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「歯ブラシないからコンビニ行ってくる」

急に押しかけたから当たり前のことだ。彼が私じゃない女とハートマークたっぷりの低俗でアホくさいやりとりを電子端末でしていて心底呆れたのだ。もう3回目、腹をたてるのも暴言を吐くのも泣きわめくのにも飽きた私は同期の東峰の家に押しかけた。六畳一間のワンルーム。男の1人暮らしとは思えないくらいに片付いているし、さっぱりとしたいい香りがする。彼の家を訪れたのは片手を少し越えたくらいだが、こんな気持ちでドアを開けたのは初めてだった。

「え、いいよ。ストックあるし、わざわざ出なくても」
「東峰のじゃん」
「いいよ、歯ブラシくらい。また買うし」

悪くない男だ。ぱっと見、男らしくて身体もガチリとしている。声は穏やかで彼の穏和な性格がよくあらわれているし、センスだっていい。煙草も吸わなければ酒癖だって悪くない。あいつと類比したって断然東峰だ。そうわかっているから、こんなことを企んでここにいる。

「いいの?ありがとう、」
「いいよ、そんなの。洗面台の下のとこにあるやつ使って」

何の前触れもなく、事前に連絡もせずに「泊めて」って押しかけた私に「うん、いいよ」って平静に言う。何も聞いてこない。なんかあったのって、それくらい聞かれると思っていた私は拍子抜けで。ムズムズと気持ち悪く感じ、自ら言ってしまうのだ。彼氏がまた浮気したって。

「そっか」
「…なに、そのリアクション」
「え?あぁ…ごめん」
「なんなの、東峰」
「いや、だってまぁ、何となくわかるよ」
「なんで、」
「…何もなかったら、ほら…急に押しかけてきたりしないでしょ?」

ね?ってほわほわ笑う男はどこか力なく感じた。いつまでも洗面台のところでガサゴソやっている私を見兼ねたのか、彼がのそりとこちらにやってきて。

「こっちにない?」
「え、あ、そっちか」
「ん、はい。これでいい?」
「うん、ありがとう」
「どういたしまして、俺も磨こ」

東峰に渡されたそれのパッケージを遠慮なく開封する。横顔、綺麗だなぁって。すっかりその気になっている私は、調子のいいフィルターを通して東峰を見つめるのだ。そんな自分に自己嫌悪?ないない、だって私、悲劇のヒロインだから。あんな男に浮気されて惨めなの、誰か優しい人に慰めてほしいんだもん。シャコシャコと歯を磨く互いの音だけ。心臓は全く、バクバクとやかましくなってくれない。まぁ、そりゃあ、そうだよなぁ。ゆすいだばかりの口内はナチュラル・ミントの味がした。東峰とのセックスはとても心地よかったが、何も汲み取れなくて悲しくて、それが良かったのかもしれないと訳のわからない批評会を脳内で繰り広げていると、もそり、彼が動き出す。

「…おはよ、」

私の小さな朝の挨拶に彼は柔く微笑んで。おはようって、いつもよりも低いくせにいつもよりもぬくぬくとした声で言う。こんないい男になんの感情も持ち合わせていない私の心臓は、もうすでに絶命しているとしか思えない。

「あ、そういえば昨日携帯鳴ってたよ」
「え?」
「電話かなぁ。俺も寝る寸前だったから記憶怪しいけど、けっこう長く鳴ってたから」

もそもそとバッグの中を漁って、着信履歴とラインの通知に嬉しくなっている。「ごめん、謝りたいから会える?」って低脳な言葉に、単純な私はご機嫌。誑かされているのはわかる、わかっていても嬉しいから、これはもう愛なのだ。ううん、全くそんなものじゃないけど、愛ってことにしておくのだ。

「ごめんね、急にお邪魔して」
「いいえ、」

鼻歌なんかを歌い出しそうな私は、昨晩交わる前と同じように東峰と並んで歯を磨く。ガコン、とゴミ箱に落ちる新品同様の歯ブラシ、そしてそのまま玄関。ひっきりなしに「早く会いたい」なんて冷酷で無情なメッセージを寄越すペテン師みたいな彼。それを受け取り心を弾ませる私はどう考えたってファーストフードみたいに手軽でお気軽でちょろい女だ。お似合いなんだ、私たち。似た者同士だと、そう思って嬉しくなる。

「ありがとう、泊めてくれて」
「どういたしまして」

こんな私を玄関まで見送ってくれる東峰。なんで私のこと好きなんだろう。純粋に、とても単純に不思議で問いただしたくなるが正直そんなことはどうだっていい。今はもう、あの男のことで頭がいっぱいだから。

「俺ね」
「ん?」
「俺もね、結構歪んでるからさ」

早く壊れればいいって思ってるよ。そう言った東峰がへにゃりとした笑顔の下でたっぷりしっとり泣いていることくらい、色々なものが欠落している私でもわかった。

「歯ブラシ」
「…え?」
「また買っとくね、じゃあ、また、月曜日」

バタン、とスムーズに閉まった扉。なんだ、3人とも最低じゃん。この不愉快さしか感じられない関係が私は嫌いじゃないから、きっと私が1番、最低だ。

2017/06/19