北の海の果てには古い伝説が眠っている。姿かたちは不可解で、その言葉が不死鳥のように一体の生物に与えられた名前なのか、それとも種を指す言葉なのかも分からない。ただとても素早く、不条理で、ひとたび睨まれたら逃げられない、悲劇の怪物。
 燻(いぶ)り狂えるそれに近寄るべからず。響け悪魔の名は―――おどろしきバンダースナッチ!




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 北の海、ヴォーガー。
 聖地マリージョアの世界貴族とまではいかずとも、身分制度が色濃く残る地。極端な貧富の差から生じる治安の悪さも手伝い、ヴォーガーは海賊と豪商が蔓延る悪徳の街と化していた。
 年明けからひと月、まだ雪深いある時期に海賊同士の抗争が起こった。商人たちの金銭的なバックアップも空しく、スパイバーマイルズから徐々に手を広げるドンキホーテファミリーに軍配は上がり、かくして領地は占拠されたのである。

 ファミリーが各々破壊した場所から財宝をかき集めている頃、部下も連れずに前線へ行っていたドンキホーテ・ドフラミンゴがふらりと戻ってくる。その手に汚れた小さな荷物を携えているのを見て、トレーボルとディアマンテは笑って声をかけた。

「ドフィ!お宝でもあったのか?」
「ああ、能力者だ」
「べへへへ!そりゃいい、拾いものだ!」

 背の高い彼が抱えているとまるで赤子のようだったが、見たところ7、8歳の子供のようだった。色の薄い髪は伸び放題で、大人でも凍える冬島の気候のなかで獣のように何も纏っていない。
 幹部二人は顔を見合わせる。
 一見しただけでわかる。子供は特別「訳アリ」だ。ドフラミンゴは昔から凄惨で救いようのない環境にいた人間を重要視する。そしてそれについてなにも反するところのないトレーボルとディアマンテは、あっさりと子供のことを受け入れた。

「それで、どんな能力者だ?」

 他のファミリー達もボスに気付いて集まってきている。腐ったゴミ山から始まった海賊家業は上り坂。泣く子も黙るドンキホーテ・ファミリーの船長は、実に楽しそうに笑って子供を撫でた。

「そいつはきっと明日の新聞で分かるだろうぜ」


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『1月11日正午過ぎ。サーガッソ島、ヴォーガーにて犠牲者80人超の死傷事件。
 街の中心部に位置する広場で83人が死傷または重症を負う大事件となった。意識のある者も何故か軒並み正気を失ったかのような言動を繰り返しているが、原因は今のところ解明に至っていない。
 目撃者の証言では、小さな獣のようなものが縦横無尽に空を駆け回り、広場にいた人間の喉笛に噛み付いたのだという。獣はフォーマイルサーカス団の見世物であるとみられており、海楼石の手錠を壊した形跡から何らかの悪魔の実の能力者と推測されている―――』

 ヴェルゴは椅子に腰かけて朝刊を読み終え、そのまま隣のセニョールへと手渡した。新聞の記述どおりなら動物(ゾオン)系なのだろうが、悪魔の実を食べた子供は手懐けるまでが厄介だ。
 ガシャーン!と大きな音。
 皆が顔を向けると、奥の倉庫で子供が空中で縫い留められたかのようにぴたりと停止していた。その向かいでは指先を固めたドフラミンゴが、木箱にゆったりと腰かけていた。
 グラディウスがボスへの無礼に青筋を立てて子供を拘束しようと近づくと、ドフラミンゴはそれを手を挙げて鷹揚に止める。

「よせ、グラディウス」
「しかし若……」
「教育するんだよ、自分そう望むようにな。自由だと思ってるうちは小鳥は手の中から逃げ出さねえ、そうだろ?」

 男が手を下ろすと、子供は支えを失って無様に受け身を取りながら床に落ちた。小さな獣は部屋にいる人間一人ひとりに暗闇で光る目を走らせ、じりじりと物陰に逃げ隠れていく。
 拾われてきた直後はあまりに酷い汚れ方をしていたので、外でホースの水を浴びせられたあと、ジョーラが押さえつけて洗い、やっと見られるようになった。子供は既に裸ではなく、身の丈に合わないシャツを着せられている。しかし生まれてから一度も散髪をしたことがないような銀髪のせいで、獣じみた印象がどうしても抜けなかった。

 ひっくり返されたパンとサラミ。平皿のミルクには手を付けられていない。檻の中に閉じ込められていた獣にとって、人間はまだ恐怖と警戒にしか値しない存在なのだろう。

「誕生日おめでとう、クラン。今日からそれがお前の名だ」

 サングラスの奥でドフラミンゴが楽しげに笑った。檻と空よりも高い背の男。狼少女の銀色の瞳が、まだ熟しきらない感情を乗せてそれを見上げていた。








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