「よっ、徐倫ちゃん」

 水族館、女子監房廊下。ちょうどひと気のない場所。
 すぐ後ろからかけられた声に、少女は振り返る前に拳の裏で迎えようとした。しかしいつも通り拳は空を切り、徐倫は金糸を揺らしてため息をつく。もう立派な大人である彼女を「徐倫ちゃん」などと日本的に呼ぶ者はこの水族館に一人しかいない。仕方なく横顔で振り返ればそこには嫌な予感どおり、胡乱な笑みを浮かべる火傷顔の男がいた。

「久々に見かけたかもな、元気してたァ?ムショに入ってすぐは女の子達みーんな肌が荒れるんだってさ」
「そーいえば最近おデコが………ちょっと!いかにも"親しい知り合い"みたいな声の掛け方しないでくれる?悪いけどあんた、信用できないわ」
「ひっでぇ!あー悲しいなー」

 この男のやることなすこと全てが胡散臭いというべきか、わざとらしいと分かってやっている節のある言動が嫌いだ。特に何も考えずに喋っているようにも見えるし、その逆にも見える。敵か味方かはっきりしない以上、深入りするつもりもない。
 徐倫はそれを示すように腕組みをして顔を背けているのに、男は嘘泣きを止めて機嫌良さげに笑うばかりで、それがますます彼女の形のいい眉を顰めさせた。

「だいたいさあ、いつもいつも後ろから声をかけるのはやめてもらいたいわね。正面から寄ってきたら避けられるのに」
「そォ言われちゃ真っ向勝負はできねぇな〜。まあ、なかなか自分で見ることはないだろうけどさ」

 男が大きな手を徐倫に伸ばす。いつも古着らしいエスニックな服装なくせして、爪は意外にも短く清潔に整えられていた。クオーターである徐倫の薔薇色の肌より黄色味を帯びた手肌は、彼女の父親に似ている。叩き落とそうとしていた徐倫の動きはそれだけで全く無意識に制されていた。
 固い指先が思いのほか柔く、子猫の産毛を撫でるような手つきで顎に触れる。睫毛が蝶のように瞬いた。

「君は振り返ったときの角度が一番美しいからな」
「な、………」

 思わず絶句する。
 可愛いだとか綺麗ならともかく、美しいだなんて形容詞を真正面から言われたことがある女など世界に何人いるだろうか。からかい半分や下心丸出しなら殴り飛ばせるというのに、天気がいいことを喜ぶような当たり前の調子で言われたものだから、反応が大幅に遅れてしまった。
 ハルイチはそのまま距離を詰めることもなく自然に手を下ろして、そのまま徐倫の脇を抜ける。じゃあまたな、と軽く手を上げて去って行く後ろ姿を見送る徐倫は、まるでハイスクールの少女のよりも初心に赤面して震えていた。

「……っこ、こ、こンの××××野郎〜〜〜ッ!!!!」

 廊下に響き渡る絶叫を受けて、ハルイチは堪えきれず喉を鳴らして笑いだす。如何せんそれが聞こえては追いかけっこになりそうだったので、男は角を曲がるきわで黙って少女に手を振った。


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寄ってくるのは悪い男ばかり




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