内容は簡潔にいうと、同じクラスだったころから気になっていた。夏休みが明けてから急に垢抜けててびっくりして、なかなか話しかけられないのがもどかしくて、いつのまにか本当に女の子として伊丹さんが―――というところまで読んで轟沈する。
ラブレターだ。
素朴で青春あふれた完全無欠のラブレターだった。そっけない封筒だったので絶対に罵詈雑言が並んでいる、と思って剃刀対策の軍手までして開いた私がアホみたいじゃないか。
嬉しい驚きだった反面、どんどん胃が重くなる。「なんて言って断ろう」で頭がいっぱいになったからだ。続きを読んで、もう一度最初から最後まで読んで、息をついた。
(あーどうしよう……)
この手紙の主は、一年のときのクラスメイトだ。顔を合わせたら挨拶や世間話をする相手で、もちろん晴天の霹靂なのだが。
告白されるってこんな気分なのかあ。
なんかこう、嬉しいが3割、どうしようが7割といった気分だ。いいことがあるとすれば、私にとって忍足くんがよっぽど特別なだけで、昔から無自覚なショタコンというわけではなかったことが分かったくらいか。
「レターセットあったかな……」
ともかく面と向かっての告白でなくてよかった。テンパって変なことを口走るよりは持ち帰って冷静に向き合える方がマシだ。手紙をもらったからには返事を書かねば、とベッドから起き上がり、そしていいかげん意味のない軍手を外した。
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書いては消しを繰り返していたら信じられないことに空が白んでいたので、慌てて寝たが当然寝不足だ。
洗顔と歯磨きと髪のセットをして、透明マスカラやら薄い色つきのリップと、学生の範囲でなんとか整える。一度毎日化粧をする習慣がつくと完全に素顔で外に出るのは勇気がいるので、これくらいは許していただきたい。これでわりといつもどおりに仕上がっただろう。
「なんか元気ない?」
が、廊下で忍足くんに会った瞬間にバレた。鋭い。彼相手に誤魔化そうとしても無駄であることは分かっていたので、観念して白状する。
「ちょっと元気ない……」
「どしたん」
「なんていうか、アレよ。ビートルズ風に言うと『ハロー・グッドバイ』っていうか」
「んん?」
イエスという相手にノーと言いにいくわけだが、回りくどすぎて伝わらなかった。人目もあるし相談するか少し悩むところだが、結局返事はこれでいいのかまったく自信もない。我慢できずに屈むように頼んで、顔を寄せた耳元でこそこそ話をする。
「実はお手紙で告白されてさ、でも断ろうと思ってて、それで………」
「………なんて返そうか悩んでる?」
「ああ、そう、うん」
「悩む必要あらへんやろ」
失敗した、と思った。心臓が急にばくばくと嫌な音を立てはじめている。忍足くんが表情も変えずに当たり前のように、あるいはからかって「とりあえず付き合ってみたらいいやん」とか言ったら、もう、いろいろ終わりで、私は死ぬ。
私の死刑宣告待ちの囚人気分をよそに、忍足くんは形のいい眉を寄せて一気にまくし立てた。
「告白してんねんから、フラれる覚悟くらいしてると思うで。なるべく傷付けんように優しくして変に期待もたせても気の毒ちゃう」
「うわあ」
「好きじゃない相手に優しくすんのは罪やで。武士の情けと思って、スパッと断ったらええねん」
「お、おぉおっしゃる通りです……」
正論すぎてぐうの音も出ねえ。きっと私の知らないところで数多の告白を受けているであろうモテ男・忍足侑士の言葉は重みが違う。
結局私は他人を傷つけたぶん、なにかが自分に返ってくるのが怖いのだ。本気で相手を慮っているわけじゃない。というか、忍足くんが「断れ」と言ってくれたことに喜んですらいる。我ながらなんてヤツだ。
「で、誰なん相手」
「いやそれはさすがに言われへん」
「喋らへんて」
「あかん!聞かんとって!」
「なんやねん」
耳を塞いで遠ざかると、忍足くんはちょっと不満げな顔をして一足先に教室に入っていく。廊下に置いていかれて背中を見ているとなんか切なくなったので、そのまま席まで追いかけた。
机の正面にしゃがみ、下手に出てますよーという感じで見上げて手を合わせる。これはだいたい、私が母親や親戚になにかをお願いするときの姿勢だった。別名は末っ子のポーズ。
「言われへんけど、返事考えるから、もっかい頑張れって言うて」
「……ワガママか!」
「あかん?」
「しゃーないなホンマ、特別やで」
頑張れ、と言ってもらえた瞬間、自分でも分かるくらいニッコーと満面の笑みになってしまった。犬か。添えられた笑顔と「しゃーないな」「特別やで」のコンボ、かなりポイントが高い。
今ならいける気がしたので、席に戻って手紙を推敲することにした。授業の合間合間を縫って返事を完成させたころには、約束の放課後になっていた。
ところ変わって校舎裏。
またベタなと思ったが、まあ裏だけあって人はあまり来ない。今のご時世にラブレターをくれる相手が指定しそうな場所だなと失礼なことを考える。そこにはまだ背の伸びきらない小柄な男の子の、ちょっと幼い横顔が緊張して待っていた。
「……ごめん待たせた?」
「あっ ううん、大丈夫」
「えっと、これ、返事書いたから……」
手に持っていた水色の封筒を手渡すと、彼は中身を丁寧に取り出して、あまりためらわずにそれを読んだ。目が文字を追うのを待ちながら、書いた手紙目の前で読まれるって軽い拷問だなと居心地の悪い思いをする。
「うん、わかった」
「えっ!?うん。あれっ思ったよりアッサリやな……?」
「いや、伊丹さん、すごい申し訳なさそうな顔で来るから……フラれるんだなあって覚悟できてたっていうか」
顔に出すぎなんだよなあ!!ダメ元だったし、と苦笑いする彼に死ぬほど申し訳ない気持ちになりながら、まあ穏やかにことが終わるなら別にいいのかとため息が出る。それも束の間のことで、次なる爆弾が追加された。
「忍足に告白しないの?」
「であーー!!し、しませんけど!」
「すればいいのに……絶対いけると思うよ。俺、付き合ってないにしても『好きな人がいるから』って断られると思ったのに」
待て、なんだこの流れ。なんでわたし告白されてフった相手に背中押されてんだよ。彼は私が忍足くんが好きだということに確信すら持っている様子で、イチから気持ちを説明するのも長くなるしで、思わず肩が落ちた。
周りに付き合ってるやら片想いしてるやらと思われてるのって、前は笑えてたけど、今この状況だといろいろ辛いものがある。ふてくされた声も出るってものだ。
「そりゃ、できたらいいけどさ、怖いもん」
「したらスッキリするよ、体験談だけど」
「答えづらいねんけど!」
もういいこの話は終わり、という意味で手を上げると、彼はそれ以上の追求は野暮だと判断したのかなにも言わなくなった。沈黙。このまま無言で立ち去っていいのか、何か言うべきなのか悩んで、つい口を開く。
「……学校とかで、普通に話しかけてもいい?」
「……うん、そうしてくれたら嬉しい。ありがとう」
「こっちこそ、ありがとう」
ああ、こういうのは優しさじゃないって言われたのになあ。こういうところがダメなんだろうな。自分の悪癖に苦い思いをしながら、それでもやっぱり相手が笑ってくれると安心した。