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店の外に出る。時計の長針があと半周もしないうちに日付が変わるような時間。二十二時には家に帰っていると思っていたのに、読みが甘かった。まさか二次会にまで引きずりこまれるとは、とんだ災難である。そんな時間だというのに、外はまだむわりとした空気を抱えていた。いい加減、梅雨は明けたのだろうか。この数週間はニュース番組を見る間もなくベッドに倒れ込んでいたのでよくわからない。

「豊丘駅行く人は?終電なくなっちゃうよ、急ごう」
「タクシーは部長の分だけ?一台でいいよね?」

こうやって焦るくらいならあと十分早くお開きにすればよかったんじゃないですか?
当然そう思うが、まだ新人の枠に分類される私にそんな権限はない。慌てふためく大人たちを横目に、夏の夜ならではのむわりとした熱を肌に感じる。あと十日少々で八月が顔を出すらしい。いつの間に季節が動いたのだろうか。この頃寝苦しいことに疑問を抱いていたが、もうそんな時期なら納得だ。時の流れの速さを痛感して、思わずゾッとして。

「なまえちゃん美川駅だよね?私、送ってあげたいけど終電なくなるし…そっち方面の人いないからタクシー呼ぼうか?」
「あ、いえ。近いですし、一人で大丈夫です」
「雪島さん、俺も美川駅」

頭の上で声がする。飲み会の間、ずうっと彼の周りは賑やかだった。笑い声がたくさん集まって、大衆居酒屋なのに華やかな雰囲気さえもあって。

「え?及川くんは豊丘でしょ?」
「ちょっと前に引っ越したの。言ってなかったですっけ?」

及川さんは、ちょっとびっくりするくらいに格好いい人だった。入社が私よりも三年早い。仕事もできるし、それに加えてこのルックスと性格。困っていたら助けてくれるし、教え方も丁寧でわかりやすい。とても優しい人なのだが、私は勝手に圧を感じていた。あとはなんだろう…上手く言えないのだけれど「住む世界が違う感」みたいな、そんな感じ。なんとなく近寄りがたい人だ。

「なに、女の子と同棲でも始めた?」
「残念ながら男の寂しい一人暮らしですよ」
「及川くんと一緒ならとりあえず大丈夫だね、まぁちょっと別の意味で心配だけど」
「人聞き悪いなぁ。てゆーか姉さん、終電なくなっちゃいますよ」
「え?あ、本当だ!じゃあねなまえちゃん、気をつけてね」
「お疲れ様でした、お気をつけて」

慌ただしいがいなくなって、ポツンと取り残されて。気まずいなぁ。話したことがないとは言わないけれど、よく話すわけでもない。業務連絡くらいはする。稀に「今ドラマ何見てる?」とか「駅前の定食屋さんの鯖の塩焼きが美味しいらしいんだけど食べたことある?」とか。そんな他愛ない話をしたことがないわけでもないが、御察しの通りその程度の関係なのだ。ティッシュペーパーみたいに、薄っぺらい関係。

「駅までご一緒してもいい?」

及川さんが学生の頃にバレーボールをやっていたのは有名な話だ。大袈裟でもなんでもなく、社内の誰もが知っているであろう知識。身長が平均よりも十センチほど高いのはそのせいだろうか。こちらの背丈に合わせ、やや屈むようにして質問してくる。長い睫毛はマスカラを塗っていないくせに長くて、ビューラーをしていないくせに上品にカールしていた。ついでに瞳はカラーコンタクトをつけていないのに大きくてちゅるりとしている。綺麗な男だなぁと、当たり前の感想を抱いた。彼の問いにもちろんです、と答える。

「終電間に合いそうだね、よかった」
「そう、ですね」
「長かったね、飲み会」
「及川さんと飲むのが楽しいんでしょうね、みんな」
「いやいや、そんなことないよ。だいたい俺、今日飲んでないし。一生ジンジャーエール飲んでましたから」
「え?飲まないんですっけ?」
「いや、まぁ、今日はね。ちょっと色々ありまして。普段は飲むよ。そんな強いわけじゃないけど」
「なのにあんな、盛り上がってたんですね」
「ん?」
「及川さんの周りって、いつもたくさん人がいるので」
「みょうじさんだってずっと皆原部長に捕まってたじゃん」

弾まないと思っていた会話が意外と自然に長続きしたのは、これもまた彼の力なのだろうか。いったいぜんたい、幾つ武器を所持すれば気が済むのか甚だ疑問である。ひとつくらいこちらに分けてくれはしないだろうか。こうやって二人きりで話していると彼との距離が縮まったように感じてしまうのだ。月曜日には、戻さなくてはならない。みんなの憧れ及川さん。ライトグレーのスーツを着こなして爽やかに笑う社内の若手ホープ。私に優しいんじゃない、みんなに優しいのだ。私が特別なんじゃない、みんなが特別なのだ。駅までの道中、及川さんとの会話を楽しみつつ、腹の底でそんなことを思ってしまう。この信号を過ぎればもう到着する。終電にも無事間に合いそうだ。ちゃんと、月曜日には戻せそうだ。

「部長はタクシーだからいいとして、みんな電車間に合ったかな。俺らもそんなに余裕ないのに」
「走ってましたもんね、皆さん」
「完全に二次会のせいだね」
「はい……二次会まであるとは思ってませんでした」
「三年くらい前はだいたい二次会やって、そのあとカラオケ行ったりしてたけど……最近はなかったからね」
「私、二次会初めてでした」
「え、本当?みょうじさん二年目だよね?」
「はい、昔はやってらしたんですね」
「やってらしたんですよ、俺が入社した頃だね〜」
「及川さんってお幾つでしたっけ?」
「ん?二十六、あ、いや」

駅のホーム、電光板に目をやる及川さんが、思い出したかのように言う。ちょっと照れくさそうで、やや驚いて。

「二十七だ、今日で」
「え?」
「日付変わったから」
「二十日なんですか?お誕生日」
「そう、七月二十日」
「おめでとうございます」
「あはは、ありがとう。すげえ狙ってたみたいでかっこわるいね」

狙ってようがなんであろうか、貴方が格好悪いなんてことはないから安心していいよ。

「及川さん?」

乗らないんですか?と声を掛けた。正子を数分過ぎて、最終電車がやってくる。隣にいた彼はまだホームだ。

「俺こっちじゃないの」
「え?」
「そうしないと二人になれないと思ったから。さっきも言ったけど、みょうじさん部長にずっと捕まってたし」
「……どういうことですか、」
「二人で話したかったの。それだけ」

ドア閉まります、ご注意ください。
及川さんが私に向かって和かに手を振る。けたたましく発車メロディが鳴る。私は電車から飛び降りホームにいる彼の元へ。ぎょっとした顔で出迎えられ、呆れたような感情を滲ませた声で言う。これ終電だよ?って。わかってるよ、そんなこと。

「ひどいです、及川さん。言い逃げするなんて」
「いや、だからって降りてこなくても」
「連絡先、知らないですもん」
「はぁ、まぁ……そうだけど」
「私も二人で話したいです」
「え?」
「もうちょっと、二人で話したいです」
「駅のホームで?」
「東口にいい感じのお店あるのでご一緒していただけませんか?あ、飲まないんですっけ?」
「……酔ってる時にこんなこと言ったらほら、あの時は酔ってたから〜って思われちゃいそうでしょう?だから飲まなかったの」
「及川さん、意外とそういうところあるんですね」
「あのねぇ……結構本気だから、俺」

及川さんはそう言って溜息をつくとネクタイを緩めた。がらんとした駅のホーム。お店案内して、と彼がこちらを振り返って言う。お安い御用だ。どうやら私たちはもうちょっと、一緒にいれるらしい。

2019/07/20 happy birthday !!