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「#エロ」のBL小説を読む
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hq takahiro.h

花巻に彼女ができたらしい。登校した途端、校内に充満する噂話。朝からずうっと、こっそり聞き耳を立てていたが、どうやらちゃんと事実らしい。気温が上がってきたこの頃。教室の窓をガラリと開けたって、聞きたくもないそれは出ていってくれなかった。
「花巻、彼女できたの?」
キンコンカンコン、チャイムが響く。現代文が始まろうとしている時だ。担当教師はいつも数分遅れてやってくる。それをいいことに、隣の席の花巻に直接問う私は、多分どうかしてる。
「まぁ、ハイ」
「よかったね」
「そうっすね」
「なんで機嫌悪いの」
「いや別に」
「私、花巻のことちょっと好きだったのに」
ほろっと溢した。自暴自棄ってヤツだろうか。まぁ正確に言えば「ちょっと」じゃない。入学してからすぐ彼を好きになって、友人をつたって若干仲良くなったけれど特別仲がいいわけでもなく。最近隣の席になって、浮かれていた途端コレだ。私の可愛い初恋は見事に萎んでしまったわけだ。
「……はい?」
「ちょっとだけね」
冗談っぽく、笑う。本気にされても困る。いやごめん、ご存知だと思いますけど俺彼女できたのでそういうの迷惑なんですよって言われた日にはもう、わんわん泣き叫んでしまいそうだから。なのに、花巻は先程よりも不機嫌を掻き集めて私に言った。お前、席隣になった時、うわぁ花巻かって顔しただろって。した……か?してたとしても、完全に照れ隠しなんですが。すっとぼけて質問で返す。
「……私、そんな顔した?」
「してたわ。つーか好きなら……ちょっとだけでも好きなら、なんかこう、あるだろ、普通」
まじわけわかんねえ。彼が頭を抱える。はい授業始めるぞーとやる気のなさそうな声が教室に響く。

hq hajime.i

「なんで付き合わないの?おふたりさん」
及川の自室はほどほどに、ちゃんと、片付いている。ペンを動かし続ける。顔も上げてやらない。無視しないでよ、と秀麗な男は言うが、私もいわちゃんも引き続きテキストを眺める。
えぇ、いいなぁ、及川くんと幼馴染なの?
私が青城に入学してから、友人知人に伝えられるフレーズナンバーワンだ。別に、良くはない。確かに美しい男を眺めるのは愉快不愉快に分類するとすれば愉快だが、私はこの男よりも、それよりも。
「ねえ、なんで?」
「なんでもクソもねえだろ」
「いい加減良くない?付き合えば」
及川の家でテスト前恒例の勉強会。メンバーは私、及川、そしていわちゃん。いつものメンバーだが、前回の勉強会と変わっていることが一つあって、私といわちゃんが付き合い始めたということだ。先月、いわちゃんに言われたのだ。付き合ってほしいと。待ち望んでいた言葉で、自分に向けられると思っていなかった言葉で、私も言いたかった言葉だった。
「及川、ここ教えて」
「えぇ、俺の質問には答えないのにずいぶん虫が良くない?」
「じゃあいい。いわちゃんに聞く」
「あぁもう、仕方ないなぁ、どれ?わかるかな俺」
で、付き合いましたよってのを、まだ及川に報告していない。二人で話し合ったところ、報告する必要がないという結論に達した。先程のように、かなり前……多分、中学二年くらいから、及川は毎回言う。ふたり、なんで付き合わないの?もしかして俺に気遣ってる?いいんだよ、付き合って。好きなんでしょ?それを定期的に繰り返す彼だ。もう、それから数年経っているわけで、今更本当に付き合いましたってのもなんか面倒くさいし、いいかって感じで。しかも及川は絶対クラスメイト……いや、学年のみんなに、もはやバレー部の他学年の子たちにも言いふらしそうだ。学校という小さな水槽にそれらが充満するのはなんとなく避けたくて、私たちはだんまりを決め込む。及川は丁寧に問三の解説をした後でまた話題を元に戻した。
「ねえ、じゃあさ、いわちゃんは好きな人いないの」
「あ?」
「この間告白されてたじゃん、後輩、二年の」
ひゅうっと、身体のどこか、よくわからない場所が冷える。まだ六月なのに、気温は三十度近くなって、よくわからなかった。及川の言葉も、よくわからなかった。
「テニス部の子。違うの?」
「……あのなぁ、んなことどうでもいいだろうが」
「よくないよ、ねえ?気になるよね?」
及川がこちらに同意を求める。そうだね、いわちゃんモテるもんねって言ってみたが、ちゃんと声帯が震えて声になっているのか、自分ではわからなかった。私、思っているよりもいわちゃんのこと好きなんだな。こんな一言で、馬鹿みたいに動揺して。それもそうか。及川が私たちのことを揶揄い始めた頃から、もうずっと、そおっと好きだったんだから。
「及川の方がモテんだろ」
「それは当たり前でしょ、今更何を」
「及川、感じ悪いよ。だから振られたんじゃない?桜山高の可愛い子」
「ちょっと、傷を抉らないでよ」
「傷付いてなんかないだろ、お前」
ケラケラ、楽しい会話。あ、飲み物ないね。持ってくる。及川が立ち上がり、部屋を出て、ふたりきり。私はちらっといわちゃんを見た。いわちゃんはしっかり、こちらを見ていた。目が合った。
「……顔に出過ぎ。及川にバレんぞ」
「……いいもん」
「あ?」
「いわちゃんが、誰か、よくわかんない女の子に……いや、知ってる子でもそうなんだけど」
「なんだよ」
「いわちゃんが誰かに告白されてるの、いや」
拗ねる私、困るいわちゃん。でも嫌なんだもん、仕方ないじゃん。校内に私といわちゃんが付き合ってるって話が充満したら、そういう子もいなくなるかなって思っちゃうじゃん。そうなるのなら、私、そっちの方がいいなって思っちゃうんだもん。
「……なんもねーって。つーかいいの?及川に言って」
いいんなら言うけど、あいつ戻ってきたら。そんなことを言っていると彼は「ごめんお茶しかないけどいい?コンビニ行く?」とお戻り。いいよ、ありがとう。いわちゃんはそう言った後で私の耳に唇を寄せる。愛してるって、多分そう言った。え?なに?なんの話?俺、また仲間外れ?騒ぐ及川にサラリと言う。「及川、俺たち付き合ったんだわ」と。私はまだ、自分の耳を疑っている。多分明日も明後日も、ずっと、ずうっと疑っている。煩い部屋で、そんなことを思う。

hq hajime.i

「俺も浸かっていい?」
シャンプーを終わらせた彼が問う。じゃあ私、出ます。そう主張しようかと思ったが彼の「そんなに嫌かよ」が降ってきたので首を振った。嫌じゃない。嫌ではないんだけど、なんでこんなことになっているかわからない……いや、わかる、原因は私だ。私がいわちゃんが入浴中だと知らずにバスルームの扉を開けてしまったのだ。それが、このよくわからない状況を生み出した根源ではあるが、そうじゃなくて。だって私、ごめんって謝って立ち去ろうとしたんですよ。なのに彼がびっくりした、と声を出した後で「入れば?俺すぐ出るし」と言ったから。それを鵜呑みにして、じゃあ失礼しますと返してしまったのだ、反射で。我ながら頭が悪いと思う。
でも今日は会社で嫌なことがあって落ち込んでいたのだ。明日、いわちゃんの誕生日だからさっさと帰ってご飯作りたかったのに、見事な残業。外はまだ六月だと言うのに真夏のような暑さだった。彼の部屋に着いて、ごめんねって何度も謝った。いいって、と笑う彼を見ていると余計に自分が情けなくて。ストレス社会での疲労とベタベタの身体をさっさと流してしまいたかったのだ。そして冷えたビールでも飲んで、そのまま眠りたかった。なのに、これだ。とんだアクシデントである。とても穏やかに眠れそうにない。
「せっま」
「わたし、やっぱり出る」
「あ?なんで」
「狭いでしょ」
「……狭いとは言ったけど、嫌だとは言ってません」
いわちゃんは頼んでもいないのに私を後ろからぎゅうぎゅう、抱きしめてくれる。友人で、いたなぁ。よく恋人と一緒にお風呂入るって子。よくこんなこと日常的にできるな、どうかしてるんじゃないか?少し動く度にザバザバ、お湯が溢れる。彼の身体にすっぽり包まれる。狭くて、熱い。ぴったり、密着した身体。
「なぁ」
「はい」
「なんで敬語?」
「恥ずかしいの」
「恥ずかしいか?今更」
「入ったことないじゃん、一緒に」
「入りたくねえだろ」
「入りたくないとかじゃないけど」
「じゃあ、たまに入る?」
「え?」
そしたらもっと広い風呂の方がいいよな、と彼は続けて。
「つーか、一緒に住む?そしたら俺、もっと全体的に広い部屋探すけど」
考えといて。そう言い残して、さっさと出て行ってしまう。ごゆっくり、なんて言葉も添えられた。彼がいなくなってしまったバスタブの中に取り残される。溢れたせいでお湯は少ないし、いわちゃんの体温もない。なのに、なんでだろう。身体がじわじわ、熱い。早く出ないとのぼせそうなほど、熱いのだ。

hq keiji.a【飴】【名残】【筆】

赤葦くんに抱きしめられて、驚いた。帰らないでください、が耳元。彼の言動に「え、なんで?」と思うが声が出ない。こんなの、本当に予想していなかったのだ。知っていたが、背が高い。身体、熱い。

 * * *

「すみません、ほんと。ありがとうございます」
「いいよ、赤葦くん酔うんだねえ」
職場の飲み会、いつになったらなくなるだろうか。随分前から呪いをかけているのだが、一向に無くならないので嫌になってくる。
「酔いますよ、あれだけ飲まされれば」
赤葦くんは四月からうちの部署にやってきた。入社した頃から期待の新人だと騒がれていた彼だ。うちの社員であれば大抵彼のことは知っていると思う。社内報とかで取り上げられていたし。
「この部署、おかしくないですか」
「ご名答。配慮がないからね、うちの部署は」
「潰しておいて誰も面倒見てくれないですし」
「私がいるじゃん」
「助かります」
優秀な彼だ。比較的早い段階でこの部署にいる人間たちがさして優秀でないことに気付いていたらしい。たまに私にこそっと「え?今の案件って佐原さんが悪いんですか?完全に部長のミスですよね?」みたいな違和感を伝えてくることもあった。私はこの数年でその辺の感覚が麻痺し始めていたのだが、彼のおかげで自我を取り戻すことができたように思う。そんな感じで、他の社員に比べればやや、距離は近い。真面目で、よく働く、綺麗な男。でも、言ってしまえばその程度の仲だ。

 * * *

「……あかあしくん?」
そんな、酔っ払ってヘロヘロになった彼を私は送り届けてやった。比較的家が近いのだ。通り道、とまではいかないが、全くの逆方向でもない。先週は仕事を進める中で彼に幾つか助けてもらったりもしたし、そのお礼に……みたいな気持ちもあってこうしている。言っておくが、私はそんなに親切ではない。多分赤葦くんでなければこうしていない。私は家に帰ってメイクを落としてシャワーを浴びるのが面倒で、それに取り掛かるまでに小一時間時間を要する女だ。面倒くさいなぁと嘆きながらやっとで重い腰を上げる、そんな女。そんな女が、彼をこうやって送り届けている。金曜の夜に、だ。
「ごめんなさい、帰らないでほしいです」
「……帰るよ」
ようやく声が出せた。意思のない、情けない声だった。
「嫌です、帰らないで」
「どうして?」
「帰らないでほしいからです」
「ねえ、離して」
「離したら、帰らないですか」
「離してもらえたら帰ります」
「じゃあ一生離さないです」
酔っ払っている歳下の男のわがままなんて、まともに聞いたらダメだ。せめて「どうして?」に対して「好きです」って言ってくれれば、私も赤葦くんの背中に腕を回せるのに。
密着した身体、やかましい心臓の音が彼に聞こえませんように。ただそれだけを、ぼんやり好きな男の胸の中で思う。月曜日になったら忘れているんだろうな、どうせ。つまんないの。

* * *

ぬくもりはなかった。記憶はちゃんと、あった。
あの後、彼は本当に私を解放しなかった。そのまま私を部屋に招き、寝室。勝手にベッドに倒れ込む。そのまますうっと眠るので帰ろうとするとパチリと目を覚まして「帰らないでください」と。それを何度か繰り返す。そういうプログラミングをされているのかと思わずにはいられなかった。酔っているんだから黙ってそのまま眠り腐ればいいのに。で、終いには一緒に眠ろうと提案してくる。シャワーも浴びていない、と嘆く私に淡々と「部屋出て右です、タオルは棚の上から二番目、ドライヤーは洗面台に」なんて言ってきやがる。本当によくわからない夜だった。
LINE入れようと思ったんですが連絡先知りませんでした
メモですみません、ちょっと出ます、九時には戻ります
そして今朝。目を覚ます。彼はベッドにいない。リビング、テーブルの上のメモ。さらさらとした筆跡。朝になっても、ちょっとよくわからなかった。帰っていいのだろうか。改めて部屋を見渡す。飾り気のない、シンプルな部屋。多少散らかっているが、許容範囲。なんなら私の部屋よりよっぽど綺麗だ。ぼんやりしているとガチャガチャ、音がする。家主のお帰りのようだ。扉が開く。私を見て、申し訳なさそうな顔をする。
「……おはよう」
「昨日は、すみませんでした」
昨晩の可愛い、甘えん坊な赤葦くんにはもう会えないのだろうか。名残惜しい。もうすっかり、オフィスで遭遇する彼である。
「……………覚えてるの?」
「所々、という感じです」
本当にすみません、お詫びに朝ご飯食べませんか?
彼はそう提案して、私の返事も聞かず、テーブルにパンを並べる。近所に美味しいパン屋があるのだろうか。種類豊富、二人分とは思えない豪華なラインナップだ。好きなの取ってください、も付け足した。
「コーヒー飲みますか?」
「帰ってもいい?」
「え?」
「もう、帰っていい?」
揶揄うように、聞いてやる。ねえ君、どこまで覚えてるの?と、それを含ませながら、問う。彼はピクンと反応して、こちらをなんとも言えない表情で見つめた。表情の変わらない、金太郎飴のような男だと思っていたのに、この半日でかなり、彼の見たことのない表情を眺めることができて、私は嬉しい。
「……ダメです」
「ダメなの?」
「はい、帰らないでください」
ふーん、なるほどね。仕方ない、朝食くらい頂こうか。事情聴取も必要だし、連絡先くらい交換したいし、まぁちょうどいいだろう。

hq tobio.k【向日葵/氷菓/影】

「影山くん、かき氷に千三百円出せるタイプの人間なんだね」
強い風が吹く。背の高い向日葵が揺れる。「ロシア」という大型の、草丈が二メートル近くある品種らしい。それと同じくらいの背丈の後輩はこちらに視線を寄越すものの、かき氷千三百円問題については何も言わなかった。巷で話題のふわふわ氷菓子。確かに祭りの出店で味わうものとは別の物体だが、どう考えたって高すぎる。だったら私、ジェラートかソフトクリームがよかったなぁ。まぁ、でも、この暑さだ。身体が冷えるのなら、なんだっていい気がする。
「元気でしたか」
「今更?元気だよ、影山くんと違って物凄くノーマルな人生だけど」
「……俺は、別に」
つるりとした肌に大粒の汗が滲んでいる。じりじり、日差しが痛かった。日焼け止め、塗ってみたはいいものの、張り切り過ぎた太陽には何の意味もないように感じる。
「高校の頃もスターだったけど、今や日本代表だもんねえ」
ポツンと、急に連絡が入った。高校の後輩で、今やバレーボール界のプリンスと化した男の子。
「好きです」
「ん?」
「好きです、俺」
近いうちに時間もらえませんか。会って話したいんですけど。
急に送りつけられたメッセージ。もう私も二十代半ばだ。暫く会っていない異性からこんな連絡がきたら、マルチ商法に陥れられるか、もしくは結婚のご報告か、その辺だろう。で、それらを私の脳内でシミュレーションしたが、影山くんはどちらにも当てはまらないのだ。だから何を話されるか全く検討がつかなくて、結果、おそらく、愛の告白で。
「なに?私のこと?」
「はい」
「それ、高校の頃の話でしょ」
「今も好きです。あと、これからも好きです」
「……これからも好きなの?」
「はい。ずっと好きなので、これからも好きだと思います」
以上です、みたいな顔をした彼。私のことなど放って、冷たいそれを口に含む。呆然とする私に「早く食わないと溶けますよ」なんて言って寄越す。

hq kei.t【夕焼け/蛍/水】

「もう帰っちゃうの?」
蛍くんは私の問いに答えない。その代わりに散らばった衣類を拾い、丁寧に纏う。会いたいと、突拍子もなく連絡した。それに対して「急すぎるでしょ、午後も授業あるんだけど」と。そう返信してきたくせに、彼は私の部屋にいる。
「蛍くん」
「帰って課題終わらせます」
「えぇ、ここでやればいいじゃん」
「荷物家だし」
「じゃあ明日でよくない?」
「よくない。冷蔵庫の水貰っていい?」
「お好きにどうぞ。私にもちょうだい」
まだ部屋の外に出れば夕焼けが見れる時間だっていうのに、もうちょっとのんびりしていってもいいじゃないか。つまんないの。そうやって彼に聞こえるように不満をぶつけた私の元へ彼はやってくる。五百ミリリットルのペットボトル。自分で半分くらい飲み干して、また含んで、私に口付ける。それが流し込まれると思っていない私はろくに口を開けていない。口内ではなく、剥き出しの肌に冷たいそれが溢れる。蛍くんは「下手くそ」って私を見下して、楽しそうにほくそ笑む。

hq takahiro.h【紫陽花/宝石/歩く】

「え?なんで?」
少し前を歩く女はくるり、振り返ってきょとん。「好きだ」に対する返答としては不適切ではないだろうか。花巻は思うが、そんなことを察さない女だ。じめっとした空気が身体にまとわりついて大変に不愉快な時期。淡い色で咲き誇る紫陽花は確かに趣があるが、そんなものでは埋められない不愉快さだ。だいたい、不愉快なのは梅雨のせいだけではない。女を送る駅までの道。花巻はむずむずを堪えきれず、言った。首にぶら下がった、小さな宝石の付いたネックレス。交わっている最中、女が上で腰を揺する度にチラチラ光って、とても苛ついたようだ。
「ムカつくんだよね」
「何に?」
「ネックレス」
「ネックレス?」
「それ」
「これ?」
可愛いでしょ?とでも言いたげに女は首をこてんと傾げ、苛立ちの原因を指先で摘む。高かったんだよ、と付け加えた。
「ボーナス出たから買ったの。限定で、どうしても欲しくて」
「……は?」
「もうすぐ私、誕生日だし」
自分へのご褒美なんだ、と。どうでもよさそうに言って、本題へ。何で好きなの、私のこと。
「なんでって、」
「マッキー、私の誕生日お祝いしてくれる?一緒にケーキ食べてよ」
「え、うん、いいよ、いつだっけ」
ふっと、ですよねえを滲ませて笑った彼女は吐き捨てる。ほら、誕生日も知らないでしょうって。私はマッキーの誕生日知ってるよって。
「誕生日も知らない女の子のこと、好きだとか言っちゃダメだよ」
じゃあね、おやすみ。
そう言い放って構内に吸い込まれる女をじいっと見つめた後で気付く。追いかけなければと思う。追いかけて、謝って、誕生日聞かなきゃと、走る。

twst leona.k

「もういいから、好きにしてください」
レオナさんのことだから、もっと荒っぽいと思っていたのに、そうじゃないから私は動揺していた。薄いガラス製品に触れる時のように這う手。声が漏れたら揶揄われると思っていたのに、我慢しなくていいと甘ったるい口付けを落とされる。ちゃっちゃか挿入してくると思っていたのに、ずうっと私ばかり気持ちよくなっていて、意味がわからない。
「……あ?」
「なんなんですか」
「何がだよ」
「なんでそんなに優しいんですか」
「……俺はいつでも優しいだろ」
「なに言ってるんですか、優しくないですよ」
この幸福な空間に耐えきれず、私は要望を口にしたが、レオナさんは別に、優しくしているつもりもないらしい。なんなんだ、これ。こんなの、好きになってしまうからやめてほしい。もうじゅうぶん好きだから、これ以上引き摺り込まないでよ。
「優しい俺は嫌いか?」
「……好きだから、やめてほしいんです」
この人は王子で、私は何でこの世界にいるのかもわからない女だ。お遊びくらいでないと……いや、お遊びでもあまりよくない気がするが、ちゃんと好きになるのはかなり、よくない気がするのだ。彼の為というか、どちらかというと私の為。傷付くの、嫌なのだ。こんな、作り話みたいな恋愛で。
「私、これ以上レオナさんのこと好きになりたくないんです」
ぴくんと、彼の表情が引き攣り、怒りを滲ませた。あ、怒らせたかも。そう思ったがごめんなさいと謝るのもしっくりこなくて、黙っているとぎゅっと抱きしめられる。苦しいくらいの力。もう手遅れだろ、と。フッと笑った彼が寂しそうなのは気のせいと、私の自惚れだろう。
「お前、そんなこと言うが……どうせもう、これ以上ないってくらいに好きなんだろ?俺のこと」
まだ好きになれるんなら、それは勝手にすればいいが。そう言って鎖骨に唇を寄せる。いや、もう、ほんっと、いいから。いいからもう、好きにしてよ。

hq toru.o

「まだ好きにならないんですか、俺のこと」
苦手だ。美しい女よりも美しい彼が。この人、なんで普通にサラリーマンやってんの。なんかもっとこう、自分の外見を生かした仕事に就いた方がいいと思うんですけど。こんな普通のオフィスにやってこないでよ。月曜日二十一時のドラマじゃあるまいし、なにが起こったかと思うじゃない。そして、どこにでもいる普通の私に、言い寄ってこないでよ。で、コピーを頼まれた私に着いてこないでよ。
「新入社員、可愛い子いたよね?あの子でいいじゃん」
「嫌ですよ。あと貴方より可愛い人いなかったよ、一応チェックしましたけど」
「大丈夫?視力とセンス」
「あはは、大丈夫だいじょうぶ。つれないですねえ、今年も」
にこにこと、何故か楽しそうな及川徹は何故だか私のことが好きらしい。去年入社してきて早々、じいっと見つめられたのを思い出す。これ、生きている人間なのか。そう思うほど、作り物のように美しかった。綺麗な瞳をぼおっと眺めてしまう。睫毛、長っ。鼻高いなぁ、おまけにツンと尖っていて可愛い。唇くらい乾燥していて欲しいものだが、ちゃんとほどほどに潤っていた。あーあ、勘弁していただきたい。もう少し平等に人間を造形してほしいものだよ、神様がいるのなら。そう思っているとニコッと微笑んで、私はそれに驚いて、初めまして及川徹ですよろしくお願い致しますと言われた記憶が抜け落ちている。その数分後、ようやく意識を取り戻した私が「名前なんでしたっけ?」と問えば今度は彼がキョトンとした顔で。数秒後にまた美しく笑んで、再度自己紹介をしてくれた。敬語使わなくていいですよ、も添えた。この時はまだ、礼儀正しい綺麗な男の子だなぁと、その程度だったのに。
「及川くん。私、多分来年も再来年もつれないよ」
「いいですよ、別に」
「よくないでしょ、馬鹿みたいにモテるんだから馬鹿みたいに付き合いなよ」
「いや、好きじゃない女の人に好かれてもねえ。あと俺、そんなに軟派じゃないですよ」
「なんで私のこと好きなの?」
「え?俺、言いました?好きって」
思ってもみなかった言葉に、時が止まったような感覚。あぁ、なるほどね?いや、全然、全く、なるほどではないが。じゃあ、あの言葉もあの態度も、なんだっていうんだ。え、揶揄ってるだけなの?性格悪すぎない、この人。私はそれを声に出していたようで、及川くんはカラッと笑った。悪口じゃん、と愉快そうに。
「俺ね、振られたくないんですよ」
「振られることなんてないでしょ」
「振らない?俺のこと」
「え?」
「好きです、付き合ってくださいって言うのは簡単だし、できることならもうそうしたいんですけど……まだ俺のこと好きじゃないでしょう?」
一瞬の沈黙。コピー機は相変わらず元気よく稼働。そろそろ頼まれていた資料のコピーが終わる。
「……どうしたら、私のこと好きになる?」
「え?」
明日から、女性社員たちに睨まれるだろうか。後ろから刺されたりしないだろうか。そんな恐怖心よりも、一瞬味わった絶望感が怖くて、二度と味わいたくなくて、私は潤んだ声で言った。
「どうしたら、」
「どうしたら俺のこと好きになってくれますか」
「もう、すき」
「……え?」
「好きにならないわけないじゃん、そんなこともわかんないの?」
「だって、歳下嫌いって」
「知らないよ、いつ言ったの、そんなこと」
「俺が入社してすぐですよ」
あぁもう、泣かないでくださいよ。
狭苦しい機械室。もう用事はないのだが、動けなかった。彼は私を後ろからぎゅうと抱き締めるから。振り払わなければならないのに、できなかった。ううん、したくなかった。好きです、が耳元にやってくる。

hq tetsuro.k

「黒尾くん、私のこと好きになればいいのに」
近所の、歳下の、可愛い男の子。たまにばったり顔を合わせる度に「最近どうなの?」と面倒な質問を。彼、こんなに可愛いのに恋人がいないらしい。黒尾くんと同じクラスの女の子たちはよっぽど目が肥えているのか、趣味が悪いのか、どちらかだ。放っておかないだろう、普通。こんなに背が高くて、歳上への接し方が変に上手くて、つまらない話をしない。まだ高校生だとわからないのだろうか、この魅力が。
「……それ、どういう意味ですか」
「ん?そのまんまの意味」
「好きになればいいんですか」
「好きになればいいっていうか……黒尾くん格好いいから、誰かと付き合った方がいいなぁって思って」
「……いないですよね?彼氏」
「え?なに急に、嫌味?」
「いや、勿体無いなあと思って」
こんな綺麗なお姉さん放っておくなんて、俺から言わせれば信じられないですよ。わざとらしく微笑んだ彼。もう、揶揄わないでよ。言葉を返し、彼の肩を叩く。六月、夕刻。黒尾くんの制服が夏服になったのできちんと季節は巡っているらしい。近くのコンビニで購入したアイスクリームがじりじりと溶け始める。さっさと胃におさめてやらないと。
「俺が学生じゃなかったら、さっさと好きになってるのに」
「ほんっと口が上手いね。マルチ商法とか始めるの?」
「なんでそうなんの。本心ですよ、本心」
「いいよ、好きになって」
「いいんですか、こんなどうしようもない学生」
「私もどうしようもない社会人ですけど」
「俺が彼女いない理由、知ってます?」
「なに?知らない」
「ご近所の歳上のお姉さんがずっと好きなんですよ、でもまぁ、迷惑だろうなと思って。でもいま許可もらえたので頑張ってみます」
さっきよりもにこり、楽しそうに笑う。言葉の意味を考えて、いやいや冗談でしょって思うが、妙に心臓が煩い。私は何を期待しているのだろうか。指先を、甘ったるい液体が濡らす。

hq keiji.a

「じゃあ、私のこと好きになればいいじゃん」
年度末、残業、気圧による偏頭痛は鎮痛剤で殺害。年末の忙しなさも愛せないが、年度末のドタバタも苦手だった。次から次へと舞い込んでくる仕事たち、部署異動による引継ぎ、伝達ミス、話の通らない上司、ミスをするのがお仕事になっている後輩。そんな、いつもよりギスギスした私たち。
「え?」
ミスをする後輩、にカテゴライズされない後輩がいた。赤葦くんだ。まぁ、そもそもミスをする後輩を育てたのは私でもあるので、こちらの責任といえばそれはそれまでだが。それにしたって一昨日指摘したことをまた間違われるとこちらも気が滅入るものだ。え?それ一昨日言ったよね?なんて小姑のような台詞を吐くのはうんざりするから飲み込むが、どうもこう、やりきれない。あぁ、そうじゃなくて、そう。この赤葦京治という男は、こんな状況でも顔色ひとつ変えず淡々と業務をこなす。で、くだらない間違いをしない。そのくせ、恋愛が下手くそだった。歳下の女の子に怒られ、振られたそうだ。メッセージアプリでの返信が遅い上に、素っ気ない。デートもまともにできない。好いてもらえているのかわからない。そんな、そこらじゅうに転がっている、良くある理由だ。
「私、返信が二十四時間後でも一言でも、絵文字がなくても変なスタンプ使ってもらえなくても文句言わないよ。デートは家でお互い好きなことしてるだけでいいし、愛してるなんて言ってもらわなくて結構」
「……そう、ですか」
「気にしすぎだよ、そんなことで。忙しいんだから仕方ないって」
「いや、返信する暇くらいありましたよ。デートだってやろうと思えば、普通に」
「じゃあしてあげればよかったじゃん。面倒だよ、これからまた女の子口説くのは」
まぁ赤葦くんモテるし、そんな心配もないか。
キーボードを叩きながら嫌味っぽく言った。その嫌味にちゃんと反応し、赤葦くんは不満を滲ませた。さっきの言葉は嘘ですか、と。
「さっき?」
「言いましたよね?私のこと好きになればって」
「……言ったけど」
「なりますよ」
「え?」
「好きになっていいんですよね?」
指が、止まる。え、うん。え?言葉にならない言葉を漏らす。ハッキリしてくださいよ。彼が頬を染め、ちょっぴり尖った声で、言う。

hq iseei.m

「松川くん、好きな女の子いないの?」
こんな質問、しない。好きな人にしか、しない質問だ。それは私も彼もわかっているわけで、そのせいか松川くんはほんのり楽しそうな顔でこちらをちらり、覗き見る。足を動かすのはやめない。
「急ですね」
「ごめんね、藪から棒に」
「いないですよ」
ちょっと擽ったい声だ。彼の返答に、単純な私は胸を弾ませる。今年の新入社員、格好いい子たくさんいるよ。そう騒いでいたのが一年前。私は彼のことが知りたくて堪らなくて、あれこれ手を尽くした。同期を介して連絡先を交換し、ポツポツとやり取りをして、たまにこうやって肩を並べて帰ることができるところまできた。でももう、可愛い高校生じゃないし、これだけじゃ満足できなくなってしまって。あと、多分これ以上松川くんと駆け引きをしても無駄だと思うのだ。勝てっこないから、もう、さっさと降参してしまうのだ。
「じゃあ、私のこと好きにならない?」
「いいんですか、好きになって」
「え?」
「好きになっていいんなら、好きになりますよ」
いいんですか、と。許可を求められると思っていなかった私は間抜けな声を出す。レスポンスが遅れる。
「……いいの?」
「歳下の男なんて嫌かなぁと思って、こまめにブレーキ踏んでたんですけど……踏まなくていいんなら僕としても助かります」
大丈夫ですか、俺、歳下のどうしようもない男ですけど。
そんな言葉が続く。さっさと白旗を掲げてよかった。よろしくお願いしますとぽそり、言う。こちらこそよろしくお願いします、の後で指先が絡む。

hq takahiro.h

「マッキーって、人のことちゃんと好きになることある?私のこと、好きになる気ある?」
沈黙が顔を出した。気まずく重たい空気を数秒味わって気付く。あ、私面倒くさいこと言ったな、と。多少、飲酒している。季節は冬を萎め、春が柔かに顔を出している。浮かれた、心地よい時期だ。残念ながらこのまま眠ったって記憶を飛ばすことはないだろう。家に帰ってアルコール度数の高い缶チューハイを三本…いや、四本飲めばどうにか。冷蔵庫にあったろうか。とりあえずこの変な空気をどうにかしなければ。ええと、なんて言おうか。なーんてね!マッキー、本気で人のこと好きになったりしないもんねえってケロッと、明るい声で発言しようとした頃だ。マッキーが絞り出すように言う。それはこっちの台詞ですよ、なんて。呆れたように言う。
「どうせ、明日には覚えてないだろうから言うけど」
え、マッキー、やめた方がいいよ。私ね、しょっちゅう記憶飛ばすフリするけど、全部覚えてるよ。マッキーがごめんって言いながら手を握ってくれたのも覚えてる。家まで送り届けてくれた後で唇を近付けてくれたのも覚えてる。結局、私が心臓を煩く鳴らして待ち望んでいたのにすぅっと離れて「おやすみ」ってくしゃりと髪を撫でて部屋から出て行ったのも、全部覚えてる。
「俺は好きだよ、高校の頃から。お前が他の男に夢中で俺のこと見ねえんだろーが」
もういい加減やめてえよ、こんなの。
そう付け足されて、私は頭が良くないから、声を震わせて言う。やめないでって。好きでいてよって。私も好きだからって。
「……どうせ明日には覚えてねえんだろ。これ以上純情な俺を弄ぶないでくださいよ」
「覚えてるもん」
「どーだか」
「……マッキー、今から私の彼氏になるけどいいの」
「はっ、大歓迎ですよこちらは」
ったく、今年の春こそ可愛い彼女と花見でも行きたかったのにな。マッキーは吐き出すように言う。私で良ければ行けるよ。確か満開予報出てたし、次の週末にする?

hq tobio.k

「……ねえ飛雄くん、どうしたら私のこと好きになる?」
ため息のように、漏れてしまった。幾らなんでも、と思うのだ。そんなこと、当人に問うのは。困るだろうなとか、迷惑だろうなとか、そんなことが想像できないほど子どもではない。いつの間にか成人したし、そこから更に数年経っているし、なのに未だに、高校の後輩が好きだ。なんでこんなの好きになったかなぁ、身の程知らずめ、と。そんな風に自分を戒めたりもする。言っておくが「こんなの」って表現は悪口でない。
「……どういうことですか」
「ですよね、そうなりますよね」
「どうなるんですか」
「……煽ってる?」
「煽ってないです」
どうしたらすきになるか、ですか。
彼は頑張って私の言葉を理解しようとしている可愛い後輩だ。ね?わかるでしょう?「こんなの」でしょう?
私よりも一年遅れて高校を卒業した彼は、手の届かない人になってしまった。いや、在学中からそれはそれはもう、既に届いていなかった気もする。全速力で追いかければ彼のワイシャツに指先が触れたかもしれないが、私は息を切らして走ることをしなかった。それで、後悔して、忘れようと思っても綺麗な黒髪の彼が忘れられなくて、数年、未練がましくのろのろ彼を捕まえたくて頑張っている。どうしようもない「こんな」女だ。
「もう好きですよ」
「え?」
「俺は、ですけど。だいたい、好きじゃない人と飯食いに来ないです、俺」
「……なんで好きなの」
「なんでって……」
唇を尖らせ、眉間に皺を寄せ、ムッとした表情。あ、いっか、理由とか。別にいらない、好きだってそれがあるなら、それで。
「私もずっと飛雄くんのこと好きだよ」
「え?なんでですか」
「なんでって……好きだから」
「……それ、ズルくないですか」
「ズルくないです」
「ズルいですよ」
「ていうか、何で気付いてないの」
「言われたことないですもん、好きだって」
「さっき言ったじゃん、どうやったら好きになってくれるのって」
「……それってそういう意味なんですか」
ハッと閃いた表情がみるみるぽぽっと染まり、じわっと赤が滲んだ耳。「こんな」男も悪くないなぁと思いながら、緩くなってきたミルク・コーヒーを一口。よかった、ずうっと好きでいて。周回遅れだが、ようやく彼に追いついたようだ。

呪術 satoru.g

「ごめんなさい、なんか」
「ん?なあに?」
約束の時間、待ち合わせ場所、大好きな彼、それに釣り合う綺麗な女性。二人が佇んでいるその空間だけ、別次元のようだった。改めて五条悟の美しさを知る。あの人、何で私なんかと付き合っているんだろう。あそこにも、あっちにも、私くらいの……いいや、私以上に綺麗で可愛い子は溢れているというのに。私、別に料理上手くない。洗濯物畳むの嫌いだし、胸が大きいわけでもない。
「私なんかが、悟さんのこと好きになってしまって」
「ええ?なに?何で謝るのさ、そんなことで」
「いや、なんかこう……釣り合わないじゃないですか。普通に考えて」
彼がなぜ私を気に入ったのかは未だによくわからないが、質問したってまともに捉えていただけないので、もう問うのをやめた。一時的な気紛れだと思うのが一番しっくりきたから。三ヶ月……下手したら二週間くらいで勝手に離れていくだろうと思っていたが、不思議と一年くらい、恋人でいる。ただ、明日急に連絡がつかなくなっても、私はきっと、特に驚きもしないが。
「普通に考えなきゃいいじゃない。だいたい普通ってなによ。誰が決めたの、その括り」
「なんですか、そのフォロー。そもそもフォローでもないですし」
「そもそもさぁ、僕のこと好きにならない女の子、いる?」
看板の出ていない飲食店、個室。ランチだというのに私のグラスにはシャンパンが注がれた。一杯くらい飲めば?美味しいらしいよ、と呑気な声。勝手な人だ。自分は飲まないくせに。
「え?ちょっと、黙らないでよ。二人きりなんだからさ」
「……ちょっと、返答に困ってしまって」
「あ、もしかして妬いてる?さっきの人」
「だめですか、妬いたら」
私と悟さんは、天地がひっくり返っても、どうやっても、絶対に釣り合わない。なのに、釣り合いたいと思ってしまう。でも彼は気紛れで私と付き合っているだけだから、のめり込みたくない。だから嫉妬とか、そんな感情は持ち合わせたくないのに。ちゃんと苛立っていた。
「……大歓迎。ていうか、するんだね嫉妬。あと仕事関係の人だよ、さっきのは」
「するに決まってるじゃないですか。しないように頑張ってるんです」
「なんで?しなよ、嫉妬。嬉しいよ」
「悟さん、どっかいっちゃいそうじゃないですか」
「……なんで?」
「なんとなく」
「いかないよ、どこにも」
「いいです。どっかいきたくなったらどっかいってください、勝手に」
まだ、いまならどうにか忘れられるから。いなくなるならさっさといなくなって。これ以上好きになると多分、探しちゃうから。追いかけちゃうから。そんなどろっとした感情を黄金色の液体で流し込む。いい飲みっぷりだねえと楽しげな声の後、何処にもいかないよが聞こえて、じわっと泣きたくなったりした。お願いだから期待させないで。いずれいなくなってしまうのなら、もう明日にでも、何処かにいってよ。

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「もうきらい、一郎くん」
電話越し、言ってしまった。だって、もう三回連続なんだもん。約束がダメになるの。私、昨晩ボディスクラブで肌をすべすべにして、化粧下地二種類使って、あちこちから鏡でメイクの仕上がりと選んだ洋服のシルエットをチェックした。ワイヤーの元気な下着。買ったばかりの香水は万人ウケする清潔な香り。準備万端の私。なのに、三回連続でお役御免の張り紙をベタっと乱雑に貼り付けられ、怒り心頭。でもわかってはいるのだ、彼が悪いわけではない。イレギュラーな仕事のせいで、仕事が舞い込んでくるのは有難いことだから怒鳴るわけにもいかず。行き場のない想いをきらいの一言に全てを込めて、電話を切った。ベッドに沈む。頑張って丁寧に巻いた髪のことなんてどうでもよくて、ちょっと泣いてちょっと眠った。インターホンが鳴って、日が暮れていて「ちょっと」じゃない時間眠っていたことに気付く。
「はい」
「っ、……よかった、」
「……いちくん?」
「電話切れたっきり連絡取れねえし既読もつかねえから心配で……今日はごめん、謝りたくて」
不規則な彼の呼吸。切羽詰まった声。それに驚いた私は寝てただけだよ、とぽそり。一郎くんは「え?」と、素っ頓狂な声を出す。徐々に乱れていた息が整い、一呼吸置いて「そっかよかった」と続けた。
「……ごめんなさい」
「いや、悪いのは俺だから……無事ならそれでいいんだ。なんかあったかと思って」
「あの、よかったら上がっていって欲しいんだけど」
おずおず、要望を伝える。彼があっという間に部屋にやってきて、気付けば一郎くんの胸の中。力一杯抱きしめられ、ごめんをくれる。いいよ、と返事をする代わりに彼の背に手を回す。できる限り、力を込める。またしばらく会えないかもしれないから、久しぶりの彼の体温をたっぷり、自分に覚えさせる。そうしていると少し身体を剥がし、彼がこちらを覗き込んで言った。あ、メイク崩れているだろうな。そう思ったが綺麗な彼の瞳から目が離せなかった。
「きらい?俺のこと」
「……え?」
「電話で、嫌いって」
記憶を巻き戻す。眠っていたせいでモヤのかかったような脳内。数時間前のやりとりを思い出し、自分の浅はかで、思ってもいない発言を後悔した。
「ちがっ……、好きだから、会えないの嫌で……ごめんね、だいすきなのに、」
そう告げると彼はとろっと笑って、また私を抱きしめた。苦しいよ、と主張しようかと思ったが、この苦しさもまでも心地よかったので言葉を飲み込む。
「よかった、マジで嫌われたかと思って……もう会えないんじゃねえかって」
私の一言で乱れている彼が愛おしくて、どうしようもなくなって繰り返した。好きってそればかり、何度も、何度も。

呪術 kento.n

「七海さん、どうしたら私のこと好きになってくれるんですか」
自販機、彼がご馳走してくれた缶コーヒー。冬が終わって、春がもうすぐそこに。そろそろ自販機のホットの製品もいなくなってしまうだろう。朝のニュース番組では花粉の飛散量と桜の開花時期を長閑に知らせてくれるようになった。七海さんは「また始まったよ」とうんざりした顔を覗かせ、いつもの何の面白みもない表情に戻した。
「その件、そんなに重要ですか」
「重要ですよ。そろそろ恋人欲しくなりませんか?春だし、お出かけしたいでしょう?可愛い女の子と」
「数ヶ月前にも同じようなことを仰っていましたよね。寒くなってくると寂しいからなんとか、と」
「よく覚えてますね、もしかして私のこと好きなんじゃないですか?」
「どういう思考回路を辿ればその考察に行き着くんですか」
好きだから付き合ってください。何度かそう伝えたが、七海さんが頷くことはなかった。彼女いるんですか?にも首を振る。じゃあ私でよくないですかとりあえず、にも首を振る。この人はノーの返事しか寄越さないんじゃないかと思って「さっさと終わらせてさっさと帰りたいですね」と問えばすぐに頷いてくれたので、残念ながらそういう仕様ではないらしい。
「難しいですね、恋愛って」
「私以外となら上手くいくと思いますよ」
「でも私、七海さんがいいんですよねえ」
「それは困りましたね」
「そう、困ってるんです。七海さんどうにかしてくださいよ」
「やめておいた方がいいですよ」
「なんでですか」
「貴方が思うような男じゃないので」
「私、七海さんならなんでもいいですよ」
七海さんは大きな溜息を吐く。呆れたように言う。貴方の中には好きだから付き合わないという選択肢はないのですか。言葉は続く。私は今、それを選択しているんです。言葉の意味がわからず、どういうことですか?と聞くが、七海さんは何も答えない。だから私が考えるしかなくて、ぐるぐる言葉を巡らせる。ひとつの答えに行き着く。
「え?なんですか?つまり七海さんも私のこと好きなんですか?」
七海さんは相変わらずげんなりした顔で私を見つめる。そうなんじゃないですか、なんて適当な言葉を寄越す。えっ、ちょっと、なにそれ。詳しく聞かせてくださいよ。歩き出す彼の背を追う。

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「……もういいから、好きにしていいよ」
狂ってしまう。こんな予定じゃなかったのに、私の人生。そして「こんな予定」は松川の主張によって構築された予定なのに。
松川と私は、高校の同級生で、特に仲が良いわけでも悪いわけでもなく。関係性を表す言葉を探すのであればクラスメイトがしっくりくるだろう。それがなぜ男女交際を始めているかと言えば、ちょっと大人になってから偶然、ばったり再会したのだ。合コンで。それでちょっと話してみたらなんとなく気が合って、付き合う?みたいな流れになったが、その時に釘を刺されたのだ。「悪いけど俺、結婚はしないよ」と。
「好きにしていいの?」
「……したいんでしょ、結婚」
当時の私はいっしゅん……いや、暫く落ち込んだ。衝撃が大きかったせいか「なんで?」と問うこともできなかった。随分お利口さんだったようだ。ハイ今から付き合いますよ、のタイミングで「結婚はしないよ」なんて言われて、怒鳴ることも喚くこともなく「わかった」と。それだけ。なんでかって?だって、好きだったから。どうしても松川と付き合いたかったから。おそらくもう五歳年齢を重ねていれば「いやいや、じゃあ付き合わないよ普通に、こっちからお断りよ、じゃあねさようなら」と言え……たと思うのだ、当時の可愛い私は思っていたのだ。松川となら結婚できなくても、付き合えていればいい、と。彼女でいられるのならばそれでいいと。ファンシーな、可愛いピンク色の脳内。我ながら拍手をおくりたくなる。
「うん、だめ?」
「……だから、好きにしていいってば」
「したくない?俺と、結婚」
そちらがお望みでないのに、またこっちのわがままで振り回すのは悪いから、と。松川はそう付け足して、こちらをじいっと眺める。本当にね、私は振り回されっぱなしだよ。自分にずうっと「結婚なんてしなくて大丈夫」と自分に言い聞かせ、友人にも「結婚はしたくないの」と思ってもないことを発言して、染み込ませてきたのに。なんの前触れもなく「ごめん、やっぱり結婚したいんだけどだめ?」なんて。この男、どれだけずるいのだろうか。
そして私は、この男にどれだけ惚れているのだろうか。
「……言わない?」
「え?」
「やっぱり結婚したくなくなった、って」
松川は驚いたような顔をした後で顔をくしゃりとさせる。言わないよ、とサッと答えを寄越した。
「まぁ、信用ないと思うけど」
「なんで、急に」
「だって好きなんだもん、だめ?」
なに、そのどうしようもない理由。何も言わない私に彼は言う。何も言わないと俺の好きなようにしちゃうけどいいの?と。だから私は、何も言わなかった。

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「……もういいよ、好きにしたら?」
金曜の夜は好きだ。明日、休みだし。加えて明後日も休みだから。大好きな彼とのびのび過ごせるから、好き。なのに、先週も先々週も、彼は私に土曜日と日曜日をくれない。私の方はいくらでも時間を用意できるのに、彼はお仕事の方がお好きらしい。
「俺だって、好きにできるなら貴方と昼まで寝てたいですよ」
「あらそう、それはどうも」
「……謝ってるじゃないですか、さっきから」
「ごめんって言ってほしいわけじゃないの。京治くんがほしいの」
そこまで頭が弱いわけじゃないから、わかるよ。いま私が唱えているのは「我儘」だって。正解が「土日まで仕事なの?大変だね、今日はもうさっさと寝なよ。明日からも頑張れるように私も早起きしてちょっと豪華な朝ご飯用意しておくね」って微笑むことだ。でも、残念ながらそんなにできた女じゃない。
「……俺は貴方のですよ」
「でももう三週間連続だよ、このパターン。もういい加減寂しいよ」
「寂しい、とか」
「え?」
「思うんですね、寂しいって。俺だけかと思ってました。この前もその前も、ふーんそっか大変だね、みたいなテンションだったので」
「……今週もそうすればよかった?」
「いえ、嬉しいです。日曜はどうにか空けます」
だから予定入れないでくださいねと言い、彼は私をぎゅうと抱き締め、深く息を吸って、吐いて、短いキスをして。
「おやすみなさい」
おやすみ、とぼんやり返した。スマートフォンでアラームを設定する。撮り溜めていた連続ドラマを再生するのは明日にしよう。今日は私もとっとと眠って、彼の為に朝食を拵えよう。

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「もういいから、好きにして」
徹、いつからそんなこと考えてたの?それ、私に相談せずに全部自分で決めたの?あぁ、もしかして私って貴方の人生に必要ないの?そっか、なるほどね。
急なことだった。海外に行くと言われた。行こうと思ってるんだけど、じゃなかった。相談ではなく、決定事項。やだとか、待ってとか、行かないでとか、大粒の涙とか、そんなものきっと、徹はぜんぶ欲していないので、私は大人しく、いや、少しの反抗心を込めて言った。好きにして、と。
「……ごめん」
私が意地悪をしたせいだろうか。徹の大きな、可愛い瞳がうるっと水分を抱え込んでいて、妙にムカムカした。あのさぁ、貴方はこのシーンを思い描くことができたでしょう?私は藪から棒なわけですよ。今日だって久しぶりに会えて、駅前のカジュアル・フレンチで食事して、春の匂いを漂わせた夜を浮かれ気分で歩いたじゃない。で、私の部屋。交わる為に寄ったと思うじゃない?なのに徹、アルゼンチンに行くなんて言うから、私はもうやってらんないんだよ。
「……何で泣いてんの」
「行かないでって」
「え?」
「行かないでって言わないの」
「……行ったら行くのやめるの」
「……やめない、ですけど」
「じゃあ言うだけ無駄じゃん」
「じゃあ俺が……俺が、待っててって言うのも無駄?」
憂いを含んだ表情。今日、それが言いたくて。アルゼンチンに行くのと、できれば離れている間も俺のこと好きでいてほしいって、その二つ、言いたくて。
大きい背中が縮んで見えた。可笑しくなってきて、ほろっと泣いて、どうしようもないこの男をどうしようもなく愛していると痛感して。
「……及川徹に待っててって言われて待たない女、居ると思う?」
徹も好きにしていいよ、その代わり私も勝手に好きでいるからね。そう付け加えてやる。

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「……も、っ……いいから。いいから、っ、いわちゃんのすきにして、」
いわちゃんの体温が離れていくのが、嫌だった。だから、彼の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめて、絞り出す。
「いわちゃんもういいよ、最後までしよ?わたし、へいきだから」
いわちゃんは女の子に慣れていない。そんなにそおっと触れなくても壊れないし、力を込めたって割れたりしないのに、信じられないくらいに優しくしてくれる。触れる度にいちいち大丈夫かと確認し、ごめんと謝る。大丈夫だよと何度も伝えたが、彼の表情が不安が消える事はなかった。で、それに加えて私も男の子に慣れていなかった。今だってそうだ。正直に言えば「なんでこんなことするんだ?」と思いながら行為に及んでいる。嫌なわけではない。嫌ではないのだが、こんなことをみんな、夜な夜な普通に行っていると思うと、なんだかこう、妙な違和感を覚えるのだ。
「……へいきじゃねーだろ」
これで、三度目だ。中途半端なところで終わるのは。一回目はまぁ、良しとしよう。誰しも初めてのことは上手くいかないものだ。二回目は恥ずかしいのと恐怖心とで私がしとしと泣き出してしまったのがよくなかった。いわちゃんはギョッとして、即刻中断した。そして何故か慌てて洋服を纏い、私をベッドに放置したままコンビニへ。ちょっと高級なアイスクリームを買ってきてくれた。私のことを三歳児だと思っているのだろうか。大人しくいただいたが。
「平気だもん、大丈夫だから」
「いいって、別に焦ることじゃ、っ」
私も男の子のことをわかっていないが、いわちゃんも女の子のことをわかっていない。好きにしてって言ったんだから好きにして欲しいの。そこで優しくしなくていいの。いわちゃんがいいようにしてほしい。それが私も嬉しいから。だから。
「……いわちゃんがしてくれないなら、私がする」
どうにか身体に力を込め、上半身を起こし、逆に彼を押し倒してやる。何が起こったのかわかっていない彼は困惑したような、憤慨したような表情。ため息、あのなぁって、呆れたように。
「好きにしていいんだな?」
「いいよ」
「……知らねーからな、」
最初くらい格好つけさせろよ。彼はそう言うとあっという間に元通り。私の背中は再びシーツとぴったり、密着。いわちゃんの体温が、さっきよりも熱い。

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「もういいから、好きにして」
三度目のデート。一回目からそんな雰囲気はあった。可愛い下着を付けた。脱いだ時にふわっと香るよう、腰に香水を振っておいた。ボディスクラブでつるんとさせた肌。全てお役御免で、私は唖然としていたが、がっつくのもどうかと思って大人しくしていた。でももう、だめだ。
「ちょっ、……なに、どうしたの」
「どうしたのじゃないよ、なんなの。私、そんなにだめ?」
「いや、まじでちょっと待って、なに、待ってって」
一回目も二回目も、今日の三回目も、仕事が終わった後に食事をして、そのままマッキーの部屋。一回目は面白い漫画があるから貸してもらおうと、そんな理由。で、三巻を読んだ辺りで「面白いっしょ?これ以上読むと止まんなくなるからやめといた方がいいよ。送ってく」と言われて私はポカンとした。え、なにそれ、本当に漫画貸すためだけに部屋に入れたの?聞きたかったが聞かなかった。いま思えばこの時にそうやって声に出せばよかったような気もするが、時を巻いて戻すことはできない。紙袋に詰め込んだそれをマッキーが持ってくれて、じゃあねって私の部屋の前まで送ってくれた。二回目は私から提案した。マッキーの部屋でもうちょっと話そうよ。可愛こぶってそう言っら、彼はそれを承諾した。ソファで深夜のバラエティ番組を見ながらくだらない話をしていたら急に静かになって、あ、きたきたと思ったらコテンと、肩に彼の頭。え?なに、寝たの?本当に?私に指一本触れずに?その辺で私は妙にムカムカして、彼をソファに放置し、部屋を出た。翌朝、マッキーから「ごめん、一人で帰れた?」みたいなお気遣いの言葉が届いたが、そんなことよりも私に覆い被さってこなかったことを謝罪して欲しかった。
「何で何にもしてこないの、っ」
「はっ?なっ、……いや、だって」
「どう考えてもそういう雰囲気じゃん、する気ないんなら部屋に入れたりしないでよ」
「おまっ…する気って、」
マッキーは何に照れているのだろうか。こんな時間に男女が二人きりになればそれは大抵そういうことなのだ。なに、マッキーって男女の友情とか存在すると思ってる系なの?悪いけど私、お友だちならお断りだよ。
「……しないの」
「いや、だって付き合ってねえだろ俺たち」
「…………マッキーって誰とでもしそうなのに」
「いや悪口。シンプルに悪口じゃん」
「じゃあ付き合おう?だめ?」
「付き合っていいの、俺なんかと」
「付き合って良くない人の部屋に三回も上がると思う?」
「……は?なに?好きなの、俺のこと」
好きじゃない人の部屋に三回も上がると思う?
私の言葉を聞いたマッキーは驚いた顔をしたが、何に驚いているのか私はさっぱりわからなかった。
「だいすき。彼女にして。好きにして」
箇条書きの要望。マッキー、耳、赤い。何で照れてるんだろ。この人、意外とうぶなのか?いや、でもマッキーだし、そんなわけないか。どちらともなく唇をたっぷり重ねた後で、私の耳元。
「……俺も好きだから、彼女にするし好きにするけど、それでいいの」
しつこいなぁ、もう。いいって言ってるじゃん。言葉を紡ぐのが面倒で、口付けの続きを。いつもよりちょっと色っぽい下着に言ってやる。よかったね、やっと出番がきたよって。

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「もういいから、好きにして」
とかいいつつ、こんなのほとんど、同調の言葉だった。私は一応、そこそこ常識がある。だから、入社してきたばかりの彼からのわかりやすいアピールを無下にしてきたわけだ。片手ほど、年下の男だ。しかも、社内恋愛。近年の恋愛ドラマでありそうな設定だ。こんなこと起こるわけないでしょ。鼻で笑ってビールで流し込んでいた不可解に近い恋愛。それが自分に迫ってくるのは、どう考えても異常で、異様だった。
「いいんですか」
「いいよ」
「付き合ってくれるんですか」
「黒尾くんがそうしたいなら」
我ながら最低だと思う。本心を塞ぎ止める蓋がなければ「付き合おう!ねえ、じゃあ次の週末どうする?」なんてウキウキと提案してしまうほどに私は彼に惹かれていた。ちゃんと、好きだ。でも、わかるでしょう?このくらいの年齢になると、素直に「好き」とか「付き合おう」とか言えないのよ。高校生の頃はもうちょっと真っ直ぐに恋愛に取り組めたのに。自分にうんざりして、黒尾くんは何か、考えて。
「えぇ、でもなんか、それは嫌だなぁ」
「……え?」
「ちゃんと好きになって欲しいんですよ、ボクのこと」
弊社のメリットその一、駅近であること。一時間ほどの残業を終えた私と彼は肩を並べて駅に向かっていたわけだが、ほら、もう、あっという間に到着してしまう。目的のホームは別々だ。え、なに、ちょっと待って。私、もしかしていま、掴み損ねてる?彼氏いない歴三年に、終止符を打てそうだったのに?
「ふふ、やっぱ好きだなぁ、俺」
「……は?」
「ぜんぶ顔に出るから、わかりやすくて面白くて、好きです。付き合ってもらえませんか、俺と」
私の頭に手のひらを乗せ、そおっと撫で、愛おしそうに見つめられる。もう「好きにしていいよ」なんて言葉は存在しなかった。可愛こぶってこくり、頷くだけだ。よろしくお願いします、も添えた。私にしては、上出来だろう。

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「もういいから、好きにして」
飛雄に、言ってしまった。弟のような男だ。いや、そんな風に思ったことは一度もなかったが、そう思おうとしていた。そうでなかったら私はもっと早いうちに、この言葉を吐いていただろうから。
「……好きに、って」
酔っ払ったフリでもすれば、もう少し長く居られるかな。その程度だった。で、あわよくば部屋に上がっていってくれないかなと目論んで、ちゃんとそうなって。それで、調子に乗った私は彼の綺麗な手に指を絡ませた。心臓が跳ね上がって、アルコールなんてもう、体内に殆ど残っていないのに、やたらと身体が熱かった。
「……それ、どういう意味ですか」
飛雄はいっしゅん、びくんと反応を示して、視線をこちらに寄越した。それに気付いた私はちゃんと目を合わせてやる。酔っ払ったことになっているし、まぁ、いいだろう、キスくらいしたって。そう思って可愛い彼の頬に唇を。そうしたらなんか,止まらなくなって。嫌じゃない?とだけ聞く。飛雄は何も言わないから「嫌だったら嫌だって言うんだよ」と、保護者のような忠告をした後で、ちゃんと、正式に唇を重ねた。飛雄はしばらくされるがままだったが、舌を突っ込んだ辺りでやり返してきた。呼吸が乱れ始めた辺りで冒頭の台詞を漏らしたが、言葉足らずのようだ。説明してやらねばならないのか。全く、それどころじゃないのに。彼の熱が名残惜しいのに。
「……なんかわかるでしょ、雰囲気で」
「……わかんないっス」
「もう」
「どうしたらいいんですか」
「飛雄はどうしたいの」
「どうしたいって……それは」
「私、続きしたい」
「……続きって何ですか」
なんだか、悪いお姉さんになった気分だ。考えるのと説明するのが面倒になって、着ていたTシャツを脱いでやる。え?ちょっと待ってください、俺たち付き合ってないですよね?という正論が聞こえる。じゃあ彼女にしてよ、と反論すれば不服そうな彼が目を泳がせながら言った。順番おかしくないですか?と。
「順番ってなに」
「いや、よくわかんないですけど……こういうのって好きな人とするんですよね?」
なんて可愛いことを聞いてくれるのだろうか。そうだよ、私、飛雄のこと大好きだから。だから続きしたいの。そう言ってブラジャーの金具を外した。
「飛雄は?私のこと好きじゃない?」
ぎゅうっと、身体を密着させて問う。辿々しい「好きです」が耳に届いて、もう既に、大満足の夜だ。

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「じゃあ、別れたらいいじゃないですか」
声が、いつもと違ったから、私は何も言えなくなった。月に一度くらいのペースで、職場の後輩の赤葦くんを誘い、彼の部屋で缶ビールを空にする。話題に上がるのは私の恋人の話だ。彼の上司でもある男だ。
「ね?別れないでしょ、どうせ」
赤葦くんは面倒くさそうにそう言うと、新しいものに手をつけた。プルタブを上げる。ぷしゅっと、元気な音が部屋に響く。見ていないのに付けっぱなしのテレビは、消音モードにでもなったのだろうか。急に、賑やかな声が耳に届かなくなったような気がした。
「どうせ、って……」
「好きなんですよ、なんだかんだ」
「でも、ほら、今だって連絡返ってこないし、この間だって、」
「でも、好きでしょう?」
「え?」
「そうやって……適当に、ぞんざいに扱われるのが」
別に嫌じゃないんでしょう?で、それを後輩の俺に愚痴るのは、もっと嫌いじゃないんですよ、貴方は。
淡々とした音で、彼は私に告げる。何だ、突然。先月は私と一緒になって彼の悪口を細々とこぼしていたのに。ひたすらに私を肯定していたのに。
「そんなんじゃ、」
「気付いてますよね?俺が好きなの」
貴方のこと好きだから、こうやって聞きたくもない愚痴聞いてるの、わかっててやってるんですよね?
言葉は確実に耳に届いているが、意味がわからず、私はやっぱり、何も言えなかった。で、子どもみたいなことを言った。赤葦くんいじわるだね、私、いじわるする人きらい。幼女のような反撃に彼はふっと笑って言った。でしょうね、と。
「でも親切にしたって貴方は、俺のこと好きにならないじゃないですか。結局、文句ばっかり言ってるあの人のことが好きなんですよね」
馬鹿みたいでやってらんないですよ、さすがに。
空になった缶をぐしゃり、潰す。コンビニ行ってきます、と立ち上がる彼。腕を掴む。何で私のこと好きなの?と問う。冷たい目が形だけ笑って、なんででしょうね、と。
「俺も、嫌いになりたいです。さっさと、貴方のこと」

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「ただいま」
この国から春と秋は消滅してしまったのだろうか。心地の良い季節が年々、短くなっているのは気のせいではないだろう。まだ今年のカレンダーは五枚目の上の方だというのに、もう随分、殆ど、夏だった。くるんと可愛くワンカールさせた前髪は、湿気でだらしなくなり、私の視界を遮る。それがうざったくて、ジャケットのポケットに入れっぱなしになっていたヘアゴムでサイドの髪と共に括ってやる。さ、洗面台に直行してヨレたファンデーションとおさらばしようじゃないか。気圧のせいか目が覚めた瞬間からじんわりとした頭痛。全く、お呼びでないのだが。おかげさまで盛大に手を抜いたメイク。アイシャドウ?一色しか使ってないけど、悪い?アイライン?面倒で引いてないけど、それが何か?まつ毛下がってるね?当たり前でしょ、気圧も私の気分も下がってるんだから睫毛だって下がりたくもなりますよ。放っておいていただけます?
「おかえり」
ただいま。先程よりも絞った声量でそう答えた後、私は不自然に首を動かし、及川徹を二度、見た。つうっと通り過ぎてバスルームに向かおうと思っていた足を止め、おそらくオーダーメイドであろうスーツをカチリと着た彼を、呆然と眺める。手には薔薇の花束。よくわからない光景だった。絶対口に出してはやらないが、どこまでも美しい男だと思った。
「…………何してんの」
「プロポーズしようと思って」
「え?なんで?」
「なんでって……あのー、僕たち今日で付き合って三年目なんですけど」
あれ?もしかして忘れてた?そわそわしてたの俺だけ?
徹はニヤリと笑って跪く。ねえちょっと、あのさぁ、今じゃないよね絶対。私、コレだよ?おでこ全開で、ファンデーションはくちゃくちゃで、脹脛なんて朝よりも二回り太いし、ふわりと纏った香水は満員電車に置いてきてしまった私だ。なんの魅力もない私だ。
「やだ、来年にして」
「いや、待てないでしょ普通に」
「徹ばっかり綺麗な格好してずるい。髪にワックスまでつけてる」
「ワックスくらいつけるでしょ、一世一代のプロポーズなんだから」
「もう、徹なんか嫌い、大っ嫌い」
「何言ってんの、大好きの間違いでしょ?」
ね、結婚しようよ、だめ?
徹は私の顔を覗き込み、可愛い顔でそう強請る。それがまた腹立たしくて、言葉は嬉しくて、なんかもう、よくわからなかった。徹がすっくと立ち上がる。ポケットから小さな箱を取り出す、開ける、私の薬指に嵌める。
「お前のおでこ久しぶりに見た、可愛いね」
額に彼の唇が触れる。前髪長いのも可愛いんじゃないの?なんて言われる。もう、バカ、嫌い。ほろほろ泣きながら悪態をつく私を徹は楽しそうに、抱きしめる。

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「何でですか、なんで、」
別れよう、と。そう提案した私は、珍しく取り乱す飛雄に言った。嫌いになったからだよ、それだけ。感情が籠らないように淡々と告げたつもりだが、声、揺れていないだろうか。涙、滲んでいないだろうか。そんなことが心配な私だ。近い未来、彼のお荷物になるのが嫌で、さっさとピリオドを打つ私だ。
「俺、何かしましたか」
「ううん、してないよ」
「っ、……じゃあ、なんで、」
「理由説明したら満足するの?」
「……俺、直すので、何でも言ってください、だめなところ」
「だから、別に飛雄が悪いわけじゃ、」
「じゃあ、どうしたらいいんですか、どうしたら、っ….俺、」
別れたくないです、貴方と。
潤んだ声。あぁ、飛雄って泣いたりするんだ。付き合って三年ほど経つが、ちゃんと泣いてるの、初めて見た。全米が泣いた!と評される映画の途中、すぅすぅと眠る男だ。彼にちゃんと「泣く」という機能が、選択肢が備わっていてよかった。ほっとして、愛おしくて、好きで好きで、堪らなかった。
「好きな人、できたの」
「……誰、ですか」
「知ってどうするの」
「……何で泣いてるんですか」
「飛雄こそ、何で泣くの」
「……知らないです、どうにかしてください」
ムスッっと、拗ねる彼。ひくひくと鼻を鳴らす。歳上の恋人の役目だ。本当は強く抱き締めてもらいたいが、こちらからぎゅうぎゅう抱き締めてやる。背中をさすってやる。大丈夫だよと囁いてやる。なにもだいじょうぶじゃないです、と。涙に混じった反論が聞こえる。そうだよね、本当は私も全く、大丈夫じゃないよ。
「大丈夫だよ、私がいなくても」
「だめです、勝手に決めつけないでください」
「…………だめなの?私がいないと」
「だめに決まってるじゃないですか」
「……可愛いこと言うね、飛雄」
「好きです、俺」
貴方が俺のこと嫌いでも俺は好きだから、別れられないです。
どんな持論なのだろうか。世界に羽ばたく君のことを思って言ってるんだよこちらは。大人の心遣いを、歳下の恋人はこれっぽっちも、察してくれない。
「……それで、好きなヤツって誰なんですか」
「飛雄」
「は?」
「好きだよ、飛雄」
はあ?なに言ってるんですか、嘘なんですかさっきの、なんだったんですか。
ぴいぴい喧しい唇を唇で塞ぐ。あーあ、もう、知らない。五年後、十年後、飛雄が離れたいって言っても私、離れてやらないからね。

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「不可抗力でしょ、あんなの。それともなに?怒鳴ってでも追い払えばよかった?」
私がずっと不機嫌なことにそろそろ、うんざりしたのだろう。歳下の恋人はやや面倒くさそうに、そしてそこにほんのり嬉々とした様子を混ぜ込んで私に問うた。運ばれてきたミルク・コーヒーを口に運び、じとっとした目で彼を見つめる。不可抗力ねえ、とぼやく。
「よくされるの?逆ナン」
「されないよ。だいたいさ、こんなでっかい男に話しかける勇気ある?」
「話しかけられてたじゃん」
「たまに現れるんだよ、勇気ある猛者が」
「たまにされるんだ、逆ナン」
一静くんは多分、物凄くモテると思う。上手く言葉では言い表せない色っぽさがあって、引き寄せられてしまうのだ。おまけに近付くといい香りがするし、話す時は屈んでくれる。言葉尻が丁寧で、話を傾聴するのが上手い。温かい飲み物と共に運ばれてきたケーキをフォークで崩す。あ、スマホで写真撮るの忘れた。せっかく一静くんと来れたのに。こんなことでチクチク、攻撃したいわけじゃないのに。だいたい、元はと言えば待ち合わせに五分遅刻した私が悪いのだ。時間通りに到着していれば、多分、あんなシーンを目撃する必要もなかっただろう。
「綺麗な子だったね」
「そう?いま俺の目の前にいる人の方がよっぽど綺麗だと思うけど」
視線を上げる。ぱちんと、目が合う。微笑む彼、すぐに逸らして、言った。「もう、嫌い」と。

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「……マッキー、好き、大好き」
眠れない夜。男のくせにすべすべとした背中にぼそり、鬱憤を。私たちの関係はセックスフレンドから恋人に変化したらしいが、特に何も変わらなかった。週に一回くらい会って、その辺の定食屋で食事をし、交わる。それだけ。水族館にデート?高級ホテルのイタリアンでランチ?お洒落なバーでカクテル?ないない。なーんにも、ない。
「寝言?」
もぞり、マッキーは身体を返し、声を出した。眠っていると思っていた彼が起きていたのは誤算だ。聞かれてしまったのだろうか、私の初めての「好き」は。ずっと、あえて、言わないようにしていたのに。
「おーい」
「……寝言です」
「起きてんじゃん」
可愛いこと言うのね、君も。
マッキーは愉快そうに笑い、そう言った。寝れないの?と眠たそうな声でいい、その後で「よかった、安心した」とも言った。
「……なんで?」
「俺の記憶が正しければ、言われたことないから。好きとか、その辺の言葉」
「……言わないようにしてたの」
「は?なんでよ」
だって、マッキーが私のこと好きじゃなかったら嫌だから。
それを告げるのは簡単だが、そんなこと言うべきでないと思い、黙った。その代わりにぎゅうぎゅう、彼を抱きしめる。マッキーは多分戸惑っていた。彼となんか、そんな感じの関係になって二年くらい経つが、私から何か求めることはなかったから。だから今も、できない。もっと恋人らしいことがしたいよ。二人で天気のいい日に適当にぶらっと、散歩に行きたいよ。近所にできたサンドウィッチ屋さんに行ってみたい。そんな普通の恋人がするようなことがしたいけど、怖くて聞けないの。優しい貴方はきっと全てを肯定するが、心の中でどう思われているか不安で、嫌われるのが怖くて、何もできない。
「もう一回言って、好きって」
「……きらい」
「なんでそうなるんだよ」
マッキーはケラっと笑って、私の背中を撫でた。俺は好きですけどね、と。その言葉を聞いてどうしようもなく、泣きたくなった。

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「はじめくんなんて、きらい」
アスファルトにはうすく、雪が積もっていた。二月十四日、放課後。彼は右手に可愛らしい紙袋を所持。あぁ、チョコレート、受け取るんだ。ねえ、それ、義理?本命?聞くのが面倒で、ごちゃっとした感情を「嫌い」なんて言葉に込めた。はじめくんは面倒くさそうな顔でこちらを見て、機嫌の悪そうな声で「なんだよ突然」なんて言った。私以外の女の子から受け取らないでよ。そんな我儘を言う資格を私は所持していない。彼女じゃないから。はじめくんのことがずうっと好きな、ただの幼馴染だから。
「嫌い」
「じゃあ一緒に帰んなきゃいいだろ」
「……いま、嫌いになったの」
「なんだそれ」
今までは好きだったってことかよ。
彼がぼそり、溢す。何か言わないと肯定になってしまうとわかってはいたのだが、何も言えなかった。暫く互いに黙って、ふわふわの雪の上をぎゅうぎゅうと音をたてながら歩く。私はじゅうはっさいにもなって、何をしているんだろうと馬鹿馬鹿しくなって、じわっと涙が滲んだ。はじめくんのブレザーの袖を引っ張る。立ち止まった私のせいで彼も立ち止まる。なんだよ。これまた面倒くさそうな声が耳に届く。
「今も、すき」
「は?」
「さっきの、……今までは好きだったってこと?って、はじめくん聞いたでしょ、私に。もう忘れた?」
「……忘れてねえよ」
「嫌いって言ったの、嘘。ごめん、はじめくんがモテてるの、なんかすごい嫌で」
「モテてねえだろ。いつ誰にモテたんだよ」
「それ、」
可愛い紙袋にたっぷり詰められた甘いお菓子を指さす。ポカンとした彼が思い出したかのように言う。
「……女子バレー部から。完全に義理。及川も松川も花巻も貰った」
「……それでも、ちょっとやだ」
「返してくれば満足すんのかよ」
「はじめくん、好き」
「は?」
自分でも思った。なんでいま、言ってしまったんだろうって。でももう言ってしまったから、いいや。鞄の中からピンク色の包装紙でおめかししたそれを、彼に押し付けるように。
「……それは完全に義理かもしれないけど,私は完全に本命だから」
貰ってくれる?
彼は再びポカンとしていた。のろのろ受けとる。数秒私を見つめ、そのまま項垂れ、しゃがみ込んだ。ずっと前から好き。多分幼稚園の頃から。そう付け加えると「なんでいま言うんだよ」と「言うの遅すぎんだろ」が届く。はじめくんは私のこと好きじゃない?と問う。好きに決まってんだろ、と言うもんだから「言うの遅すぎない?」と言ってやった。
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