台風明け、天気がいい。 街を歩く時は大抵、彼女が少し後ろを歩いている。混雑する交差点では横並びになるのが難しく、また歩幅の問題もあって、特に示し合わせたわけではないがそうなることが多い。 甘いクチナシの香り。 時折確認のために振り返ると、黒目がちの瞳をゆっくり瞬きさせて、嬉しそうに首を傾げた。その表情を俺が妙に気に入っているからかもしれない。
「はぐれんなよー」 「はーい」
短い言葉を交わしてスクランブル交差点を抜ける。 後ろを歩く少女と同じくらいの女子高生が通って、あの子よりも後ろの少女は幼く見えるなと考えてから、今の状況の犯罪くささを痛感してしまった。誰に言い訳するでもなく、誤魔化すように引きつった笑みを浮かべると、スーツの後ろ裾を引かれた。 タイミングがタイミングだけにドキリとする。慌てて立ち止まって振り返り、そしてさらにぎょっとさせられた。
「なんだそのブサイクな顔……」 「ど、どーせ美人じゃありませんよっ」 「何すねてんだよ、んー?」
人通りのやや少なくなった街角で、少女の大福のように膨らんだ頬をつつく。明らかに不満顔でそっぽを向く稚奈に、俺は全くといっていいほど心当たりがない。 歩くのが早かったか?何か約束を忘れてるとか?いや、この少女はそもそも怒るということをあまりしないし、約束なら俺だって忘れはしない。怪訝そうに眉を寄せたら、少女はばつが悪そうきしょんぼりとして、スーツの裾をいじくった。その仕草はどこか小動物じみている。
「………霊幻さん、さっきの女の子見てた……」 「ああーーー」
やっと合点がいって気の抜けた声をあげる。確かに美人を見れば振り返るのが男の性だが、さっきのは別にそういった意味合いではない。それにもともとあまり若すぎる女は好みではない。……なかったはずなのだけれど。 ずいぶん可愛い嫉妬だななんて思ってしまっていることを、死んでも悟られたくはなかった。 言い訳もせずに納得したような反応を示したからか、稚奈はさらにムキになったような顔でローファーでコンクリートを踏みつけた。決意を宿した目に、何となく嫌な予感がする。
「霊幻さん、チューして」 「はっ?チュー!?ここで!?」 「ここで!」
いい年こいてチューなんて口に出してしまったことも恥ずかしいが、こんな人目につく場所で流石に実行する度胸はない。 ブルーグレーの生地を握りしめた手は強く、皺になろうが何をしようが離さないつもりらしかった。距離が近くなると、不意に花の香りが鼻孔をくすぐる。 非常にまずい。 こうなったら稚奈はテコでも動かない。じっと見上げてくる黒い瞳に、白目を剥きそうなほど真っ赤になった自分の顔面が映った。羞恥で死ねるものなら死んでしまいたい。
「………」 「………うぐ、」
もはや退路は絶たれた。 自分に非はないはずなのにだとか、行動してしまった方がすぐに解放されるだとか、頭の中で混乱した大会議が開かれる。そうして腕を伸ばしたら、自分から言い出したくせに少女は身を固くして、潤んだ目を少し泳がせた。 ああもう、勘弁してくれ。こういう雰囲気は苦手なんだよ! 手をそのまま稚奈の頭につけて、真ん中分けにされた前髪の間に一瞬唇を埋めた。ほんの額に小さく触れただけ。視線は決して彼女に向けることができなかった。
「……れ、霊幻さんのへたれ」 「うるせーー!お子様にはこれで十分なんだよ、ホラさっさと行くぞ!」
十分顔を赤くして動揺しているくせに、憎まれ口を叩かれたことは分かっていた。それも問いただす余裕がない。 あんな恥ずかしいことをするくらいならもう余所見などするものか、と心に誓いながら、少女の手を引っ張ってまた中心街へと足を進めた。笑い声が聞こえたが、努めて聞こえないふりをする。
カッコつかないのはお前の所為なんだぜ、とは結局言うことができなかった。
アラン・ドロンは遠い
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