まばゆい夏の陽光が廊下を照らす。
 校舎はあいかわらず快適で、外で鳴きはじめた蝉の合唱もなんのその。涼しい風に髪の毛を揺らしながら、前を歩く榊先生の後ろをついていく。
 授業が終わってそろそろ帰るか、というところで声をかけられた。たぶんポスターの件かなと思えばそのとおりで、ついでにと備品運びの手伝いを要請された。
 で、運んでいるというわけだ。

「わー準備室はじめて入るー」
「そこの机に置いてくれるか」
「ハーイ」

 ていうかこれほんとに準備室?
 跡部くんが入学して以来、氷帝はかつて普通だった施設までもかなり充実を果たしたらしいが、準備室まで手が入ったのか。ぴかぴかに磨かれた厚い木材の机やら、立派なソファやら、ピアノやらコントラバスやら。金持ちのモデルルームみたいだ。

 ケースに入れられた比較的小さい楽器たちを机にそっと置く。授業で使うのだろうが、なんかどれもこれも高そうで運ぶのに神経を使った。
 並べて置いているうちに、鳳くんに渡したルーズリーフを持って榊先生が戻ってくる。

「お手伝いしたんで、榊先生に人生相談タイムいいですか」
「許可しよう」
「きょ、許可された!」

 半分冗談のつもりだったので予想外の展開だ。机の横にあった椅子をすすめられ、普通に向かい合って座ることになった。まさか許可されると思ってはいなかった。なんか緊張してしまう。
 いや、相談ごとはひとつしかないんだけど。
 今更ながら「え?榊先生にその相談するの?」と一人うろたえてしまうが、目の前では既に先生は話を聞くモードに入っている。もはや逃げ場はない。

「あのですね。えー、すごい好きな子がおるんですけど、友達として一番好きなのか恋愛的な意味で好きなのか分からんくてですね」
「ふむ」
「んで、だからまあ現状維持でいいかなと思って。でもなんか自分でも混乱してるんか、変なこと言っちゃったりで、なんとかしたいなあと」

 思っているわけで。
 相談しておいてなんだが、こんなこと言われても相手はさぞ困るだろう内容だ。改めて膝を突き合わせるような話でもなかったな、と軽く後悔していたところだが、意外にも榊先生は真面目に頷いてくれている。えー優しい。私なら正直「知らねえよ」と思ってしまうだろうに。

「確認するが相手は忍足だな?」
「へあ はい えっ?!」

 あまりにも断定的に聞かれたので反射的に頷いてしまった。いやそうなんだけど、そうなんだけど!確かにこの人相手にウソつけるとも思えないけど!私の反応を見て榊先生は腕組みをし、面白がるわけでもなく不思議そうな表情になった。

「私の目から見ても君たちは仲がいい。正直言ってそういう関係でなかったほうが意外だ」
「いや、まあ、仲良しだとは思うんですけど」
「何か踏み切れない理由があるのか」
「ウッ」

 グサッと来た。
 もはや自分では触れないようにしていた部分にダイレクトにメスを入れられ、うめき声が口からこぼれる。榊先生の涼しい顔はあきらかに私の答えを待っていていて、適当にはぐらかすことを許さない。
 けど改めて考えると難しい。単純な理由なら「今の友達関係を崩したくない」というものなのだが、一体何が私にストップをかけるのか。黙り込んでしまった教え子を急かすでもなく、先生はただゆったりと待ってくれている。

「忍足くんは……」

 口を開くと、自分でも驚くほど声が細い。そうだ。そもそも本音を話すということ自体、私にはけっこうハードルが高い。

「部活とかでご存知かもなんですけど、もうすっごいいい子なんですよ。人間が出来てるっていうか、優しいし、気が利くし、友達想いだし。で、そんないい子には、私よりもっといい子がいるだろうなあって思うのが人情ってもんじゃないですか」
「なるほど」
「それで、私は、まあそれはそれでいいなと思ったりするんですよね」

 これが、理由といえば理由。
 だから私は忍足くんと自分がどうこうなりたいのか分からない。あんなにいい子が友達だというだけでもこんなに嬉しいのに、恋人にもなりたいだなんて贅沢な気さえする。実際忍足くんが誰かと付き合うことになっても、諸手を挙げて祝福する自信はあった。
 嫌なのは、本人から報告してもらえないことだろうか。人づてにそれを聞かされたりしたら、ショックでちょっと泣くだろうし、それをきっと飲み込むことしかできないのだと思う。

 こんな風なことをひととおり話すと、榊先生はふむと顎に手を当てて少しだけ黙った。それからやはり教師らしい、落ち着いた様子で顔を上げる。

「助言が欲しいかね?」
「ぜ、ぜひ」
「まず君は、言葉を選ぶ才能がある。率直でわかりやすく、耳障りが良い。授業で課題曲を選ぶときも歌詞を重視していたように感じる」
「え、あ、そうですか?」
「そして本音を取り繕う才能はない」
「確かに」

 顔に出やすいので嘘は下手だ。秘密を守るには口を閉じるしか方法がない。それは自分でも思うし、他人にも言われる。けどそれがどうしたのか。
 突然はじまった評価面談に戸惑っている私をよそに、先生の話は続く。

「なのでもし思いを伝えるなら、整った言葉を使おうとせずに、多少身勝手なこともそのまま口にしたほうがいい。今私に言ったようにだ」
「わたしムチャクチャ言いそうなんですけど……」
「人の本音などそんなものだ。君が言葉を尽くそうする努力は、聞くものには誠実さとして伝わる」

 それから、と言葉を区切って。

「君より優れた子はいるだろうが、君ほど彼のことを大事に思っている人はそういない」

 通信簿を読み上げるような声だ。別に私に自信をつけさせて背中を押そうだとか、逆に諦めさせるためでもない、ただ平等で公正な評価だった。
 鼻の奥が痛くなる。
 なんとなく、あのテニス部の面子が榊先生にきちんと教えを受ける理由が分かるなあ、と思った。ほろ、とひとりでに涙が落ちてしまったのを見て、先生は自然にハンカチを手渡してくれる。

「すいませぇ……」
「いや、構わない」

 昔映画でロバート・デ・ニーロが言ってた、「ハンカチは女性に泣いたときのためにある」だっけ。肌ざわりのいいハンカチはいい匂いがした。なんていい先生なんだ。服装もなんか高貴に見えてきた。 
 ていうかまずいでしょこんなの、男慣れしてない女子中学生がこんな優しさ受けたらうっかり榊先生に禁断の恋しちゃわない?などと考えていると、涙がさっくりと引っ込んだ。

「すいません、ハンカチ洗って返すんで……」
「ああ、それと。労働の報酬でなくても君たち生徒には教師を頼る権利がある」
「はあい」
「もっとも、この手の話は私に相談するより友人のほうが実りがあると思うがね」
「ええーーっ!だってーー!」
「口が堅い友人を選びなさい」

 にべもない。まあ榊先生も次々恋愛相談持ちかけられても困るだろうしな。ちゃんと必要項目の書かれたルーズリーフを片手に立ち上がり、ちょっと気恥ずかしい気持ちで準備室を後にする。
 はー、榊先生て頼りになるなあ。
 ハンカチと紙片手にぼーっと歩いていると、クラスの方から歩いてくるみっちゃんマコちゃんの仲良しコンビに出くわした。放課後だし委員会の帰りだろうか。

「おっきりちゃん」
「どしたのこんなところで」
「……二人に……恋の相談をしたいんですけど」
「「えっ!」」

 素直に助言に従うことにする。
 私の口からそんな言葉が出てきたこと自体が意外だろうが、すぐに目をキラキラさせて熱心に頷く二人。これならどんな相談にでも乗ってくれそうだ。適材適所だなあ。







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