無法者ばかりが集められた刑務所とはいえ、閉鎖された空間においてはある一定の秩序と上下関係が生まれる。場合によってはそれは囚人ばかりではなく、看守までもを巻き込む力関係だ。
 水族館(ここ)で最も物の言う力とは?
 暴力によって周りを押さえつければある程度は支配を固めることができるが、度を過ぎれば思わぬ報復を喰らうことになるし、派閥ができればそれだけ諍いも増える。この場所で必要なのは個人の力。身を守るだけの盾と、相手との交渉に武器を持っていなければならない。

(その両方を兼ね備えるのが「ドル」ってことね)
 
 金髪(ブロンド)の女から10ドルを見事せしめてから、空条徐倫はその事実を骨身に染みるほど思い知った。この場所では金がなければ生死に関わる―――エルメェス・コステロの言葉は決して大げさではなかったらしい。
 逆に言えば、金を持っていれば大抵のことは解決できる。受刑者なんて不自由極まりない生活をしていると思っていたが、地獄の沙汰も金次第ということらしい。

 監内にはいつもどこか季節や時間を無視したような空気が流れている。

 並んだ公衆電話の前に立つ。金をいれれば母の声を聞くこともできるが、その為には「予約制」で名前を連ねる奴からさらに順番を買わなくてはならない。いつ金が必要になるか分からない状況で、1ドルも無駄にすることはできなかった。
 塗装のはげた緑色の電話を見つめたあと、諦めて人気のない廊下に出る。溜息をつこうとした瞬間、ぬっと彼女の身体を影が遮った。

「電話をお探し?」
「!」

 徐倫はその大きな目を見開いて、壁に背を預ける人物を見た。自分の父親にはさすがに及ばないが、180cmはゆうにあるであろう長身に、低いしゃがれ声。目を引くのは、左目を覆うように広がる火傷の跡。紛れもなく「男」だ。
 一瞬看守かと思ったが、それにしては随分とラフな格好をしている。水族館のロゴが入った囚人服さえ着ていない。徐倫は訝しげに眉を寄せる。

「いいえ、探してない。あんた男囚?迷ったならすぐ戻ったほうがいいわよ、警棒で殴られたきゃあね」
「あらら。コワイ顔すんなよォ、別にちょっかいかけようってワケじゃないんだぜ。いや、ン〜〜っある意味そうだけど……電話が欲しいなら貸そうかって言いたかったのさ」
「………あたしに何の用?」
「ただのナンパさ」

 そう言って男は、彼女の眼前に驚くべきものをぶら下げた。少し古い型ではあるがコンパクトなその黒い機械は、紛れもなく携帯電話だ。簡素なストラップを指にひっかけ、携帯越しに笑った男に徐倫は警戒心を強めた。
 ロメオという初恋の君に裏切られた少女は、「男」という生き物自体にあまり信頼を置けないでいた。ましてやこんな怪しさの塊のような男なら尚更である。一体何を企んでいるのかと鋭い目で見つめてくる徐倫に、男は参ったように笑ってクルクルとストラップを回し始めた。

「そんなもの繋がってるワケないじゃない。オモチャでも持ってるだけで規則違反よ、バーカ」
「フッフッフ、なるほど、結構お利口さんなんだな。おっと、馬鹿にしたわけじゃないんだぜ。本当にそう思っただけ。嫌われちゃったか?日系っぽい美人な子が居たから話す口実が欲しかっただけなんだけどなァ〜〜」
「……あんた、日本人?」
「そう、生まれが日本」

 父親と同じ場所で生まれた男。
 その一点のみ、徐倫は男に親近感を覚えた。だがそれだけだ。相変わらず信用おけたものではないし、これ以上関わりたくもない。期待の込められた視線をひと睨みで返してきた少女の背に、男は気にも留めていないように軽く声をかけた。


「必要だったらいつでも声かけてくれ、君みたいな美人にはサービスしとくぜ」

 返事は返さなかった。


 踵を返して歩き出した先で、同じ房のグェスが媚びるように近づいてきていた。また面倒な奴が、と徐倫は顔を顰めて背を向けようとしたが、それより先にグェスが回り込んで猫なで声で話し始めた。

「ハァイ徐倫、ごきげんいかが?あんたが"クスリ"を買うなんて意外ね〜」
「"クスリ"?何のこと?」
「隠さなくったっていいじゃない、あたし達の仲でしょ?ここじゃ珍しくないから大丈夫よ、購買には注射器だって売ってるんだから」
「ハァ〜〜?」

 徐倫が本気でワケが分からないという顔をしたので、グェスはようやく自分の勘違いに気付いたらしい。少々周りを後ろを気にしながら、彼女の肩越しに見える男が女囚に声をかけられているのを見た。
 嫌がる徐倫の顔を無理やり寄せ、目立たないように声をひそめる。見て、とグェスが指さしたその先では、男が女と妙に密着して談笑をしている。図書館でも食堂でも態度のでかい編み込みの女は、今日はやけに男に媚びへつらっていた。

「『水族館』で一番金持ちなのは誰か知ってる?あそこで威張り腐ってる女でも、警棒で囚人を叩くのが大好きな看守でもない。一番は間違いなく"売人"よ」
「……何か渡した」
「そう。どこから入手しているのかは刑務所の七不思議……だけど正真正銘の本物よ。ただ辺りをブラブラ歩いてるだけで、金を持った馬鹿なジャンキー共が寄ってくる。そのカネであいつは自由を買ってるってワケ。名前は誰も正確に知らない―――売人とかフライフェイス(火傷顔)とか呼ばれてるけどね」
「日本人らしいわよ」
「ウッソ!!」

 両手で口元を覆ったグェスは特ダネのスクープを聞いたように男を見る。欧米人には東洋人の見分けが殆どつかないらしいが、世界的に見ても平和で薬物や銃の似合わない日本とは確かに結びつきにくいのかもしれない。
 道を歩いていても看守は彼を咎めることはないし、囚人の誰もが注目はすれど乱暴に絡むこともない。その所為である種異様な空気を纏ったその男は、徐倫とグェスの視線に気づいたのか軽薄に笑って手を振った。その表情だけ見れば、腑抜けた日本人に見えなくもない。

(よく分からないやつ……)

 独自の方法でこの刑務所を利用する食えない男―――そういう印象だった。敵ではないが、味方でもない。そんな感じがする。三日月型に細まった瞳の奥には攻撃的なものはなかったが、愉悦の為ならば何でもする者特有の危うい色があった。
 煙草と甘い香のような、それでいて薬草らしいような香りが混じった複雑なにおいを持っていた。それに長身で黒髪……目の色と顔は似ていなかったと思う。
 余計なことは考えるな。
 どうせ厄介事なら向こうから舞い込んでくる。もし奴がこちらに刃を向けるなら、その時は倒すだけだ。感傷を振り払うように、徐倫はそこから足早に立ち去った。


 

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