冬の空は薄灰色のフィルターがかかったように寒々しく、意図のないため息は白く溶けて行く。誰も彼も急ぎ足に次年への準備をする中、まだ受験勉強も遠い私は、今日ものん気に「霊とか相談所」へ足を踏み入れていた。 休日に何をするかといえば、ここで霊幻さんと他愛のない話をしたり出掛けたり、専らそんなところだった。刺激はないかもしれないが、不定休の事務所が最近土日の休みが多くなっている理由を自惚れるだけで浮足立つ、私にはそれで十分だった。
「お前毎日制服でよく寒くねえなー。スカートだろ?」 「もう慣れちゃったし、中にちゃんと着たら大丈夫ですよ。霊幻さんもそんなぺらぺらのスーツだと風邪ひきますよ」 「あん?安モンだって言いてーのかコラ」 「高いんですか?」 「安いけどよ!」
そんな代わり映えしない会話を飽きもせずに続けていると、壁に掛けられた時計の針がてっぺんを指した。 彼の腹時計はとても正確なようで、すぐにぐうと大きなお腹の虫が鳴った。それから「じゃあ何か作りましょうか」と私が言うのは、ごく自然な流れだったと思う。
料理上手ですと言い切れるほどの腕はないと思うけれど、簡単なものなら作れるはずだ。霊幻さんも一人暮らしで自炊もするのだろう、冷蔵庫には思ったよりたくさん材料があった。しかしビール缶のほうが多く場所を占めているのはいかにも彼らしい。
「ナポリタンとかどうですかね?」 「お〜上等だな」
調子のいい声が返ってきたのでほっと息をついたのは、ナポリタンならまだ慣れていて失敗なく作れるメニューだったからだ。 ここにはエプロンなんてものはないようだった。服に油が跳ねないように気をつけないといけない。玉ねぎとピーマンは細く切って、ソーセージとマッシュルームは輪切り。スパゲティを沸かしたお湯に投入したところで、霊幻さんが後ろに立って首に手を回してきた。 吃驚しながら呆れた顔で振り返ると、とびっきり甘い笑顔で料理の邪魔をしてくる。危ないですよ、と窘めながら解くことはできなくて―――とそこまで妄想をして、頭をくらくらと振る。
(そんなよくもまあ、ハリウッド映画じゃないんだから……)
お昼時を少し過ぎた部屋は陽射しとガスコンロの炎で暖められて、静かなのに浮かれた雰囲気だった。 だからバカな妄想をしてしまったのだ、と誰に対してでもなく言い訳をする。お酒でも入っていない限りそんなことにはならないだろう、と自分に呆れ果てながら何の気なしに振り返ったら、すぐ背後に霊幻さんがいて、菜箸と心臓を取り落としそうになった。
「きゃあっ!なっ、どう、どうしたんですか、ビックリした……!」 「いや、味見しようかなーと」 「まだ炒めたばっかりで味ついてないですよ、もう!あ、でもソーセージくらいなら……」
期待で高鳴る鼓動をどうにか表に出さないようにしながら、料理をしている母親の姿を必死に再現する。よくいい香りがして寄ってきた私に、菜箸にひとつおかずをつまんで口に放り込んでくれたものだ。 熱くないように息で冷まして差し出して、霊幻さんがソーセージに噛り付いたあと、私はやっと自分達の姿を客観的に見ることができた。料理をする女性のお箸から食べ物を食べる男の人。それは、私が思い描く「幸せな恋人」そのものの光景だった。
「……お、美味しいですか?」 「まあ、ウン、ソーセージだからな」 「ナポリタンもちゃんと美味しく作るから、待っててくださいね」
単純だな、とは思うけれど。 恥ずかしさから一度への字に曲げられた口元はとろりと緩んで、美味しい料理を作ろうという気持ちがぐっと強くなっていった。きっと想像上の彼よりも甘く甘く笑ったであろう私を見て、霊幻さんは面食らったような顔をして頷く。 バターとコンソメの香りを立てて、具材はじゅうじゅうと鮮やかに色付く。ピーマンの緑と、ケチャップの赤と、盛り付けの仕上げに粉チーズの白。イタリアントリコロールは美味しい幸せの証だ。
(ああ、恋人って感じだなあ)
ソファーに戻った霊幻さんが顔を片手で覆って耳まで赤くしていたことなんて露知らず、私は機嫌良く鼻歌を歌いながら「事務所にエプロンを買っておこうかな」と密かな計画を立て始めていたのだった。
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