「バレンタインまで待ってると、もう会えないから」
冬が深いところまでやってきた。高校三年の冬休み、岩泉は補習なんて受けていなかった。クラスメイトたちは珍しいと目を丸くしたが、当たり前のことだった。なまえに教えを請うたのだから。
「だから…ごめんね、迷惑だってわかってるんだけど」
校内には新しい噂が充満していた。あの岩泉に彼女ができたらしい。そんな内容だ。お相手はもちろんなまえ。そしてその噂は残念ながら真実とは異なるもので、二人はいまだ、ただのお友達だ。「ただのお友達が何度も二人きりで帰ったりする〜?!」となまえの友人は囃し立てたが、だってもう女はぶつけた後だし、どうしようもない。投げつけるように好きだと伝え、試合終了かと思いきやその返事をまだしていないとしばらく経った頃に告げられ、とりあえず連絡先を交換しようという流れで…付き合ってもおかしくない展開だとは思うのだが、確証はどこにもない。だいたい、こうやって二人で下校できていることになまえは奇跡に近いものを感じているから、別にこのまま終わってもじゅうぶんにハッピーエンドなんだけれども。でも、どうせ終わるのならば。この世の中はどんどん季節を先取りするので、年が明けたばかりだというのにもう来月中旬のイベントに向けて張り切っている。これからだいたい一ヶ月、どこもかしこも色とりどりのチョコレートに占領されるのだ。狂った世の中である。
「補習の時は、本当にごめん。勝手なことして」
高校三年目、授業は十二月中に終了。長い春休みに差しかかろうというところだ。年が明けポツポツと登校日があったが、それも今日でもう終わってしまった。永遠にサヨナラ…なんてことは無いと思う。成人式とか同窓会とか、そんなもので再会できるはず。でももう、遠くから岩泉を目で追うだけでは満足できないのだ。こうやって隣に並ぶ心地よさを知ってしまったから。欲深いなぁとなまえは自分で自分を嘲る。この感覚を知らなかった頃は、離れたところからそおっと覗いているだけで大満足だったのに。
「でもごめん、私まだ、」
「…いや、っ、ちょっと」
私まだ岩泉のことが好き。
立ち止まって、向き合って。男に渡そうと思ったチョコレートは、未だなまえの手におさまっている。男は困惑していた。卒業式の日に告白しようと思っていたのに、出鼻を挫かれた気分だ。バレンタインデー?それって来月の話じゃないか。なんでチョコレートまで用意しているのか、岩泉は用意周到な目の前の女にひどく頭を悩ませていた。だいたい、こういうのって男から言うのもじゃないのか。なんで先を越されているんだ。確かに、告白をしようとは思っていたが何をどう伝えようかなんてこの長い春休みの間にふつふつと考えようと思っていたわけで、言葉は何一つ浮かんでくれない。浮かんでは消えていくわけではない。まったく、浮かんでこないのだ。真っ白なのだ。飛んでくるであろう告白の言葉を遮っただけでも、拍手をしてほしいくらいである。
「これ、」
「いや、ちょっと」
「…受け取ってもらえない、よね」
「いやそうじゃなくて」
シュンとした顔をするなまえを見た男はたまらない気持ちになって半ば…いや、ほとんどヤケクソで言う。好きだって、ポツンと放たれた言葉はなまえの鼓膜を震わすものの、噛み砕いて理解できるものではなかった。ほんのり、そうだといいなぁと思っていなかったわけではないが、それが実際に情報として本人の口から発せられるとは、そんなことは完全に、思っても見なかったから。
「…え?」
「だから、…っ、なんなんだよまじで…」
「なに、なんで?」
「なんでって…なんでって言われても、」
「私が岩泉のこと好きなんだよ?」
「俺もみょうじのこと好きだって言ってんだよ」
ぽん、と飛んできた言葉になまえは心臓が数秒止まってしまったような感覚。好き、という二文字がじわじわ身体の熱を上げ、あっという間に頬が火照る。信じられるはずのない一言に、湧いてくる疑問は単純で。
「なんで?」
「なんで?」
「…なんで、私のこと好きなの」
「いや、じゃあなんでみょうじは俺のこと好きなんだよ」
「えっ、なんだろ…友達大事にしてるし、すごい優しいし、かっこいいし、」
「いやもういい、いい、言わなくていい」
二人の頬はあっという間にお揃いに。岩泉はこの状況をかっこ悪りぃとは思うが、今更どう頑張ったって巻き返せる気がしない。こんな予定じゃなかったんだが、もうこうなってしまえば、出てくる言葉など単純で。
「…本当に?」
「あ?」
「さっきの、本当?」
「…本当だって、」
「本当に?」
「そんな信じらんねぇかよ」
「だって、」
「好きだよ」
ずるい。女はそう思った。自分は彼の首に巻かれたマフラーの辺りを見て好きだと言うのが精一杯だったのに、目の前の男はこちらの瞳を捉えて、真っ直ぐに視線をよこし、飾り気のない言葉を届けてくれる。先ほどまでは好きだという言葉を疑うほかなかったのに、こんな風に言われたら信じてしまう。ううん、信じさせてくれるのだ。嘘じゃないと、冗談でもなんでもないのだと、そう思わせてくれるから。
「ごめん、なんつーか…卒業式の日に俺から言おうと思ってて」
「え?」
「なのにみょうじがそんな空気醸し出すから」
「…ごめん」
「いや、謝ることじゃねぇんだけど…もっとちゃんと言うつもりで、」
岩泉は悔しそうに言うが、これ以上の言葉など、なまえは必要としていない。宙ぶらりんになっていた可愛らしい紙袋を岩泉はみょうじの手から自分の手へ。貰ってもいいか?と問われその存在さえも忘れかけていたなまえはコクコクと首を縦に降る。お礼の言葉に続いて、岩泉は思い出したかのように言う。誕生日祝えそうでよかったって、言う。
「…覚えてるの、」
「何を」
「誕生日」
「覚えてるだろ」
「だって、私あの時、」
私なんて彼に認識されていないだろうと、なまえがそう思っていたあの初夏。嬉しくなって、それよりも悲しくなった日。それは岩泉だって、忘れるはずのない日だ。彼だって、覚えているから。高校に入学して初めての春。同じクラスで、隣の席になったことを。それから2年と少し経った頃にもう一度なまえの隣の席で授業を受けると、あの初々しい気分を思い出して擽ったくなったなんて、なまえは知る由もない。多分これから先も知ることはないだろう。
「気になってたやつから急に話しかけられたんだから、忘れられるわけねぇだろ」
「気になってたの?」
「気になっ…まぁ、」
「えっ、なにそれ、ちょっと詳しく」
「なんでだよ」
「私は高一の春から好きだよ」
「わかったって、」
「ねえ、ちゃんと教えてよ」
「卒業式の時な」
「えぇ、」
前言撤回、やっぱりもうすぐ、知ることになりそうだ。
2018/12/31 title by 星食