祖父の墓参りがてら、大阪に帰省することになった。おばあちゃんは祖父が亡くなってから娘家族と暮らすのは「気を遣うから嫌」と拒否したので、広すぎる実家はひょいと手放すつもりだったらしい。あ、家族仲はいいんだけど。思い出のある家なので叔母が引き取り、実家は叔母夫婦が住んでいるというわけだ。
祖母はどこかで気ままに暮らすつもりだったらしいが、うちの母に誘われて東京のアパートで一人暮らしをしている。祖母曰く、人生何があるか分からない。
「だってお母ちゃんのご飯食べたい〜って子供らも言うてるし」
「あんたが作ったったらええやんか」
「無理無理」
「お母さんには無理」
「何よ!寄ってたかって!」
うちのお母さんの料理は当たり外れがある。大変忙しい人だということもあるが、私や兄がわりと早い段階で台所に立ち始めたのはそのためだったりするーーー閑話休題。
なので実家に祖母と一緒に帰省するという面白い状況になるが、まあ親戚はだいたい関西住まいだから顔合わせみたいなものだ。
新幹線で爆睡すること数時間、寝ぼけ眼で墓参りを終え、大人は出はらい、そして私は暇人になった。
「地元の友達と会ってくるわ」
「あ〜」
「お前友達おらんの?」
「おるわい!」
彼氏もおるわい!とまでは口に出さぬまま出かける兄を見送る。本当に夕方まで暇になってしまった。このまま実家の畳で転がっていてもいいが、せっかくの大阪だし何かするべきだろうか。
行きたいところはあるけど。
ごろごろしながら携帯を見て、なんとなく忍足くんに電話をかけてみる。3コール鳴らして出なかったら切ろう、と思った直後で彼が通話ボタンを押した。
「やっほ〜、元気ー?」
『元気やで。どしたん?』
「いや暇人やったからさあ……今実家帰ってきてんねん。大阪のほう」
『あ、そうなん?俺も今大阪やで』
「うそ!」
『ほんま』
そうか、忍足くんのほうもご実家はこっちなのか。予想外に近くに居ることが分かって嬉しくなり、他愛のない話で盛り上がる。せっかくだしそっちに行こうかと言ってくれる忍足くんに、少し考えたあと思い切って話してみた。
「自分探しの旅に行くけど来る?」
『それ、俺が行ってもいいやつなん?』
「退屈かもしれんけど」
『んー、行こかな』
失恋したOLみたいなことを言ってしまったが、微妙な沈黙もなくレスポンスが返ってくる。流石だ。俺も暇やし、と一言添えるところがグッドポイントですね。グッドボーイです彼は。
そうと決まったら善は急げと、コートを着込んで外に出る。駅までは10分、駅に乗ったら15分。そんなに遠い旅でもないのだ。
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「久しぶり!でもないわ」
「でもないな」
「大晦日ぶり!」
「大晦日ぶり。で、どこ行くん?」
「私の小学校と他」
「おお、思いのほか自分探しっぽいな……京都の寺とか連れてかれるんかと思ったわ」
「OLの傷心旅行やん」
駅で合流してから挨拶もそこそこに歩き出す。不思議な話なのだが、地元の風景は「以前」の記憶と同じだ。小学校の場所や道のりも同じ。そしたら同級生とか、過ごした事実もおそらく同じ……なのか?
まあ、その確認に来たわけです。だから文字通り「自分探し」なの、これは。
16時ごろ、小学校に到着した。
白い校舎にもグラウンドにも、お休み期間だから生徒の姿はない。思い出とぴったり重なる場所にダッフルコートの忍足くんがいるのは、なんというかとても奇妙な感じがした。
流石に勝手に入るのはな、とぼーっとかつての母校を眺めていると、後ろから不意に声がかかる。
「伊丹さん?」
「へ あ、あー!……先生?」
「どうしたん?久々やねえ、大きなって……あんまり大きなってへんけど。こちら、彼氏?」
「どうも、お邪魔してます」
「あらあら!あららー伊丹さんがねえ!」
バッシィ!とストロングに肩を叩かれる明るい衝撃は、かつての担任の先生そのものだ。からかわらながら話していると、小学校時代のおぼろげな記憶が蘇ってくる。
あれ覚えてる?あんなことあったねえ、あの時どうのこうの、懐かしくてあれこれ喋ったが、不一致はなく、さらにこれは大人になった私が持てる鮮度の記憶じゃないなとも思った。まるで最近のことのように思い出せる。ごちゃごちゃと頭のなかで混じってすっきりしない。
「うーーーん」
「うーん?」
「話がややこしくなってきた……」
「ミステリーやな」
先生に手を振って別れを告げたあと思わず唸ってしまった。いざかつての記憶を見せつけられると、認識を改める必要を感じる。私はどうも「転生」っていうイメージでここにいたけど、どちらかというと「二回目別ルート」みたいな感じなのだろうか。
もし中学のときに東京に引っ越してたら、みたいな。あっでもテニプリ世界と融合しました要素もプラスされる、のか?わからん!
(まあ、それかテニプリ云々とか前世は全部わたしの妄想説かな)
正直それが一番整合性のありそうな話だけど、そう考えるとつらいもんがあるな、と不思議そうな忍足くんの顔を見てると思った。それはやめとこう。
「君の前前前世から僕はー!いや、これまだ未リリースか!?失敬失敬」
「きりちゃん今日は5割増し変やな」
「いつも変みたいな言い方はやめて!」
ここまで全く事情を話さずに連れまわしてるのは悪いなと思うんだけど、前世から君のことを知ってましたよ(漫画で)はさすがに電波すぎるし。どっちにしろ答えはでない謎なんだけど、テンションを躁にしておかないともたないの。
忍足くんもさすがに怪訝そうな顔でこっちをじーっと見たあと、やや諦めたように息をついて「ん」と手を差し出した。反射で手を重ねると手袋がぱふっと間抜けな音を立てる。
「そこはちゃうやん、こう」
「あ、う、ウィ!」
「フランス人か」
「忍足くん手えあったか!」
「いやいやきりちゃんもなかなか」
外した片方の手袋をお互いのポケットに突っ込んで歩き出す。地元の友達に見られたらまたからかわれるなと思いつつ、手がじんわり暖かくて、たまらなくホッとした。
「きりちゃんて大阪から来たやん」
「うん」
「それで俺も中学からこっち来て会うのって、なんかすごい確率やんな」
「ロ、ロマンチックなことを!」
「たまには言うとこかなって」
「同じ地球(くに)に生まれたの?」
「ミラクル・ロマンス?」
思考回路はショート寸前。まあ、そっか、せっかく二人でいるのに一人で悩むのも馬鹿らしくなってきて、繋いだ手をブランコみたいに振りかぶる。
もう一か所だけ。
あと一つだけ確かめたら、このあてどない旅を終わろうと思う。忍足くんは何も言わずについてきてくれる。電車に乗り込んで揺られること数十分。向かうのはそれほど大きくない駅だ。
「俺ここ来るの初めてやわ」
「まあ降りへんよねー」
日も傾く駅前。
時刻は17時前だろうか。商店街の様子はほとんど同じようで、ところどころコンビニやスーパーだった場所は別の店になっていた。ドーナツ屋とカフェは変わらずそこで繁盛しているようだが。
いや、もしも時系列通りなら"これから"変わるのか。緊張して手に汗かいてきた。やばい忍足くんにバレてるかな。
10分くらい歩いただろうか。
商店街を抜けて住宅地に足を踏み入れる。めぼしい店はすべて通り過ぎた。いよいよ何があるのかと、隣の忍足くんもつられてやや緊張している様子だった。
角を曲がったらー―ー「前の私」が最後に住んでいたアパートがある。死んだ覚えもないし終わった覚えもないけど、ここが最後だったのだ。
そう思うと足が止まる。
「? きりちゃん?」
「………こ、怖くなってきた」
「えっ、そんなホラー展開なん?」
「いや曰く付きとかではないねんけど………か、帰ろかな」
「ここまで来たのに?」
「そやねんけど」
なんか、見てしまうと。私は中学生ではなくなって、忍足くんは居なくなって、全部嘘でした、全部夢でしたと言わんばかりに、かつていつも通りだた現実に戻るんじゃないかと。
そんな想像で頭がいっぱいになる。
戻りたいと思ったことがないわけじゃない。家族がいなかったなら。もっと来てすぐなら。こんな2年も過ぎたら。どうやったって未練があるのに。
「ほんなら、ちょっと見てくるわ」
「えっ」
手がぱっと離れる。忍足くんが躊躇いもなく角を曲がって姿が見えなくなり、足音が遠ざかって、消える。
シンとした空気。
え、ウソウソ、嘘だよね。
どっと嫌な予感が背中を駆け巡って、縫い付けられたような足が地面を離れ、思わず走り出して角を曲がった。
「ぶえ!」
「ぐぅえ!」
ぶつかった。
こちらに戻ろうとしていたらしい忍足くんの胸に勢いよく頭突きしてしまい、お互いに身もだえるハメになる。ぶつけた額を押さえながら頭をあげた先には―ー―空き地である。
つまり、なにもない。
アパートもない。
「あ………築5年」
「いたた、何て?」
「浅築だからキレイですよって………言うてたなー、そういえばー……」
「………大丈夫?」
「うん、大丈夫大丈夫」
「ちょっと泣いてない?」
「心の汗です」
「それを人は涙と言うのでは」
なにもない。
ホッとするなんておかしいだろうか。
なまじ住んでいた場所を離れていたせいで感じなかった現実味が一気に押し寄せて、柄にもなく不安になってしまったのかもしれない。蓋を開けてみれば、なんてあっけないのだろう。
なんだか頑なに黙っていたのも意味がなかったような気になって、腑抜けたように口が開く。
「ここにさ」
「うん」
「昔、住んでた気がするねんけど、気のせいやったかも」
「それは、前世的な?」
「そう私には前世の記憶があった気が……しててんけどなー。特に光の剣士とか使命とかはなかったけど。全部気のせいなんもちょっと切ないよねー」
「じゃあ、前世でええんちゃうの」
あかんの?と忍足くんがあんまり真っ直ぐこっちを見て言うので、別にあかんくはないかな、と素直に思った。そして彼は、私の足りない説明では到底納得できてはいないだろうに、頷いてくれる。
「昔周りのやつが全員実は化けもんで、俺が見てへん時はみんな本当の顔で過ごしてると思うときとかあったけどな」
「ほんまに?私宇宙人やと思ってた」
「今は?」
「あー、全部夢かも説……」
「ああ、それもアリやな」
ぎゅ、と手を握られる。
特に非現実的でもない感触だ。さっきよりちょっと冷えただろうに、私より断然にあったかい。スポーツマンの体温は寒空の下にあっても負けないのだろうか。彼の手が、私の頑なな部分を、本当にたやすく壊してしまう。
「あとさ、わたし前世からたぶん忍足くんのこと知ってたで」
「ほんまに?」
「かも」
「ロマンチックでええやん」
「忍足くんのロマンチックが移ったかな〜」
いやマジでなんなんだこの男。
私が何言っても肯定してくれてないか?いい子すぎて泣けてきた。末っ子のくせに人を甘やかすのが上手いだなんてズルだな。私も末っ子だけどなにが違うんですかね。
何の変哲もない住宅街に西日が差してくる。子供が遊んでる声も聞こえる。ここはもう私たちには特に用もない場所になる。
「帰ろか」
「うん」
わたし、ずっと忍足くんの味方でいよう、と思ったりした、お正月のことだった。