白い町の少年ローがファミリーに入った一週間後の日、グラディウスとクランは二人での任務を言い渡されていた。簡単に言ってしまえば以前襲撃した海賊団の残党狩りなのだが、逃げ足が速いせいで中隊相当の人数がまだ残存している状態だ。
 目標はルーベック島の山頂近くに潜伏している。スパイダーマイルズからそれほど距離はない。二人で操るには少し大きな船を進めながら、グラディウスはちらりとクランを見た。

(大丈夫なんだろうな、コイツは)

 はっきりいって、グラディウスはクランの出来を心配している。ラオGには格闘技を、ディアマンテには剣技を、そして彼自身が射撃を教え込んだが、いかんせん集中力がない。目を引くのは素早さと勘の良さ―――ゾオン系の悪魔の実の能力者なら誰もが手にしていそうな要素ばかりだ。
 加えて、持ち味ともいえた猛獣的な部分も鳴りを潜めつつある。最近のクランの行動といえば、まるでドフラミンゴに懐く子犬そのものだ。目の前の敵を殲滅するような任務が果たして務まるのだろうか。
 しかし、仕事は仕事。
 船長であるドフラミンゴに言い渡された任務に、できるできないはない。やるしかないのだ。面倒を見ている子供相手といえど、グラディウスは甘い顔をするつもりなどなかった。

「グラディウス、島みえた!」
「山の裏につけて錨を下ろす。お前はすぐに準備して山頂まで先に行け」
「はァい」

 クランは相変わらず何も考えていないような無表情で素直に頷き、軽く手足を振って準備運動をしている。島に近づいたらすぐにでも飛び出して行きそうな子供に、グラディウスは再び声をかけた。

「それから、若からの伝言だ」
「! はい」
「"好きに暴れろ"」

 クランはそれを聞いて、ゆっくりと息を止める。一回、二回と瞬きし、三回目で瞳孔が引き絞られた。そこには煌めく光ではなく、粘り気のある炎が浮かんでいる。
 そこには既に無害な子犬はいない。獲物を闇のなかから狙う猛獣の気配が、黒い靄になって少女の足元を覆っていた。
 飛び上がる影。
 揺らめく靄は一足飛びで山まで走り、すぐに姿を消した。




 
 頭の中から音が消えていく。
 走っている最中、クランの思考は狼だった時代に戻る。山頂が近づいてくるにつれ、身体中の血液が熱くなった。爪と牙を研ぎ澄まし、強く宙を蹴る。
 雪山には見張りがいた。彼らはちょうど荷物を運びこんでいる最中だったのか、ほとんどの熱が小屋の外にいる。狙うは最前線。群れから離れた者だ。

 ―――ザンッ
 
 抉れた首の半分。膝から下がなくなったように崩れ落ちる先頭を見て、ほとんどの者は何が起こったのかわからなかっただろう。そうしているうちに、最左翼の者も倒れた。
 ふつふつと血が燃える。
 クランは一息もつかずに宙を蹴り続けた。三人目が倒れたあと、ようやく一人が大声で叫んだ。

「襲撃だーーーーッ!!!」

 彼らは敵を探した。横切るのは一瞬、それも黒い靄の尾だけ。狼狽えているうちにまた一人抵抗もできず倒れる。
 海賊たちは恐慌状態になった。
 武器も物資もなく、命からがら逃げ出して辿り着いた先。戦う気力も残っていないのだろう。最後尾の男が走り出したのを皮切りに、全員がばらばらに山の下へと逃走をはじめた。

「なんだろ」

 猟犬は上空から塊になって逃げる一団を見下ろし、そして逃げ遅れて"群れ"をはぐれた者を重点的に狙った。疲労と絶望。足をとる雪。どこから来るかわからない攻撃。倒れていく仲間。わけもわからず泣きながら走る海賊たち。
 この胸を満たす温かさは何だろう?

「これ、知ってる……」

 少女の胸は打ち震えた。これほど血が熱くなったことはない。真っ白な雪山に点々と落ちる襲撃の痕。絶望して泣き叫ぶ声。あふれるばかりの不幸。彼らの不幸は自分を"幸福"にする!
 敵を!もっと敵を!
 "不幸にすべき敵"を!
 空を蹴る力がさらに強くなる。まだ加速する。敵はバタバタと虫のように散っていく。彼らは数を減らしながら、牧羊犬に追い立てられる羊のように、クランの誘導する場所へと走っていった。





「よし、時間通りだ」

 グラディウスは腕時計を確かめ、部下の仕事ぶりに深く頷いた。どうやら自分の心配はとんだ杞憂だったらしい。クランの獣性は本番になると冴えに冴え、加えて雪山の森という障害物の多いフィールドは二人の味方をした。
 海賊たちが叫び声をあげながら麓に走ってくる。人数が予想よりもずいぶん減っていたこともあり、グラディウスはマスクの下でほんの少しだけ口元を緩めた。
 既に"能力の射程範囲"だ。

「パンク岩(ロック)『フェス』」

 雪で覆われた地面がボコボコと膨らみ始める。急に不安定になった足場に、海賊たちはいよいよ半狂乱になった。グラディウスがクランに合図を送ると、猟犬はすぐさま高い上空へと飛び立つ。
 ―――次いで複数の爆音。
 視界が一瞬光に包まれ、次の瞬間には地面に風穴が開いた。残っていた半数の海賊は軒並み倒れ伏し、わずかに息のある者も長くはもたないだろう。
 だが彼らの不幸はこれで終わらない。

「クラン!」
「あいッ」

 腹の底に響くような地鳴り。
 クランはグラディウスの懐に入り、そのまま担ぐように腕をとって飛び上がる。流石に子供の身で大人の男を運ぶのは辛いのか、クランはぐっと歯を食いしばって声をあげる。

「おーーもい!」
「辛抱しろ、すぐ済む」

 クランの足が宙を蹴る瞬間、グラディウスもタイミングを合わせて靴底を破裂させた。爆風で高く上昇した二人は、下に広がる光景をある種の感動を持って見下ろした。
 そこには何もない、という地獄がある。
 爆発の振動で崩れた雪は、波になって山を滑り落ちていった。クランが切り裂いた海賊も、爆発で息絶えた海賊も、なにもかも飲み込んで。すべて真っ白に元通りだ。

「これで痕跡も残らねェ。若の庭を汚す害虫は"居なかった"んだ」
「なかったことになるの?」
「ああ」
「かわいそうに」

 嘲りでも嘘でもなかったと思う。クランの声には深い同情と憐みがあり、しかしそれよりも大きな恍惚があった。少女の目は幸福にとろけ、決して獣にはない熱があった。
 ―――出生が狂気を育み、「運命」が怒りを呼び―――どうして今それを思い出したのだろうか。グラディウスは首を振り、任務に関係のないすべてを頭から追い出した。そしてもう一度腕時計を確かめ、軽く頷く。

「任務完了だ」

 クランは嬉しそうに笑った。

 ドンキホーテ海賊団、「番犬」クラン。ルーベック島での海賊殲滅行動を評価され、ピーカ軍「特攻部隊」幹部へ正式に昇格。そしてその不可解な能力から海軍では―――「バンダースナッチ」と呼ばれるようになる。








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