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「すみません、いまお時間よろしいですか?」

パソコンに向かう私に話しかけてきた男は及川徹という名で、つい先月入社してきたばかりだ。くるりと振り返えれば未だ見慣れない美しい造形の顔が微笑んでいる。いったいぜんたい何がどうなっているのか、ちょっとよくわからなくて困惑してしまうくらいに綺麗な男だった。見惚れるというよりは、呆れるくらいに美しかった。この顔に慣れるのが先か、彼氏も彼氏候補もいない私が寿退社するのが先か。非常にいい勝負だ。

「どうしたの?」
「ここ、以前みょうじさんに教えていただいた通りに進めてみたんですが、今度はこっちがわからなくて」

何かの罰ゲームだったのだろう、私は今年度の新入社員の研修担当に任命されてしまったのだ。こうやって彼をはじめとする初々しい社会人一年生に質問をされることは少なくなかったが、この及川徹という男は本当によくわからなかった。多分、いま私に問うたこの案件は、彼ならきっと聞かずともわかることである。一昨日…いや、三日前だろうか。似たような事例を一人でちゃっちゃかこなしているのを見かけた。いったい何がしたいんだろうか。私がコケな上司だともう既に見抜いて、こうやって試しているんだろうか。だとしたら相当、性格が悪い。

「…これ、及川くんできるでしょ?」
「できないです、教えてもらえませんか?」
「やってたよね、一昨日くらいに」
「やっ…てましたか?」
「うん。それもうできるんだ〜すごいな〜って思ったから、間違いなくやってたよ。不安だと思うけど、やってみてわからなかったらまた聞いて?」
「…はい、承知しました」
「はい、よろしくね」

はい、どうでしょう。ね?よくわからないでしょ?今の子って本当に…いや、「今の子」なんて言い方をするのはとても良くないが、二つしか年齢は変わらないはずなのに、なんでこうも、別の生き物みたいに感じるのだろうか。私がいけないのだろうか。接し方が上手くないのかもしれないが、だからと言って、なんで及川くんは出来る仕事を出来ないと言うのだろうか。サボりたいのだろうか。でも、彼の勤務態度は百点満点特大花丸みたいな感じなので、おそらくそれはないだろう。先輩である私とコミュニケーションを取ろうとしている?いやいや、だとしたらもうちょっと別の手段があるだろう。今日ランチご一緒させていただけませんか?とか、そんなものいくらでもどうにでも出来る。やっぱり試されているのだろうか。先輩のくせに仕事できねえな〜とか思われているのだろうか。だとしたら事実なので何も言い返せないな。そんなことを思いながらほどよく溜まっている書類に目を通す。こんなことを考えているから、いつまでたっても仕事のペースが上がらないのだ。

「みょうじさん、今日はお忙しいところありがとうございました。ちゃんとできました」
「でしょ?及川くんならできるって」
「不安になってしまって…みょうじさん、優しいからつい頼ってしまったんです。申し訳ございませんでした」

そうそう、コミュニケーションなんかこういう場でこういう風にとればいいのだ。オフィスであんな、面倒な真似をしてまで深めるものじゃない。会社近くの通い慣れた居酒屋。同期と上司の文句を肴に酒を飲んでいると、まだヨチヨチ歩きの彼らもやってくる。お疲れ様です、と挨拶をされたので無視をするわけにもいかず、同様の言葉を返すとご一緒してもよろしいですか?と提案してきた。いやいや、なんでそうなるかね。私たちがいたら貴方たち楽しめないでしょう。そう思ったものの彼らは社交辞令でもなんでもないらしく、シンプルに私たちと同じ席で食事がしたいようで、正気か?と疑わずにはいられなかったが、彼らが望むのだ。どうぞ、と声をかけ、ビールを二つ持ってきてもらうよう、店員に声をかける。かなりいいスピード感で運ばれていたジョッキで乾杯。三十分くらい話したら彼らのお会計もまとめて済ませ、友人と共に次の店に移動しよう。そう思っていたのに、私が店を出ることはなかった。及川くんが、私に言うのだ。まだ帰らないでくださいって。計画通り上っ面の会話を楽しんだところで伝票を持って会計をし、その後に寄ったトイレから席へ戻ろうとしたその時、店の通路で、言うのだ。

「帰っちゃうんですか?」
「うん、帰っちゃうよ」
「まだいいじゃないですか」
「楽しくないでしょ、会社の上司と飲んでも」
「楽しいですよ?」
「いいって、そういう社交辞令。私たち二軒目行くから。あとはご自由に」

同僚が待つ席へ戻ろうとするが、及川くんは私を解放してくれない。彼の口は休憩など不要らしく、ツンとした私の言葉にとことん反論がしたいようだ。おまけに、サービス精神旺盛な彼は甘ったるい胸キュンワードまで散りばめてくれる。

「社交辞令じゃないですよ。僕、みょうじさんがここの店にいるって聞いたから来たんです」
「…誰から聞いたの」
「それはまぁ、いいじゃないですか」
「よくないんだけど」
「とにかく、みょうじさんと話がしたくて、」
「私に媚び売っても特にメリットないよ。たまたま指導係にされただけで、権力とかないし」
「そうじゃなくて」
「なに?」
「歳下の男ってどうですか?」

話の歯車が微妙にずれるような感覚。言いたいことと聞きたいことが上手く絡み合ってくれない。どうにか混ぜあわせようとするのだが、それは無駄な努力のようだ。なんとなく及川くんは諦めが悪いような気がするので大人な私は大人しく折れてやる。

「どうって?」
「みょうじさん、歳上の男性が好みだって」
「私、そんなこと言った?」
「いや、雰囲気的に」
「雰囲気」
「はい、雰囲気的に」
「及川くんは歳下の、小動物みたいな女の子が好きそうだよね」
「僕、そんなこと言いました?」
「雰囲気的に」
「雰囲気って都合のいい言葉ですね」
「最初に使ったのは及川くんでしょ」
「そんな雰囲気かもしれませんが歳上の女性が好きなんです、本当は」

へぇ、そうなんだ。特に抑揚もつけず、そう言った私に彼は不満たっぷりなようで、綺麗な顔をぐちゃっと歪ませた。それでもまだとても美しい顔立ちなのに変わりはなく、私は苛立ちに近い感情を抱き、彼に負けじとぐちゃぐちゃに顔をしかめた。

「コレ、なんの話?」
「なんの話だと思います?」
「…言いたいことがあるならはっきり言ってよ。歳下とか歳上とか、そんなことよりも回りくどい方が苦手」

大学を卒業したばかりの彼と違って、私はもう、恋愛で遊ぶ体力も気力もない。自宅と会社の往復で精一杯。ほどよい量のハートマークでデコレーションしたメッセージのやりとり?スカスカの会話で埋める二時間の飲み会?焦る気持ちと興味本位から登録したマッチングアプリ?そんなものに時間を割く余裕などもう全く、持ち合わせていないのだ。それと同様、歳下の綺麗な顔をした職場の後輩からの「もしかすると私に好意を抱いているのではないか?」的なアプローチに心を乱している場合でもない。キッパリと告げた私の言葉に、及川くんは何を思ったのだろう。一瞬…いや、五秒ほど黙って唇を噛んで、おそらくちょっと迷って、でもそれを悟られまいと、もうじゅうぶんに格好いいのに、格好つけて言った。嫌いですか?って。

「みょうじさんは、歳下の男は嫌いですか?」

その問いの答えはどうやって見つければいいのだろう。及川くんとふたりきりでご飯にでも行けばいいのだろうか。好きでも嫌いでもないよ、と伝えるのもあんまりな気がして黙っていると、彼は何を勘違いしたのか言葉を続ける。さっき言ったんですけど、と。きっと、私が言ったからだ。回りくどいのが苦手だと言ったが、別にそこまでストレートに言えとは指示していない。

「歳上の女性が好きと言うか、みょうじさんが好きです。今度の休み、二人で過ごしたいのでお時間いただけませんか」

やっぱり、回りくどい方がいくらかまともかもしれない。分かり易すぎる彼からの告白にクラクラしてしまうから。入社した頃から社内恋愛だけはしないと、マイ・ルールを企てていたのに…まぁそろそろ破ってもいいか。歳下のカワイイ彼からの突然の告白にも全く動揺していない歳上の恋愛経験豊富な余裕のある自分を演じて「どうしようかなぁ」なんて言ってみたものの、私の声は見事にふわふわ、浮かれていた。

2019/04/01 title by 草臥れた愛で良ければ