さて、稲葉真美ことジンジャーには誰が呼び始めたのか、"ディーラー"というもう一つの呼び名がある。
 ゲームの進行、カードやチップの回収を担い、客から金を巻き上げて胴元の懐を暖める。加入した任務には必ず巨額の利益が見込める破格のカジノディーラー。まさに金の力で幹部にまでのし上がった女、という揶揄でもあるのだが。

「ターゲット補足、異常なし」
『こちらも異常なし』
「"ボーナス"、あんたは?」
「異常なーし」

 左目に蝶の刺青のあるショートヘアの女、キャンティがフンと鼻を鳴らした。通信機の向こうからはコルンが沈黙で答える。ここまで明け透けなあだ名で呼ばれるのはこのスナイパー二人組くらいだが、ジンジャーは相変わらずあっけらかんとした笑みで返した。
 任務において大きな利潤が出たときは本人が特別報奨金を受け取り、作戦に協力した人間にも配当金が出るので「ボーナス」というわけだ。ひねりがないしムカつくが妙に落ち着くのは、バーボンとの腹の探り合いの後だからか。二人の背負った数多の殺人という影を慣れで無視できるようになってからは、それほど彼らとの任務を嫌ってはいなかった。

(でも今回の任務でボーナス出せって言われてもなあ……身代金でも取る?)

 今回の仕事は単純だ。
 北城銀行の「用済み」になった上役を始末するため、彼らの狩場を作ること。名前だけのビルのオーナー役を務め、ここの下見の予約を手続きする。あとは二手に別れ、隣り合ったビルに車で案内するだけの簡単な仕事だった。現にジンジャーは今のところ運転と電話しかしていない。
 味気ないゼリー飲料を飲みながらジンジャーは双眼鏡を覗く。天気は快晴で無風。ヘッドショットには最適な状況だが、屋上には容赦なく太陽が降り注いでいて暑いくらいだった。だと言うのにキャンティは仕事前の栄養水分補給のあとなにも口にしないで、まんじりともせずに待っている。

「スナイパーって大変だね」
「アタイだって待つのは嫌いさ。こうやって野郎の頭をブッ飛ばす瞬間を待ってると思えば楽しいけどねぇ」
『俺も……楽しい』
「趣味と実益を兼ねた職業かあ、人生の理想形ってやつだね!犯罪だけど」

 “法に触れている”というのは差し引くには大きすぎる問題だ。殺しという犯罪の影は一生その人に被さったままで、薄れることは稀である。彼らやジンのように日常的に行いすぎて麻痺してしまうことはあっても、消えてしまうことはない。他人の命を奪うことに快感を覚えた人間はそうそう元には戻れないからだ。
 しかしこの仕事に関しては適材といえる。少なくとも未だに人殺しには抵抗があるせいで幹部になっても下っ端のような仕事を回されながら利潤を上げるしかないジンジャーにとっては、彼らの欲望に忠実で割り切った生き方は少々羨ましく思えた。

「そういやあジンジャー、アンタの恋人がスナイパーだって話マジなのかい?」
「え?」
『ドジ踏んでジンに殺された』
「そんなことになってんの?!」

 キャンティとコルンから知らされた話にジンジャーは思わず声を上げる。噂には尾びれ背びれがつくものだが、やけに具体的な内容になっているではないか。ジンジャーは双眼鏡から目を離さないまま、どう答えたものかと頭をひねってしまった。
 正直に言ってしまえば、分からない。そもそも組織入りしたのは彼が死んだ後だ。男のコードネームや役割、何故、どのように命を落としたのか。当時関係者ですらなかった真美にはまったく知り得ないことだし、それを探るために今こうやって―――犯罪の片棒を担ぐ羽目になっている。
 ジンジャーは芳しくない調査結果を憂いてため息をつきながら二人に答えた。

「さあ、こっちが教えて欲しいよ」
「なんだい、退屈しのぎにもなりゃしない」
「そっちは1、2年前くらいまでで死んだスナイパーって心当たりある?」
「ふん、スナイパーってのはこの国じゃ珍しいのさ。組織で死んだ奴はごまんといるけど、狙撃手はそう多くない」

 キャンティが一人答える。コルンが通信機越しにもう一人の名を呟く。ジンジャーは聞いた名前を頭に刻み込むように飲み込み、それから「ふうん」と気の無い返事をした。
 仕事の刻限が迫っている。まさか自らを死地への案内役とは知らない秘書が件の男を先導し、ビルの縦すべり出し窓が開いたのはほんの数センチ。全員が標的を確認する。真美は彼の影に一瞬違和感を抱くものの、距離が遠すぎてあまり見えなかった。位置取りは隣ビルのコルンの勝ちだ。

「チッ、ハズレかよ」
『撃つ』
「ああ、やっちまいな」

 ―――パシュ、と軽い音。
 サイレンサーを通った銃弾は真っ直ぐに男の米神を貫き、ぱっと壁に血の飛沫が花のように咲いた。標的はもんどりうって倒れ、秘書が大きく口を開けて戦慄している。聞こえはしないが悲鳴をあげたのだろう。哀れなターゲットは確かに息絶え、双眼鏡越しにそれを見届けたジンジャーは胃液がせり上がってくるのを感じた。
 いつまでたっても慣れない。
 慣れてたまるものか、こんなの。

『場所、バレた』

 用が済んだならさっさと撤収しようというところで、コルンからそんな信じがたい報告が聞こえた。

「え?」
「ってことはこっちが本命だね」
「いやいや、ちょっと待ってなんで銀行員に場所バレるわけ?」
「はァ?ああ……なんだ聞かされてなかったのかい、奴は"こっち側"の活動家だよ。私設軍隊って言ってチンピラも雇ってる危ないやつさ」
「聞いてない!なにそれ!?あたし組織のこういうところほんっとキライ!!」

 さっきの違和感の正体が判明した。送られてきた資料に大前提として書くべき項目ではないのか。もちろん手続き上で足がつくような下手は打っていないはずだが、こちらの調べが甘いとでも言うつもりだろうか?
 ジンジャーが組織に思いつく限りの呪詛を頭の中で送り続けているうちに、コルンがあらかじめ逃走ルート用に渡していたワイヤーをミッションインポッシブルよろしく渡ってきてビルを素早く移動してくる。キャンティもベストにフックをしっかりと装着し、手際よく愛用のH&K PSG-1をケースに入れて背負った。

「ど、どう、どうするの?!あたしこういうの慣れてないんだけど!」
「コルン、ボーナス抱えな」
「暴れるな」
「いやちょっと、ねえ、これ逃げるんだよね?あたし今すっごく嫌な想像してるんだけど、違うよね?こっちから襲撃とか……」
「あんたの想像通りだよ。何ビビってんのさ、楽しいじゃないか。これから哀れな羊みたいに群れてる奴らを派手に殺れるんだからさァ!」
「我的天!!最悪!!」

 コルンに無造作に腹を抱えられ、ジンジャーはいよいよ顔面蒼白になって必死に制止したが、男の腕は鋼のように頑強でほどけそうにない。キャンティの瞳孔がきゅうと開き、彼女は好戦的に舌なめずりをする。スナイパー二人は慣れたように腰から伸びるワイヤーの強度を確かめ、そして屋上の縁を蹴った。
 空前の浮遊感。
 悲鳴も上げられない。
 総毛だつような感覚のあと、黒い塊となった三人が二階下の窓に振り子の原理で近づき、凶弾が彼らの平穏を切り裂いた。

 ―――ドン、ドン、ドン!!
 ―――ガシャアアン!!!

 もはや隠しもしない銃撃が6発、コルンの腕からみぞおちに衝撃が届く。派手にガラスが割れ、二人のブーツの踵が窓を割り入って着地するまで約1秒。中には数人の男がいたが、まさか窓ガラスから登場するとは思っていなかったのか懐の銃を取り出す時間もない。
 両手に黒光りするコルトM1911を構えたキャンティのはしゃいだ子供のような嬌声が断末魔に被さる。ベレッタM92を片手に撃ちまくるコルンの無言も恐ろしかった。ジンジャーはビニールを握り込んだ手で耳を押さえ、轟音の中で神に縋る祈りのように唱える。

「Forget-Me-Not、Forget-Me-Not……!」

 瞬きするたびに人間が膝から崩れ落ちていく。弾丸の雨が降り注ぎ続けたフロアにはやがてうめき声もしなくなり、動くものはいなくなってしまった。硝煙のにおいがつんと鼻をつくころに思い出したように死体から血潮が流れ始め、大理石調のタイルを真っ赤に汚していく。
 床に降ろされたジンジャーはぐるりとその惨状を見たあと、手に丸めて持っていたビニール袋を開き、そしてのどを突き上げてきた胃の中身をぶちまけた。

「うぇええっ、えっ、うげえ……」
「キャハハハ!なーにゲロってんだよ!」
「げえっ、ぺっ………もォ……あのねえ……揉み消しも偽装も掃除も赤字なんだよッ!殺人ってマジで採算合わないって!言ってンのに!あたし赤字は出せないの、わかる!?」

 青い顔で口元を拭い、吐瀉物の入った袋はきっちりと縛り上げて怒声をまくし立てるジンジャーに二人は驚いて顔を見合わせた。鬼気迫る切羽詰まった表情の女は、部屋を見渡して何度も何度も瞬きをする。そのたびに殺人現場の写真家のようにそれを記憶した。
 血溜まりに倒れる男。濃いグレーのスーツにキャメル色の革靴。倒れた位置は全体の一番後ろで、銃は手にしていない。数秒目を閉じて何か考えを巡らせたあと、ジンジャーは手袋を付けなおして二人を振り返った。

「指紋付かないように銃全部捨てて」
「ああ?何でだよ」
「持ってるほうが損だよ!早くッ!」

 急かすように指で床を示す茶髪の女は、さっきまで震えて嘔吐していた女と同一人物には見えなかった。瞳がギラギラと危なく光って妙に迫力がある。キャンティとコルンが仕方なく指示に従って銃の類いを下ろしている間、ジンジャーは男のジャケットの胸元を弄った。
 ポケットから財布と携帯を取り出し、素早く中身を確認する。息が狂ったまま整わない。肩で荒く呼吸をしながら、女は血走った目で再び唇だけでそれを唱えた。

「…………、」

 眠りの小五郎という探偵がいる。
 有名な話だが、眠ったように座り込むと途端に鋭い推理力を発揮し、瞬く間に事件を解決するという。ジンジャー、いや稲葉真美の場合―――それは"死"らしかった。
 死の気配が漂うと、彼女がいつも感じている影の存在はより克明になる。生者と死者の境界が曖昧になるとでも表現するべきだろうか。幽霊と言い切るには朧気すぎるが、死んだ人間の痕跡が"視える"ようになる。
 この男が鍵の管理者だ。
 銃撃戦が始まった瞬間一歩下がり、皆が左ポケットの銃を取り出そうとしたときには右ポケットを守るように触ったらしい。ボッと燃え残った黒い火のような意識が残留していた。それは彼の身に着けていたものにも点々と澱がごとく残っている。

(1、2、8……2か……)

 金庫は分かりやすい場所にあった。分厚いオーク材の低い棚に鍵がついている。胸ポケットにあった小さな銀のプレートがついた二つの鍵がそうだろう。男のスマートフォンを傾けて日にかざし、じっと痕跡を確認した。
 ジンジャーは鍵を回して扉を開ける。中型の白い耐火金庫が現れ、数字の並ぶテンキーとシリンダー錠の複合型のようだった。指を丸めて第二関節でキーを押して行き、シリンダー錠を差し込めば―――扉はガチャンと音を立てていとも簡単に開いた。

「うわ、開いた!」

 思わず声が唇からあふれる。まるで映画か何かのようにあまりに上手くいったので本人が驚いてしまったくらいだった。
 中には現金が数千万と封筒に入れられた書類。予想通りこちらは権利書の類のようだ。ただの活動家にしてはひどく潤沢な資金を持っているらしい。

「キャンティ! 鞄貸して」
「はいよ。っていうかアンタ、何で金庫のパスを知ってたのさ。ここが事務所だってのは知らなかったクセに」
「いやあたしも知らなかったってっ」

 ライフルケースの隙間にばさばさと無造作に金を詰め込みながら、ジンジャーはやけに興奮して上ずった声で答える。彼女は今ほとんどトランス状態に近かった。マジックのタネを明かすのも推理ショーをするのも慣れていないが、求められているのなら答えようと、土地の権利書らしい署名を確かめながら声を高くする。

「スマホのパスコード部分にべたべた指紋がついてるのは1と2と8だけなのね。0がないから該当する4桁の生年月日は12月28、12月18日、11月28日で、開いたのが1228!
 で、スケジュールにある嫁の誕生日がそれにあたるってことは、会社の金庫に使うのはバレやすい家族じゃなくて、愛人の誕生日2月6日の0206ってわけよ!」
「はあ?」
「なんで愛人いるって分かる……」
「色々あるけどシャツと靴下だけ安物の新品だし、朝帰りでコンビニで下着を一式買って使ったっぽいとか。あとメールとか。男が思ってる以上に浮気見つけるなんて簡単よ。ほーら、ここに早朝のレシート」
「あんた、探り屋もやってんのかい?」
「まさかァ!アハハ!まぐれだよ!やーこれでジンにどやされないで済むしあたしの売り上げ伝説も更新!ところで6千万って巨額に入る?入るよね!」

 もちろん、全部後付けである。
 実際の因果関係は逆だ。答えが散らばっているから道筋が分かったのであって、道筋をたどって真相にたどり着いたわけではない。クスリでもやっているのかと言うほどハイになった女の推理は、説明が不足していて破綻しているように聞こえた。だが実際に金庫が開いたのだから正解なのだろう。金を詰め終わった女は振り返り、嘔吐するほどの惨劇のなかで、自分が世界一幸せな人間であると信じているかのように明るく笑っている。
 それが妙に寒々しい。
 気味悪そうに身を引いていたキャンティとコルンだったが、ヘッドショットの標的はいつもより充実していて、当初の期待通りボーナスは手に入る。人格はともかくジンジャーの手際を認めた二人は、撤収の際の彼女の指示に従った。まだ高い日に照らされ、影も形も残さず、黒衣の者たちは堂々とフェアレディに乗り込んだ。

 5月19日正午過ぎ。北城銀行の役員が狙撃される事件が起き、ほぼ同時刻に50mほどの距離にある産業ビルで7名が死亡しているのが通報により発見された。権利書などが持ち去られていることから、以前同氏と揉め事のあった暴力団関係の者が容疑者に上がったものの、証拠不十分のため逮捕には至らず、真相は闇の中である―――。
  
 
 XXXX


 分厚い遮光カーテンの奥からは、遮られた陽光が細く差し込んでいる。乱雑に積み上げられたダンボールが数個に錆びたドラム缶。コンクリートの床に机と椅子がひとつずつ無造作に置かれている。
 いかにも打ち捨てられた倉庫といった場所で、バーボンはいつも浮かべている笑みとはまるで違う、冷たく厳しい表情で息を殺していた。

(死んだ恋人はスナイパーの可能性あり。元々中国人なのは確定か。調査能力は予想通り高い、か?)

 数台の盗聴器から拾った音声。今回キャンティ、コルン、ジンジャーが動いた任務の手配など諸々を裏で担当したのはバーボンだった。そこには数台の盗聴器を仕掛けていたが、発見されなかったようで何よりである。
 ジンが疑わしきは罰するという男ならば、疑わしきは徹底的に調べ尽くすというのが安室透という男だった。組織内の手がかりならばどんな小さなことでも収集しなければならない。調べても調べても本人の自己申告通り本当に会社員としての過去しか出てこないような、不可解な人物ならなおさらだ。
 彼らが持ち場から離れ、任務完了の報を上にしたところで安室は通信を切った。
 
「……妙だな」

 奇妙なことが多すぎる。
 ジンジャーは男が鍵を任されていると知っているかのようだった。愛人がいたことが勘で分かったとしてもそのままイコールパスコードになるとは限らない。自分が情報を握っていることを隠すための演技だったとしても、理由が判然としない。殺人を嫌って嘔吐するくらいなら事前に止める方法はいくらでもあったはずだ。
 確信の部分の何かが足りない。
 いくつかのピースは揃っても、中心のパーツが見つからないせいで解けないパズルを組み立てている気分だった。彼女の死んだ恋人についての調査も思うようにいかず、男は苛立ちのあまり舌を打った。外は汗ばむような陽射しだが、部屋の中はひんやりと湿っている。安室は作戦を練り直すために機器を外し、そして早々にその場から姿を消した。






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