「お風呂でボディスクラブして、上がったら化粧水で水分入れて夏でもボディークリーム塗ってるんだからそりゃあそうでしょ」という女性の「ただただ正しい正論」は高校三年の黒尾にはまだ世知辛いのでそおっとしておいてやろう。そんな小さな背中をゆっくり撫でてやる。いや、撫でさせていただいている、と言う方がニュアンス的にしっくりくるか。

「夢みたいだよね」
「え?」
「え?」
「…黒尾先輩も、そんな風に思うんですか」

なまえから見た黒尾は、シンプルに「格好いい先輩」だから。余裕があるように見えてしまうし、慣れているような気がして、されるがままの自分が恥ずかしくて。でもまぁ実際はやり方なんて見よう見まね。これが正解なのかもわからない。そんな行為だった。お互い初めてで、何が何だかわからなくて、でも触れ合いたくて、一番奥まで知りたくて。下着が湿っていて安心したよ、胸を撫で下ろした俺にどうか気付かないで。最中、黒尾はそんな風に思ったのだ。ずっと、夢の中にいるようなフワフワとした感覚が付き纏う。今だってよくわからないくらいだ。

「なんか俺、かなり美化されてない?」
「美化?」
「あの、今もそんな…くっつかれるとまずいんですけど」
「え?まずいですか?」
「ハイ、かなり」
「ご、ごめんなさい。失礼しました、離れますね」
「いや、謝ることじゃないっつーか、謝らなきゃいけないのは俺の方っつーか」
「…よくわかんないんですけど」
「わかんなくていいよ」
「またそうやって子ども扱いするし…年、一つしか変わらないんですからね」
「はいはい、わかったから」
「もう…ずるいです、黒尾さん」
「ごめんって。ほら、もうちょっと寝よう」

なまえはまだかなり不満そうではあったが、黒尾の大きな手のひらがまるで赤ん坊を寝かしつけるかのようなゆっくりとしたテンポで背中を叩くものだから、また静かに落ちていく。そして黒尾も、おそるおそる瞼を閉じてみる。疲労はしっかり蓄積されていたようで(肉体的、というよりは慣れないことをした精神的疲労の割合が多いようだが)しばらく眠り、じいっと観察されているような視線と唇に違和感を感じて目を覚ませば、眼前には可愛い彼女の姿。あっ、と声を出して、口早に「すみません」と謝って。

「おはようございます、起こしちゃいました?」

一瞬触れ合った唇。へへへっと、恥じらいを含んだ笑顔。何してくれてんの、この子。じゅうっと熱くなる頬。悟られたくなくて枕に顔を埋める。もうあれもこれも「夢でもいいか」とさえ、思えてくる。

2019/08/22