港区、南都貿易東京本部。
 業務を終えた会社員たちと入れ替わるように施設に入館し、ゲストカードを首から下げて磨き上げられた大理石のフロアを進む。男はボタンダウンシャツに着替え、グレーパンツに合わせた紺ジャケットのアメトラスタイル。女は短いツイードジャケットを羽織っただけだが、立ち振る舞いはまさに営業職のそれだった。エレベーターの扉を押さえ、通りがけのビジネスマンに愛想よく頭を下げる姿など実に堂に入っている。

「慣れてますね」
「元会社員だから」

 まだ言うか、と笑顔の裏でバーボンは呆れて感心すらする。彼らの所属する組織は構成員の数こそ多いが入り込むのは簡単ではない。あらゆる諜報機関が勢力をあげてルートを探し、地獄のような綱渡りをしてやっと潜入できる場所だ。そして成功したのち、志半ばで散っていく者のほうがはるかに多かった。
 裏稼業の人間にも色々あるが、どこかで諜報員や特殊部隊だった者が居場所を失い、引き抜かれた場合もあるだろう。突出した能力を持つ犯罪者の可能性も少なくない。しかしジンジャーが元々がただの会社員―――なんてことはありえない。どう突飛な幸運が続いたとしてもだ。

「SQジャパンの安室と申します」
「稲葉と申します」

 バーボンとジンジャー、もとい安室透と稲葉真美は用意していた名刺をそつなく交換とお決まりの挨拶をした。国を行き来する貿易業界では珍しくないのか、少し日本人離れした二人の容姿への不信感など抱いている様子もない。
 相手の男も同じく二人。四十代半ばの髭の男と、それよりは若い眼鏡の男。やはり怪しんでいる様子はなく、打ち合わせがにこやかに始まろうとしていた。

「さて、先にお送りした資料のとおり、現在弊社では英国家具の輸入販売を予定しています。一ヶ月間かけての大規模な搬送になりますので、是非ご協力いただければと思うのですが……」
「伺っております。お見積もりのとおりでこちらとしては問題ありません。お運びするのは家具のみでしょうか?」
「いいえ」

 安室がはっきりと否定した。
 とたんに男の纏う雰囲気がガラリと変わる。彼はゆったりと背もたれに体重をかけ、両指を胸の前で合わせて慇懃無礼な態度をとる。それは本性を出したというよりは本当に顔のよく似たまったくの別人が現れたかのようで、隣に並ぶ彼女ですら薄気味悪さを覚えるほどだった。
 ジンジャーと稲葉真美には明確な境界線がない。必要があるから使い分けているだけだ。だがバーボンと安室透にはある。表情の癖や目の色、指先の動かし方に至るまでだ。纏う影の揺らめきすら変化させて、男はそこに佇んでいる。
 気圧されている二人の前に、真美がガンッという大きな音を立てて携えていたブリーフケースを机の上に置いた。

「実は見積もりに入っていなかったものがありまして、即金でご相談したく……そのお話の担当は、あなた方でよろしいでしょうか?」

 なんて白々しい言い方が似合う男だろう。誰よりも柔らかい顔つきをしているというのに妙に威圧感がある。相手方の二人は冷や汗をかいてはいるが入れ替わる様子がなかったので、真美はそのままケースを開錠してみせた。
 現金で一億円。思わず上がった生唾を飲み込む音。並べられた大金のビジュアルは頭を殴りつけるようなインパクトがある。
 
「回りくどい話はナシにしましょう。お互いが手を取って口を噤んでいれば儲かる話です。まさかこんな"小さな額"で腰が引けているなんてことはありませんよね」

 まさしく独壇場だ。ぺらぺらと滑らかに出てくる言葉だけで完全に主導権を手にしている。元々予定になかったが真美の出る幕はないようだった。彼らの裏事業を知っている格上の相手で、間違いなく大口客。商売人としても決して邪険にはできるはずもない。男たちは持ちかけられた契約に頷くしかなく、安室に言われるままに「現物」のある倉庫に案内せざるを得なくなった。
 案内人は別の二人。片方は腕には覚えがありそうな男だったが、どこにそんな力があるのかバーボンの一発で昏倒し、もう片方はジンジャーが後ろ手にハンカチに染み込ませた薬で口元を覆ってダウンさせた。

「―――とまあ、こんなところですね」
「まあ〜スマートだこと。毎回こうだったら助かるんだけどな〜」

 倒れ込む直前に仰向けに転がされた男の首元からカードキーを奪取する。ここの見取り図は建設時の記録から割り出しているので案内は必要ない。第二非常口と書かれた扉から東方向に50メートル。継ぎ目なく近代的な外装の倉庫には、不釣り合いな南京錠がぽつんとぶら下がっていた。

「あ、しまった。普通の錠前もあったのかー……探してこようか?」
「こじ開けたほうが早いですよ」
「引きちぎるの!?」
「あなた、僕を何だと思ってるんです?」
「ああ、アハハ、ピッキングね! いやバーボンならできるのかなと思って」

 映画みたいに、と悪びれずに笑うジンジャーにわざとらしくため息を吐きながら、バーボンは持っていた細い金属でものの数分もかからず鍵を開けてしまう。本当に彼一人で問題なかったのではと思うほどの有能ぶりである。
 カードキーをかざして倉庫の扉を開けると、中には同一の大きさに揃えられた大量の箱が几帳面に積まれている。ラベルだけは大小さまざまだったが、そのどれもが読めないように塗料で潰されていた。きっとこれが通常の輸入品と見分ける目印なのだろう。真美は嫌な予感が背中を這いあがってくるのを感じる。二人は手袋をはめて近くの箱を開け、服飾品の下で黒光りするそれに一瞬表情をなくした。

「うわー」
「想定していた中では最悪ですね」
「これならクスリのほうがマシだった。アサルトライフルってやつでしょ、日本で使う機会あるの?もしかして戦争とか起きる?」
「そういう話は聞きませんが……さて、どうしますか」
「退散に一票」
「残念ながらそれは却下します」
「じゃあ聞かないでよ!」

 これだけ大量に密輸しているということは買い手がついているということ。そして比較的何かに紛れ込ませやすいクスリと違ってスペースを取る火器類は運搬コストが高い上に足がつきやすいリスキーな代物だ。少なくともこの程度のセキュリティでは遅かれ早かれ露見する。
 ジンジャーとしては一分一秒でもはやくここから消えて痕跡を消してしまいたいところだったが、バーボンは引き下がる気はないようだ。調査したのなら最後までとでも言いたいのだろう。

「さて、そろそろ我々の動きもバレる頃です。この大量の武器をなんとかして撤去か無効化し、かつここから逃げ出さなければなりません」
「そこで?」
「耳を貸してください」
「はいはい」



 XXXX



 ――――ガシャァアアン!!

 建物が地面ごと揺れる衝撃に、スタッフは揃って何事かと窓に視線を向ける。するとなんと社内で扱う中でも最も大型のトラックが、搬入口のフェンスをを破壊しながら全速力で走り出していた。
 そのほぼ同時刻、検品という名目で倉庫に向かったはずの二人が戻らないことを不審に思ったスタッフが、道中の道具入れに転がされている案内の者を発見。トラックが立てた轟音の直後に件の倉庫に辿り着き、そして―――武器が入った箱が半分ほど他の輸入物と積み替えられていることに気付いた。

「ぶ、ブツがなくなってる!こんな大量のコンテナを短時間でどうやって!?」
「あれを乗せたまま検問でも受けたら終わりだぞ!運転できる奴はすぐに追え!絶対に大通りまで進ませるなよ!!」

 その命令は無線ですぐさま全館に伝えられた。施設に残っていたスタッフの8割は車に乗り込み、幸いなことに大通り沿いではなく裏手の山道のほうへと猛然と進むトラックを追い詰める。長いカーチェイスになるかと思われた追跡劇は、数十メートルの時点でトラックが失速したことであっけなく終わりを迎えた。
 真っ先に横につけた車が軽くぶつけられ、トラックはやがて完全に停止する。へこんだ黒のセダンに乗っていた男が力任せにドアを開けた。中には例の男女二人組―――の姿はなく。

「んーー!!ンンーーー!!!」
「なっ……ば、爆弾……!?」

 そこには案内役だった二人だった。一人は運転席と手錠で固定されており動けず、もう一人は助手席に縛り付けられた上でベストを羽織らされている。胴の周りには重たげな黒い塊が巻きつけられ、チッチッチッと不吉な秒針の音が車内に響いていた。
 体に爆発物と思しきものを付けられ錯乱しているのか、助手席の男はガムテープで覆われた口で必死に悲鳴をあげている。まさか警察を呼ぶわけにもいかず集まった者たちが後ずさりしようとしたとき、全員の無線からけたたましいサイレンが鳴り響いた。

『緊急火災警報です。
 倉庫から出火がありました。全従業員は落ち着いて外へ避難してください。繰り返します。緊急火災警報です!』

 施設の火災警報……!?
 緊急放送にしてはやけに明るい女の声が聞こえてくる。その知らせで施設はパニック状態になっていた。総勢100人を超えるスタッフが非常口から飛び出し、次々と外に避難する。縛られた男の叫び声。慌しい足音。避難誘導。秒針の動き続けるダイナマイト。吹き上がる怒号
 ざわめきが少し落ち着いた直後、プツンともう一度放送が入る。

『皆さん、避難しましたねー?』
『では、お疲れ様です』

 ―――ドン、という爆発音。
 それは無線からだった。放送席から音を拾ったのか、鼓膜を揺らす爆音があった方角では、夜の闇の中で真っ赤な炎が立ち昇っている。誰もが呆然と立ち尽くして見つめる先では、倉庫の中に残っていた火器類や爆発物に引火し、断続的に起こる小さな爆破が起こっていた。
 南都貿易東京支部で巻き起こったこの爆発事故のあと、駆けつけた警察によって大量の武器が発見される。そしてこの夜訪れた二人の男女の存在は、ある組織の取引記録とともに跡形もなく闇に消えた。


 XXXX


「あのダイナマイトって本物?」
「倉庫の爆破にギリギリ足りる量しかなかったのでフェイクです。証拠だけ持ってカーチェイスで逃げても良かったんですが……あのフェアレディを傷物にするのは本意ではないので」
「あらま、紳士だね。おかげであたしの方も仕事できたし、どっちもありがたかったけど」

 ダイナマイトも偽物、ついでに荷物はコンテナのラベルを張り替えただけで何も移動はしていない。同一サイズのコンテナならではのトリックといえよう。おかげで武器は一網打尽だ。ジンジャーは運転席で悠々とハンドルを切りながらUSBメモリを助手席に寄越した。黒いプラスチックのそれは基盤や配線がむき出しになったもので、バーボンにも見覚えがあった。
 USBラバーダッキー。用途は様々だが接続したPCに自動でプログラムを実行する小さなデバイス。ハッカー御用達の品というわけか。

「中身は」
「密輸入の"同業者リスト"」
「な、」
「いいでしょー」
「いつ間にこんな……組織の取引記録内容を消去したときか。仕事が早いというべきか、手癖が悪いというべきか」
「どうせここがダメになったら穴埋めを探すのはあたしの仕事だしね、先手を打ってみた。はい、着いたよ」

 渋滞もなく天気も良好で星明かりの輝く空を抜け、快適なドライブは終わりを告げる。遠くの居酒屋から聞こえる威勢のいい声。滑らかにスピードを落としたフェアレディは、ブレーキも静かにそっと裏路地に停車した。
 この近くに車を停めているはずの助手席のバーボンを見ると、彼はじっとジンジャーを見つめていた。あの別の人間にすり替わるときの湿った空気をまとって、男は手のひらをゆっくりと運転席のシートにつこうとする。車の中で迫られる女。これが映画ならたっぷりと時間をとったシーンになりそうな光景だったが、女優から程遠い女は反射的に身体を引いた。

「バーボンて日本人?」
「……なぜ今その話を?」
「いや、距離感ぶっ壊れてるからなんとなく。言っとくけど可愛く迫ってもリストはあげませんよ、あたしのボーナスなんだから! それじゃ、今後の助っ人要請はジンかラムによろしくー」

 バン、と重い音を立ててドアが閉まる。ガラス越しにニッコリと笑う女に追い出され、バーボンは苦笑いで手を振った。車が去っていく。通りがかりの店からは先ほどの爆破が事故としてニュースに流れている。夜の街には人影もまばらで、駅からの光も届かない。
 彼女がやっと嘘を吐いた。
 正確にはそのような様子を見せたのが最後の瞬間だけだった。見抜けなかったのか、あちらが一枚上手だったのか。しかしまくし立てるように喋って去ったのは間違いなく焦りがあったからだ。あの一瞬の反応。男の手を避けたのは頭か、髪か、それとも首だろうか。

(あれが組織の"ディーラー"か……)

 調べてみるべきかもしれない。
 ジンやラムといった組織の中核ともいえる人物ほどの優先度ではないが、その足掛かりにはなる可能性がある。男は懐から取り出した携帯のキーを淀みなく打ち込み、パチンと画面を閉じた。


「もしもし、ジンジャーですが」
『ああ、話は聞いてる……』
「とりあえず南都貿易はクロ。代替業者のリスト送るから確認お願いします。あとこの一億もうちょっと持っててもいい? 次の仕事でも使いたいんだけど」
『そいつは取っておけ、追加報酬だ』
「マジっすか、了解……!」

 ジンジャーはイヤホンから聞こえた朗報に喜んだ。後部座席にちゃっかりと爆破前に積み込んだブリーフケースのことを考えて笑い出しそうになる。どんなに稼ぐようになっても大金は大金、何に使おうか考えるだけで疲れが吹き飛ぶというものだ。
 任務内容の詳細は今回の主導であるバーボンから改めて上がるだろう。報告を終えて帰路に着こうとする彼女の耳元で、「それで」とどこか面白そうな声が届いた。彼の声はその懐に眠るベレッタのように冷たい響きを持っていて、聞くものの背筋を震えさせる。

『どうだった、奴は』
「一度も背中見せてくれなかったよ。怖すぎて最後殺されるかと思った。あんなに可愛い顔してるのにね」
『フッ、そうか……』

 ジンは笑っているようだった。
 今度こそ電話が切れ、ジンジャーはほどなく顔から笑みの気配をなくして無意識に喉を撫でる。まだ真夜中にさしかかる前だというのに街はとても静かだ。ラジオも音楽も聞く気にはなれない。彼女はタイヤが道路のコンクリートを踏みしめる音だけを拾いながら、暗闇をわずかに照らすヘッドライトの光を睨んでいた。






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