”狼少女”がドンキホーテ海賊団に拾われてから数か月が経った。野生から動物園程度には清潔感が保たれるようになったクランは、檻の中よりもマシな生活ができていることにやっと気づいたようだった。
 人にも多少慣れたらしい。ジョーラとグラディウスは世話を任されることが多いためか、食事を置くと食べるようになった。ドフラミンゴからは手ずから食べることもある。コラソンには相変わらず唸りっぱなしだ。それでも獣くささが抜けないためか、クランはいまだに倉庫で生活をしていた。

「よーしよし、大人しくしろよ。動いたら首までチョン切れるぜ、ウハハ!」
「ウ……」
「蛇の剣(ウィーペラグレイブ)!」

 ディアマンテのサーベルが蛇のような動きでクランの銀髪を次々に散らせていく。
 「ディアマンテ、クランの髪を切ってやれ。あの猛獣娘が暴れる前にできるのはお前しかいねえ」「よせドフィ、人を天才みたいに」「いや、お前は剣技の天才だ」「よせよ、褒めすぎだ」「じゃあ……やめに」「そこまで言うなら仕方ない!天才のおれが切ろう!」―――簡潔にいうとそういうことだった。
 実際、クランが身じろぎする前に散髪は終わった。足首まであった髪は襟足が短めに整えられ、前はへそあたりまで長く残されている。細かい毛が鼻をくすぐったのか、子供はクシュッとくしゃみをした。

「あ〜〜〜らディアマンテ様!素晴らしいざますっ! こうするとちゃんと女の子ねェ」
「わりと見事な銀髪だったんでな、全部切っちまうのももったいないだろ? 動かなかったな、良い子だクラン」
「いーこ」
「お?」
「また喋ったざーます!」

 成長と呼べる変化もあった。言葉はもともとある程度は理解できていたようだが、ときおり誰かが喋ったことを繰り返すようになったのだ。それを面白がって皆が教えるので、単語でなら簡単な会話もできるようになった。
 悪魔の実の能力も発揮するようになった。図鑑に載っているものに該当するものはなかったが、身体能力の著しい向上から動物(ゾオン)系であることは間違いなさそうだ。獣じみているのは、ただ育ちのせいだろう。

「ほお、身綺麗になったな」
「若様!」

 音を聞きつけたのか、ボロ倉庫にスーツ姿の男が入ってくる。明るい陽射しに金髪がきらきらと光り、クランは眩しそうに瞬きした。それから頭を振って髪の毛を散らしたあと、しゃがみ込むように座りなおしてみせる。
 居住まいを正したとみるべきか。
 銀色の丸い目で見上げてくる子供に、ドフラミンゴは笑みを深くして手を伸ばした。

「良い子だ、クラン」
「いーこ」

 大きな手が髪を撫でると、クランは安らいだように目を細めて大人しくしている。どうやら野良犬は誰かに褒められる喜びを知ってしまったようだった。ジョーラは目の前の光景に驚いているが、ディアマンテは当然のように笑ってそれを見ている。
 ドフラミンゴは人の上に立つために生まれてきたような男だ。それは彼に関わったすべての人間が知るだろう。群れのなかで厳格な順位に守られた狼の子供が、なおのこと"主人"を見誤るわけがなかった。

「こうなると飼い犬だな……」

 飼い犬には寝床と首輪が必要だ。
 鶴の一声で、長かったクランの倉庫生活は終了することになる。途端に慌ただしくなったアジト内で、狼が我がこととは思わずあくびをしていた。


------------


 深夜25時過ぎ。
 宴の余韻がまだ遠くに漂っている。盛大に飲んで食べたあと挨拶を済ませ、明日の仕事がある者からばらばらと眠りについていった。
 ドフラミンゴの右腕であり、先代「コラソン」であったヴェルゴ。彼はその優秀さを見込まれ、極秘任務のためにある場所へと潜入することに決まった。今夜はその壮行会のようなものだったのだ。

「クラン、いい部屋だな」

 仮にも最高幹部であるヴェルゴだが、律儀にもクランにまで顔を見せにきたようだった。まだ騒がしい場所は苦手な飼い犬は、新しいシャツにズボン姿で、今起きたのか眠たげに目を擦っている。
 野良犬から飼い犬へ。ろくに言葉も喋ることができない子供が部屋を与えられるには、それなりの理由がある。ドフラミンゴが見込んだ者は決して見くびらず尊重すると、ヴェルゴは昔から心に決めていた。

「しばらくお別れだ。いい子でな」
「こらそん」
「もうコラソンじゃない、ヴェルゴだ。いや、ヴェルゴさん……まだ難しいか」

 ヴェルゴはこの小さな子供が嫌いではなかった。無邪気で無心で、子供らしい単純な残酷さが見え隠れする。誰かに似ている表情をするから、むげにするのが難しい。クランはそれを知っていたのか分からないが、ただ彼の静かで穏やかな呼吸は好きだった。
 顔を見合わせても微笑みのひとつもない。ただ数か月、同じ場所で生活していただけの相手だ。それでもヴェルゴはクランの頭をひと撫でして、家族と同じように別れの挨拶をした。

「それじゃあ、ドフィを頼む」

 ―――扉が閉まる。

 外では緩やかな波音が単調に繰り返されている。船の出航する音は聞こえなかった。クランは床に伏せて人の声が止むのを待ち、ドアを開けて始めて外に飛び出す。
 静寂の中をひたひたと歩いて、迷うことなく一室に辿り着いた。不用心な木製の扉の向こうで、男が一人既にベッドで寝転がっている。ここは海賊団の船長、ドンキホーテ・ドフラミンゴその人の寝室だった。
 酒が回っているのだろう。彼はベッドの傍にただ座っているクランにすぐに気づいたが、億劫そうに視線をやるだけだった。

「抜け出してきたのか」
「こらそん」
「コラソン? なんだ、またロシーに…」
「ドフィをたのむ」
「………ああ、」

 声の出せないロシナンテが、クランに言葉を教えることはできないだろう。ドフラミンゴは目元を覆って小さく笑い、枕元から手を伸ばして自身のコートを寄越してやった。

「仕方ねえな、今日だけだぞ」

 子供は心得たとばかりに頷き、コートを寝床にして丸くなる。男は今は遠き相棒の声を思い出しながら、心地いい眠りについた。海もくたびれたように黙り込み、やがて一日が終わりを告げる。
 ―――なお、10年経ったのちも飼い犬がベッドの傍で眠りつづける羽目になるのを、このときのドフラミンゴは知る由もないのであった。







×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -