土曜日、抜けるような快晴。
 昨日までの穏やかな日差しが恋しい。練習試合は氷帝のテニスコートで行うらしく、人の少ない学校に制服で登校するのは変な気分だった。
 制服はシャツとスカート、それにキャップを被ってリュック。「お前が試合に出るのか」という完璧ルックでテニスコートの側に立つ。既に軽い練習が始まっているらしく、赤いジャージ姿の男子生徒がばらばらと見えた。それだけで別の世界みたいだ。

「あっつい……」

 誰だ初夏とか言ったのは。完全に真夏の気温だよ。インドアの性か汗ばむ暑さに既に心が折れかけるが、なんとか大人のメンタルコントロールで事なきを得た。こんな格好までして何もせずに帰ったらさすがに忍足くんに怒られる。
 屋根のある場所はギャラリーにすっかり占拠されてしまっていたので、木陰でささやかに涼をとろうと歩き出した。私を招待した本人はまだ見つかっていない。

「あれ?きりちゃん来てたの!」
「おお!みっちゃんアンドマコっちゃん!あれ何でおんの?」
「そりゃ観戦だよ。私たち跡部様のファンだから」
「ファンですから!」
「初耳なんですけど」
「そうだっけ?ここ座る?」
「座るー!やったー!」

 ベンチにちょこんと座ったクラスの仲良しコンビに招待され、念願の日陰を手に入れる。一気に体感温度が下がりやっと一息つくことができた。
 跡部様ファンだという二人は真剣な様子で「やっぱり跡部様あっちの部長と試合すると思う?」「でもシングルスは違う人かもよ」などとひざをつき合わせている。なんて輝かしい青春の1ページだろうか。ていうかもう完全に「跡部様」って呼ばれてるんだ。

「きりちゃんはやっぱ忍足くん?」
「やっぱって何よ、私も実は隠れ跡部様ファンかもしれへんやんか」
「でも忍足くんでしょ」
「忍足くんだけれども!」

 馬鹿な話をしているうちに試合開始の運びとなった。試合は全部で5試合。シングルスが3試合とダブルスが2試合。流石に少しはルールを知っていないと楽しめないかと軽くは調べてきたが微妙なところだ。
 「テニスは試合時間が長い」とはよく言われることだが、今回は練習試合なので3ゲームの短縮版。先に2ゲーム先取で勝利。ダブルスの試合は相性の問題もあったのかどちらも2ゲームで終了した。出ているのは全員知らない生徒で、今のところ六角に2つ勝ち星がついている。続くシングルスの試合も3年同士の対決となった。

「……ん?シングルスやったらえっと、跡部くんが出るよねたぶん。合ってる?」
「そうねー、大きい大会とかだとレギュラー温存!とかもあるらしいんだけど、練習試合だとけっこう出てるみたいだよ、跡部様」
「今のも3年のレギュラーの人やん」
「うんうん」
「もう一枠の忍足くんて実はスゴイ?」
「実はもなにもすごいよ!」
「きりちゃん、忍足くんは天才だよ!」

 二人に拳を握って力説された。
 そうだったのか。ファンに天才って言われるレベルだったのか。テニスコートでボールを打ち合う彼らは当然ながら上手で、どうして来る位置が分かるんだろうと不思議になるほど軽々とラリーを続けている。
 3年同士のシングルスが終わり、いよいよ忍足くんの試合の番になった。今日初めて見た姿は緊張しているかと思いきやまるでいつも通りで、こっちが肩透かしを食らったほどだ。

「忍足くんめっちゃ普通やな」
「クールだね」
「あ、こっち見た」
「きりちゃん見つけたんじゃない?」
「ハイヨー!オシタリー!」

 誰が馬やねん、と口パクで言われた気がした。手を振るとのんきに手を振り返してくる。傍目から見ていても彼は自然体で、むしろ相手の3年のほうが表情が硬いくらいだった。
 忍足くんもクラスではかなり背が高いほうだが、相手の選手はそれよりも背が大きい。ひょろりと長い手足はテニスというよりバスケの選手を思わせる男の子で、しきりにラケットを握りなおしていた。

「それでは、試合開始です!」

 先行は相手のサーブからだ。ボールはもともと高い位置からさらに天高く投げられ、力強くラケットが振りかぶられる。サーブはバコン、と重い音を立ててコートに食い込み、忍足くんは動かなかった。
 六角側の応援席が盛り上がる。
 その勢いはバッティングセンターの球みたいで、ベンチの3人は口を開けてぽかんとしていた。速いし重いし怖い。ここから見ているだけで恐ろしかったのに、間近で打たれたらどれだけ恐怖だったことだろう。

「サーブはっや……!えっ!怖い!」
「すっごい音だった」
「大丈夫なんあんなん、当たったら怪我するで。忍足くん眼鏡外したほうがええんちゃう?!」
「見えなくなっちゃうじゃん」
「いや忍足くん視力2.0やで」
「えっダテなの!?」

 色んな衝撃がベンチにも広がっている。私たちが話をしている最中も、点差はどんどん広がっている。右へ左へと鋭いサーブが落ち、忍足くんはそれを横目で見るだけで走ろうともしない。
 手も足も出ないってことなのだろうか。私は既に頭の中でボロ負けした男の子をどう慰めるべきかという疑問が持ち上がっていた。試合には勝ち負けがある。だから勝負ごとは嫌いなんだ!

「ああ〜1ゲーム取られた!」
「ウソー!やだー!」

 思わず耳を塞ぎたくなった。1ゲーム取られたということは、忍足くんは次の2ゲームを取らないと勝てないということになる。胃が痛い。自分が出てるわけでもないのに。
 忍足くんの少し日焼けした手が、真っ直ぐに持ち上がってボールを打つ。相手は難なくそれを返す。忍足くんはコートの少し後ろで危なげなく返し、相手も返し、ラリーが続く。そうか、相手はすごいサーブが得意なだけで他は普通なのかもしれない。

「入った!」
「すごーい!押してる!」
 
 ポーンと軽く返した忍足くんのボールは、ベースラインぎりぎりを跳ねて綺麗に後ろへと飛んで行った。それからはまるで魔法のように、相手の球は忍足くんのラケットで軽く返され、忍足くんの球は予測できない動きで相手のコートに入ってしまう。
 1ゲーム目は何だったのかと思うほど簡単に点が入っていき、短いラリーの末に2ゲームが終了した。息を乱した相手と、薄っすらと汗をかいている忍足くんが、コートの上で静かに睨み合う。
 心臓が痛い。
 歓声と応援をよそに、私は両手を固く握りしめて、じっとコートを見つめるしかできなくなった。

 3ゲーム目。
 再びサーブ権が相手に移る。もう一度あの悪夢のような展開になるかと思いきや、今度は忍足くんも走ってサーブを上手く拾う。やった!
 深緑色のコートの上で、黄色いボールが跳ねまわる。右へ左へ。弱く強く。低く高く。パコン、と音が鳴るたびに手を痛いほど握ってしまう。声が遠い。二人の視線が交差する。彼らは真っ直ぐにボールを見ている。心臓がドキドキして死にそうだ。
  
「あ」

 ボールが高く跳ね上がった。忍足くんは弾かれたように走り出し、腰を落として強く打った。がんばれ、と声がこぼれる。スマッシュが決まった。相手は体の方向を反転させ必死に走る。
 ボールはコートを跳ね、ラケットに触れることなく後ろのフェンスに吸い込まれていった。

 ―――カシャン!

 晴れやかな音だ。氷帝は歓声に沸き、六角は落胆の声をあげる。対してコートの二人は静かで、六角の彼が大きく息をついたあと、ネットの上で握手をした。
 美しい光景。
 もうそれが限界だった。

「ふッ……ううっ………」
「えっ」
「きりちゃん!?」

 止めていた呼吸が戻った瞬間、目に張っていた涙がだあっと一気に溢れる。これ以上泣くまいとするせいで余計に嗚咽がひどくなり、自分でも引くほど泣いてしまった。
 何で泣いているのか分からない。
 それはクラスメイト二人も同じらしく、突然めちゃくちゃに泣きはじめた私をおろおろと見ている。微妙に観客席から注目も集めてしまっている。さすがに居たたまれなくなってきたので、慌ててベンチから立ち上がった。

「わっ、わたしあれ、顔洗ってくる、から……!跡部様の試合見といて!!」
「だ、大丈夫!?」
「大丈夫!!行ってきますっ!!」

 何がなんだかわからないが死ぬほど感動してしまった。ぼろぼろ涙が落ちてくる。忍足くんが勝って嬉しいのか負けなくて安心したのかもよくわからない。
 大人のメンタルコントロールはどうした!いや無理!だって今中学生だし!制御不能の感情と涙をひっさげながら、中学2年生女子は手洗い場へと走った。
 







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