久々に気分が良い。
 モナコから帰国したその日、快適な空の旅のおかげで元気だったのでそのまま買い物に出かけた。ショーウィンドウに映る美女が微笑み、美しい顔と肌を惜しげもなく出して歩くのが爽快だ。チャイナドレス状の肩が剥き出しになったグリーンのワンピースは、黒髪と赤いリップに殊の外よく似合う。
 ブティックに入っては店員にちやほやと褒められながら試着をし、使うあてのない貯金を派手に使って気前よく散財するのが最高に楽しかった。たまにお金にも風を入れないと腐ってしまうというものだ。この顔で似合う服が元の顔で似合うかは分からないが、それはご愛嬌。色とりどりの紙袋やら箱やらを後部座席に積み上げ、さすがにくたびれて、昼食にレストランを探すことにした。

(あ、あそこいいかも)

 明るい漆喰の外装にはめ込まれたアクアリウムに熱帯魚が泳いでいる、どうやら気楽なイタリアンのようだった。本日のおすすめの品、とチョークでカラフルに書かれた黒板が置かれている。鰆のグリルにカラスミのスパゲッティ、アクアパッツァ。窓には乾燥させたパスタや唐辛子が透明の酒瓶に飾られていて、陽の光をたっぷり受けてきらきら輝いていた。
 予約もしていない飛び込みならこんなお店がいいかもしれない。駐車場に車を停めてクラッチバックを片手に、ほとんど鼻歌交じりでドアを開け―――

「つまり犯人は……あなただ!!」

 突然ちょび髭の男に指さされ、身に覚えのない事件の犯人になった私は、弁明もできずぱちぱちと瞬きをすることになった。


 XXXX


 さて、事件の説明に移ろう。
 24日の夜または25日未明、アクア・モーテルと言う名のイタリアンレストランで誘拐事件が起きた。オープン準備にやってきた店員が店の窓ガラスの破損を発見。恐る恐る中に入ると紙に包まれた石が落ちていて、その紙を開くとワープロ打ちの声明文があったらしい。

 "アクア・モーテルに抗議を申し立てる。度重なる不正にはもはや我慢ならない。25日の夜までに店を閉じて看板を下さなければ、料理長の命はない。もちろん警察に連絡しても同様である"

 文面のとおり一番はじめに出勤しているはずの料理長・平泉克成が行方不明になっている。家族に宛てた身代金目的ではないらしい。不測の事態に困り果てたアクア・モーテルの店員たち。たまたま別の依頼でこちらに赴いていた名探偵の毛利小五郎が来店し、天の助けとばかりに縋り付いて助けを求めた……というのが事の顛末らしい。

「いいですか、犯人は『看板を下ろせ』と言っていることから恐らくここを監視しているものと思われます。カメラらしきものは発見できなかったので、朝から一向に動きのないこの店にやきもきして、昼には一度ここに戻る!と推理したわけですよ……」
「それで、来たのが我々ですか」
「昼にレストランに来て犯人にされちゃ堪んねえーよ!」
「(すごーい、毛利小五郎だ……)」

 テレビや新聞で見る背の高いちょび髭の名探偵は、実物の方が渋くてハンサムだった。他に客は2人の男性。髭の生えた若くて威勢のいい男と、白髪混じりの髪を撫で付けた初老の男。思ったより繁盛してないのかひとり客ばかりだ。毛利探偵のそばには何故か眼鏡をかけた小さな男の子と、その後ろに若い男。褐色の肌に明るい髪色の甘いマスク―――知った顔だ。
 何故ここに、と昼の明るいレストランにも探偵側にも馴染まないその男をあまりにじっと見つめていると、当然ながら目が合った。手でこっちに来てとハンドサインを送ると、きょとんとしたやけに無防備な表情で安室透が歩いてくる。

「ここで何してるの?」
「え?」
「………あ」

 そういえば今は顔が違った、と気付いたときには遅かった。大きな目の瞳孔がキュウと小さくなり、底冷えするような色に様変わりする。組織にはベルモットのように表の顔と職業を持つ人間も多くいるが、バーボンもその手のタイプだったらしい。自分が完全にオフだったのでそこまで頭が回らなかった。ごめん。
 バーボンこと安室透もこちらの声で私が一体誰であるか検討がついたのか、一瞬考えを巡らせるように眉根を寄せた。おそらくベルモットかどうか悩んだのだと思う。しかしすぐに後ろから近づいた小さな気配に、また別人のようにころりと笑顔になる。

「本当に仕事じゃないんですね」
「ああ、うんうん。信じがたいとは思うけど今はオフだから安心して」
「おねーさん、安室さんの友達なの?」
「えっ……」

 小学生くらいの男の子がこちらを見上げて、あどけなく首を傾げている。大きな眼鏡と青いジャケット姿。ぴょんと跳ねた髪と蝶ネクタイが微笑ましい。そして小さなシルエットには似合わない、夕陽のなかのように長く伸びる影が形どる―――"決して明かせない秘密"!
 思わず言葉を失ってしまった。可愛い男の子だ。決して邪悪な感じはしない。だからこそ彼の背後を覆うようなあまりに大きな秘密のベールが不釣り合いで圧倒された。まさかバーボンの息子じゃないだろうな、と動揺を飲み込んで声を落ち着ける。
 
「こ、この子誰?」
「彼は江戸川コナンくん。僕が弟子になった毛利小五郎先生のところの、居候の子ですかね。なかなか着眼点が鋭くて将来有望なんです」
「あー、そう、今っぽい名前だね」
「彼女は五十嵐真美さん。僕の探偵業の協力者です。彼女も優秀なんですが……他の同業者にも重宝されてるタイプですからね」

 うまい台詞だ。
 安室透の表の顔は探偵で、毛利小五郎の弟子としても活動中。私の名前は五十嵐真美。この言い方だと情報屋かなにかで、時として商売敵になることもある相手。設定を頭に叩き込みながら、少年のレンズの奥から探るような視線に微笑み返した。
 なんだかずいぶんと疑われてるようだ。私がというよりは安室透が。オフの日にとんだミステリーに巻き込まれてしまった。白壁のレストランには、探偵、容疑者、大人のような子供、探偵のふりした重犯罪者、そしてただの重犯罪者が詰め込まれて、誰も彼も嘘で身を固め合っている。
 コナンくんはいかにも子供らしい、甘えた声で言った。

「でも安室さん、なんですぐ声かけなかったの?」
「いや、彼女雰囲気がだいぶ違ったからね……驚いたよまったく」
「まあ仕事のときしか会わないもんね」
「今日はお休み?」
「そうだよ、コナンくん」

 話してるあいだに毛利小五郎が順々に容疑者の名前と職業を聞き出している。探偵相手に下手な芝居をすると怪しまれそうだから、先に答えることが決まっているのは助かった。冤罪も困るが、叩いたら埃の出る身なのであまり何でもかんでも嘘をつくのは危険だ。
 毛利探偵がこちらに大股で来て、悩み顔のコナンくんの襟首を掴みあげる。背が高い彼に捕まるとまるでぬいぐるみのようなサイズに見えた。

「コラ小僧、ちょろちょろするな!……失礼、あなたは?」
「五十嵐真美です。職業はええと、知り合いの助手とか秘書ですかね」
「彼女の身元は僕が保証しますよ!」
「なんだお前の知り合いかよ……しかし五十嵐さん、ご安心ください! あなたのような美しい方が犯人とはもちろん思っておりません。私の推理では犯人は男性ですからね」

 あ、そうなんだ。
 自信たっぷり不敵に笑う探偵を、メガネの少年が「オイオイ」とでも言いたげに半目になって見ている。毛利小五郎はなんというか真っ直ぐで裏表がなくて安心した。探偵なんてミステリアスな職業には向かないんじゃないかと思うほど、人柄も影も揺らぎがなく感心するくらいだ。
 とりあえず名探偵の容疑者から外れているからか、席に座ってくつろいでいることを許されているらしい。いい加減にあてどない散財はやめろってことかな、と隣にチョコンと座った少年を見る。

「真美さんてお金持ちだよね」
「そう見える?」
「うん! だってドレスはピカピカだし、このキー高い車でしょ?」
「男の子って車好きだよねー。いやあ、これ友達に私の車貸したときにぶっ壊されちゃってさ……で、代わりに買わせたの! アハハ!」
「ア、アハハ……」

 モナコ帰りの美女の振る舞いはどうにも気取っていて疲れるので、子供相手ということもあっていつものテンションで話してしまった。コナンくんはちょっと複雑そうに苦く笑ってみせたあと、内緒話をするように少しこちらに身を寄せてくる。

「ねーねー安室さんとどんなお仕事するの?ボク、探偵さんに憧れてるんだ!」
「どんな仕事かあ、説明が難しいけどほんと色々だよ。あっちが優秀すぎてあたし必要か?ってときもあるけどね、ムカつくことに」
「他にもいるの?真美さんみたいな人」
「それはねえ……」
「もう仲良しになったのかい?」

 少し離れて聞き取り調査をしていた安室がにこやかに近寄ってくると、コナンくんが明らかに焦って表情を崩した。バーボンは私に牽制するような視線を送る。それでも表面上はニコニコ笑い合っている二人を見ると、これまた奇妙な関係だ。コナンくんがその「鋭い着眼点」で彼をなにか疑っているのならまだしも、安室のほうも少年と私が話すのを警戒している。こんな小さな子供相手に。
 なんなんだろうこの二人。
 確かに後ろ暗いところはあるが、この場合気にかけるべきは難事件をいくつも解決した名探偵の毛利小五郎じゃないのだろうか。それとも彼は隠れ蓑に過ぎず、近づいているのは他に特別な理由でもあるのかもしれない。

(確かに不思議な子だけど……)

 コナンくんは逃げるように去っていき、それに安室も続いて席から離れる。

 最近は妙な相手によく会うが、また毛色の違う歪さだ。影はその人物の歩んできた人生や教養が形取るから、どんなに若作りでも樹木の年輪のように現れる。そういう意味では江戸川コナンはなんというか、影が"身の丈に合ってない"。見たところ小学生くらいだが、影は大学生くらいの年齢に見えた。
 そう、ベルモットとは逆だ。
 背筋が冷たくなる。まったく見えることが多いのは別に良いことじゃない。余計なことを知って自分の首を絞めるだけだ。頬杖をつく丸い机に置かれたナプキンには、アクア・モーテルの文字と可愛い魚の絵が書いてある。水槽に入った熱帯魚が忙しそうにちらちらと泳いでいるのを見ながら、昼ご飯を食べそこねたお腹をさすった。
 さようならアクアパッツァ、こんにちはミステリー。さあ、探偵役は彼らに任せて気楽に解決編を待とうじゃないか。






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