コラソンがローを連れて消えてから半年。海軍がある悪魔の実を取引で譲り受けるという情報が入った。彼らの行方を捜しながらも半ば好きにさせていたドフラミンゴが、すぐにコラソンへ連絡したのは当然の成り行きだった。
 白い町フレバンスを壊滅に追いやった「珀鉛病」は、事件から3年経った今でも治療法は見つかっていない。そもそも病人もその遺体もほとんど燃えてしまったのだから、特効薬など見つかるわけもなかった。
 けれどドフラミンゴは嘘偽りなく、あと数年の命であるローを10年後の右腕にしようと教育をしていた。いずれ手に入れる計画を立てていた悪魔の実で、ローの病気も治療するつもりだったのだ。

「聞いた? ローとコラさんが帰ってくるって!」
「うん、聞いた。ビョーキも治るかもってね」
「ロー、嬉しいだろうね〜」
「ね〜」

 ベビー5がデリンジャーを抱いて嬉しそうに笑っている。クランは二人の頭を右手と左手でそれぞれ撫でた。きゃあきゃあとはしゃいでいる2人を見ると思わず頬が緩んでしまう。
 チビで生意気な後輩だが、ローだって死にたいわけではなかっただろう。彼の世界全部に憎しみを向ける目をクランは無性に気に入っていた。きっとドフラミンゴも同じように考えている。しかしロシナンテに関しては、個人的な判断をすることを無意識に避けていた。それは、僅かでもドフラミンゴに背くようなことをしたくなかったからだ。
 ただ、クランはロシナンテを「コラソン」とは呼ばない。その名に相応しい人物は、クランのなかで後にも先にもただ一人だけだった。



 オペオペの実、取引当日。
 船の出航に先駆け、クランは電伝虫を一匹携えてスワロー島に飛んでいた。鳥の形をしたそこで、ドフラミンゴ達とロシナンテ達が落ちあうことになっている。
 スワロー島には、隠れるように海賊船が一隻。バレルズのものだろう。そして反対側に―――海軍の軍艦が二隻。様子見を命じられたこと自体、クランには特に意外ではなかった。そして指定した場所に海軍が居ること。それにすら、正直なところ驚きはしなかったのだ。ただ腹の奥で何か不愉快なものが、ふつふつと湧き上がるのを感じていた。

「若さま!」
『クランか。様子はどうだった?』
「トリの尾っぽのほうに海軍の軍艦が二隻。上陸はしてない……"待ち伏せてる"カンジ」
『そうか……』

 ―――そうか。
 ドフラミンゴは電話越しに、深い落胆の溜息をついた。クランはぎゅっと胸が締め付けられるような気持ちになる。それでも彼の考えの邪魔をしてはならないと思って沈黙を守った。
 動揺が伝わってこないことが答えなのだろう。
 実の弟というだけで、ドフラミンゴはロシナンテが自分の前に現れたことに疑問すら持たなかった。他の幹部が少しでも弟を疑うような態度をみせたら、それを諫めた。特別な血筋に生まれた兄弟。その血脈の糸が決定的に切れたのを、クランはドフラミンゴの息遣いで悟った。

『ミニオン島に先に行け。恐らくそこにコラソンがいる。様子を見てこい』
「はァい」

 クランはいつも通り返事を返し、受話器を下ろした。冬島の雪が肩に降り積もるよりも早く、猟犬が宙を蹴った。
 ふつふつと血が燃える。
 スワロー島からミニオン島は隣接している。森の木の枝に足をつけて様子を見ると、遠くの方で何かが燃えるにおいが漂ってきた。荒い足音。騒いでいるのは海賊達だ。

(バレルズのアジトで何かあった……?)

 少し近づいてみると、開けた場所で10人程度の海賊が倒れているのが見える。中央にはおびただしい量の血痕があったが、よく見ると彼らにそれほど大きな負傷はない。
 では、この出血は?
 事態は思ったより切迫している。クランは頭を捻ったが、そもそも彼女はあれこれと考えを巡らせるのには向いていない。指示を仰ぐべきかと電伝虫に手を伸ばしたとき、ちょうど着信があった。

『クラン! ミニオン島にいるな!?』
「グラディウス? うん、いるー。今ね……」
『いいかッ!ヴェルゴからの報告でコラソンの裏切りが確定になった! 奴ァ海軍のスパイだったんだ! 若が"鳥カゴ"を発動する! 島を覆う前に外に出て、スワロー島の軍艦が来ないか見張ってろ、いいな!?』
「向かって来たら?」
『時間を稼げ』
「はァい……」

 グラディウスは相当頭にキているようだった。クランはようやくそこで、ロシナンテがやったことの"温度"を知る。あんなに優しくしてもらった実の兄を裏切って、海軍と全面戦争を引き起こすつもりだった。そうなれば幹部の数人や、ともすればドフラミンゴ本人にも危険が及ぶだろう。
 兄弟。家族。それは他人には決してもたらされない無償の施しだ。クランがどれほど渇望しても手に入れられないものを、彼は自ら切り捨てようとしている。
 クランは腹の奥にある感情をやっと理解した。自分はきっと怒っているのだ。

「あんなに、若さま、信じてたのに」

 主人の溜息が頭をよぎる。
 クランは木を蹴り、宙を蹴り、弾丸のように海に飛び立った。今すぐに探し出して殺してやりたかったが、それは自分の仕事ではない。
 軍艦の足止め―――それなら暴れがいもあるだろう。スワロー島からはゆっくりと動き出す正義の旗を前に、あの全身の血が沸騰するような感覚を取り戻した。
 海軍。ロシナンテがドフラミンゴと天秤にかけて選んだもの。
 それだけで壊す価値がある!

「愛してもらってたくせにッ!」

 眉間でなにかが爆発したように、クランの目の前は怒りで真っ赤になった。宙に手足をつけ、獣のような体勢で走り続ける。そしてわずかに小さな軍艦の、甲板の一人を掴んで海に叩き付けた。
 ―――ドボォン!
 派手な水音に、海軍たちは一斉に戦闘態勢になる。帆を蹴る。指揮をしようと声をあげかけた男の頭目掛け、黒い靄に覆われた爪を振り下ろした。

「ぎゃあッ……!」
「敵だッ!甲板にいるぞッ!」
「撃て!撃てェッ!」

 動き続ける素早い靄に、弾はかすりもしない。クランはひと飛びするたびに海兵を宙に攫い、海に落とし、大砲の穴に突っ込ませ、好き勝手に暴れまわった。異常事態を感じ取った操舵主が堪らず軍艦を停止させる。
 海兵が艦に搭載しているものより小ぶりの大砲を構えた。彼女はやや速度を落とし、導火線に火がついたのを確認して、次の瞬間に狙撃手を狙う。そして砲台を奪ったクランは、その方向を真横に向けた。

 ―――ドォン!ドォン!

「ハ!ハッハァ!」

 強力な二連撃が隣の軍艦にブチ当たる。爽快感に思わず声をあげたクランに海兵が斬りかかったが、それも飛び上がって難なく避けた。
 "飛べる相手"に対して、彼らはなんて無力なのか!
 クランは足元で自分を捉えられもしない海軍たちに、残虐な優越感を感じていた。きっと彼らにも理由があり、家族があり、人生があるのだろう。
 それがいい。
 それが大事だ。
 だからもっと戦って死ぬといい。たくさんたくさん不幸が増えればいい。ロシナンテも彼の守るべきものもここにいるやつも全員、デービー・ジョーンズの監獄行きだ!

 ――――パンッ

「――――……あ?」

 がくん、と高度が落ちる。左足に刺さった鋭い熱。撃たれたと理解した瞬間に、再び乾いた音が鳴る。右腕、左肩。"鶴"と書かれた軍艦の上で、白髪の女老兵がこちらに銃口を向けていた。
 全身の血の気が引く。
 クランはまだ辛うじて動く右足で宙を蹴り、なんとか銃弾の軌道から逸れた。勝てないとすぐに悟ったからだ。朦朧とした目で腕時計を見る。10分は足止めできただろうか。目を閉じかけた瞬間、何かがクランの左腕を引いた。

「う゛ゥッ!!」
「ご、ごめんだすやん!」
「クラン、酷い怪我……!」

 撃たれた左腕から血が噴き出し、クランはうめき声をあげる。ベビー5が涙を浮かべながら止血をはじめた。島の上空を旋回していたバッファローに拾われたのはなんて悪運だろうか。
 痛みに頭が冴えて歯噛みする。あんな失態は初めてだ。興奮して敵の前にはっきり姿を見せた時点でクランの負けだった。足止めに専念していればこうはならなかっただろうに。

「若様ッ!! クランが撃たれた!!」
『無事か!?』
「わが、ざま……ごめん……大砲は、何個かだめにした、けど………」
『十分だ、クラン』

 ゆっくり休め。
 聞こえた主人の落ち着いた声に、飼い犬は深く呼吸をした。沸騰していた血が冷える。今日は一体何人死んだだろう。もうひとつ呼吸をする間に、クランはそのまま意識を失った。



--------


 目を覚ますと船室のベッドの上だった。
 そういえば、ベッドで眠るのは久しぶりだ。柔らかいスプリングの下で床が揺れている。ぼんやりとそんなことを考えながら、クランは顔を横に向けた。そこにはまるで彼女が起きるのが分かっていたように、ドフラミンゴが椅子に腰かけていた。

「若さま」
「クラン、こっちの船には大した損害もない……お前はよくやった」

 すっかり夜が更けていた。
 船の窓から細い月が見える。外からの淡い明りを背負っているせいで、ドフラミンゴの表情はしっかりとは見えない。それでも長い腕を伸ばして頭を撫でる手つきには、とても優しい労りがある。
 クランはもう一度失態を謝りたかったが、心地良い体温に言葉を失った。目を閉じてそれに甘えていると、また眠ってしまいそうになる。

「どうなったの」
「そうだな、簡潔に言うと……コラソンは死んだ。オペオペの実を食べたローは逃げおおせた―――そんなところだな」

 つまり、仕事は失敗してしまったということだ。クランは悲しそうに眉を下げる。ドフラミンゴはそれでこの話は終わりだと言わんばかりに手を離し、その代わりに一枚の紙をクランに見せた。

「これ、チラシ?」
「フフ、何かわかるか?」

 鮮やかな色に、煌びやかな装飾。それはサーカス団のビラのようだった。煽り立てる文言と中央に踊る名前を読んだ瞬間、クランの呼吸が止まる。

「観に行きてえか」
「行っていいの?」
「ああ、お前も”仕上がった”頃合いだ」

 少女は感極まったように息を呑み、チラシを持つ手をぶるぶると震わせた。外は静かな海だ。体中の血液が、行き先を探して駆け回っているような、激しい興奮の音がよけいにうるさく感じた。
 闇の中で男の唇がつり上がる。
 優しい悪魔のような笑みだった。



 ―――家を抜け出し、一夜の夢を。あなたが観たことのない感動と熱狂をお約束します。
 ―――"フォーマイルサーカス団"。











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