手口は単純だった。
 元々、今まで彼が知らなかったことこそ異常なのである。囚人や看守がわざわざ「薬をやっている」なんて懺悔することもそうないだろうが、神父の耳にその事実が伝わらなかったということは、男が水族館での商売をいかに完璧な形態で行っているかがうかがい知れるというものだ。
 男には確信があった。必ず近いうちに神父が自分を殺しに来ると。だから彼は至って"いつも通り"に活動していたし、何の新しい行動も起こさなかった。

「今日は随分早いんだな」
「…………君は」
「"売人"は休みなしさ」

 時刻は26時。
 神に御身を捧げた男の瞳は、敵意と絶望でぎらぎらと光っている。その最奥には信じられない、信じたくないという色が含まれていることに気付いて、ハルイチは大声で笑いだしたくなった。この期に及んで可愛らしい奴だと、馬鹿にするように。
 尋常でない量の汗をかいている神父は、何かを伝えようとして、しかし言葉を選びかねているようだった。唇を吊り上げて頬杖をつき、男はそれを掬いあげるように口を開いた。


「はじめはただ落ち着いただけだったろう?最初はごくごく弱い種類だったし、あってないような量だった」
「ハルイチ」
「欲しいといつ思った?参考にしたいもんだ、この世で最も禁欲的な職業の君が―――薬(これ)を自ら求めるようになった瞬間はどうだった?」
「私を、騙したのか……!」

 かつてこの懺悔室を利用していた、冴えるような青い瞳の男が話していた。耳にしたのはほんの偶然だった。奴の「商品」は最高だと。他では味わえない快感と幸福感を持っているのに、通常よりも安価で手に入る。一度ハマってしまえば抜けられない、ジャンキーには天使みたいな男だと。
 天使?―――馬鹿な!
 体中に走る鈍痛と、真夏の猛暑と真冬の極寒が交互に襲ってくるような感覚に、狂った体温調節機能がとめどなく汗を滴らせる。まさに地獄だ。何も知らぬ人間を、自分の愉悦のためだけに陥れる―――まさしく悪魔ではないか!

「そうだね、俺は嘘をついてた」

 男が笑み曲ぐ。
 もはや神父の目には、かつての輝きなどひと欠片すら残っていない。澱みと濁りと、正気ではない色。目の下には濃い隈がある。瞳に映るのは男の想像する「神」に限りなく近いかたち……黄金色の頭髪と美しい顔、血のように赤い瞳。疑いようもなく親友DIOの姿だ。では、自分を陥れた悪魔は?
 一体どんな姿をしていた?
 思い出せない。奪われてしまった。けれど彼の傍にいることが本当に心地よかったのだ。全て仮初だったのだろうか。何もかもが嘘と幻に見え、礼拝堂の十字架すらぐにゃりと歪む。

「どうしてこんなことを、君はまさか、私は君を友だと想っていたのに」
「多分君みたいに崇高な理由はない。好奇心とか、いつ気付くかっていうスリルだとか、一番楽しみだったのはこういう瞬間だけど……君はよく知ってるだろ?人が罪を犯すことに、特別な理由は必要ない。ただの"はずみ"さ」
「もういいッ!!!」

 笑みを浮かべたまま並べられる言葉に、神父は激怒して息を荒くした。強烈な頭痛に襲われてふらつきそうになった身体を持ち直し、はっきりとした敵意で男を睨む。

「お前は私の心を十分裏切ったぞ!激しく罵倒した!!『ホワイトスネイク』ッ!!」

 スタンドとは精神のヴィジョン。
 裏切りと怒りと絶望と、幻覚によってまさしく断腸状態になったプッチの精神「ホワイトスネイク」は、彼の背後に現れ、それからスパークを繰り返すように消えた。力が安定しない。
 この男を消さなければならないというのに!
 近づいてくる足音に「死」を感じ、その恐怖をねじ伏せることができずに思わず後ずさる。美しい顔。この目が惑わせる。背中にぶつかった燭台を振り返り、プッチは咄嗟に蝋燭の火を吹き消した。

 礼拝堂に暗闇が下りる。

 ステンドグラスから月光が、辛うじて周囲を照らす。手に持った銀の燭台は、蝋燭を固定する鋭く長い金属の針(ピン)が鎮座していた。ひた、と足音がまた一歩近づく。恐怖。殺意。腕は反射的にその針を迫る闇に向ける。
 見開かれる瞳。
 燭台の杭は、腹の皮に浅い傷を残す。美しい魔性の男。その顔を見るだけで、凶器を致命傷に至らしめるまで押し込めることができない。震える声が男の名を呼ぶ。それはどちらの。微笑む顔はいつも通りなのに。

「そんなんじゃ子供も殺せない」
「あ、あ」
「もっとも、俺をできるだけ苦しめて殺したいというのは、分かるけどね。フッフッフ、君はそういうタイプじゃあないだろ?」
「違う、ダメだ!君を―――」

 殺したいわけじゃ。


「お前は俺から逃げられない」


 男の両腕が神父を強く抱きしめる。
 肉に刺さる銀の刃。声ならぬ悲鳴をあげる。生々しい感触に手を離す。ぐ、と口元に血が滲んで、それが無理矢理に笑みの形になったとき、プッチは背がぞっと冷たくなるのを感じた。

「く、はっは、流石に痛ェ〜〜ッ!!はっはっはっは!!ゲホッ、はあ、イッテェ………ハ、ハ、クソッ、」

 ―――化けの皮が剥がれた。
 温和で人当りのいい顔を忘れ、汚い言葉を吐きながらげたげたと笑う姿こそ、この男の一番嘘のない姿に思えた。神父には理解しがたい狂気が彼を動かしていたのか。けれど瞳に浮かぶ色は正気そのものだ。疑問ばかりが浮かんで消える。
 震える声が問いかけた。

「君は、私が憎いのか?」
「いいや、そうじゃあない。どっちかっていうと逆。そう……俺がこの下らない人生で悟ったのは、人には"死にどころ"があるってことだ。本当に、それだけなんだよ……」

 その手が血塗れの燭台を自分の腹から引き抜き、痛みに呻きながら崩れ落ちていく。困惑と空虚と、何か名状しがたいもので、プッチの体は硬直している。ガラン、と重苦しい音が礼拝堂に響き、崩れ落ちる男の身体を抱きとめたまま、神父は涙を落とした。
 許してくれ、許してくれ!
 懇願する声を受け止め、笑みは力ないものになっていく。倒れた男の顔には、左目を覆うような火傷があった。

「そんな顔だったんだな……」

 彼の描いた終焉は、こんなものだったのだろうか?薬物中毒になった神父が囚人を殺す―――この塵溜めに相応しい血生臭い事件だと、ハルイチなら笑うかもしれない。彼の両手では塞ぎきれない血が、清廉な床に広がる。
 朝の訪れを微塵も感じない夜、光の消えた十字架に、ゆっくりと闇の帳が下りた。


 これにて閉幕。





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