「―――ハイ、ご通行中の高貴な皆々様。御用と御急ぎのない方は、お顔だけでも見て帰ってください」

 声と声と声。
 大きな檻を中心に人だかりができている。薄汚れた鉄の中には子供が一人、好奇の目に晒されて体を縮めていた。うずくまった小さな体を棒でつつかれ、子供は慌てて立ちあがる。服どころかぼろきれ一つも纏っていない少女の姿に、集まった客たちはどよめいた。

「さあ、北の海の果て『ウォードック』で見つけましたこの娘! なんとこの女の子は、狼の群れで育った狼娘でございます!」

 マイクの音が反響する。
 子供には実際、男の言葉の意味が理解できてなどいなかった。周囲を取り囲む音と声。ただ逃げ場のないそれが恐ろしく、檻が叩かれるたびに怯えて肩を揺らす。
 獣が唸ると観客が湧いた。
 迸る熱気。笑い声。
 強い照明に当てられ、囲う人々の塊はまるで巨大な黒い怪物のように見えた。檻の傍らにいるひょろりと手足の長い男が、針金のような腕を振って客を煽った。

「家を抜け出し、一夜の夢を! あなたが観たことのない感動と熱狂をお約束いたします! "フォーマイルサーカス団"へようこそ!」

 そう、理解なんてしていない。
 屈辱、恐怖、憎悪、そんな複雑な感情を抱いていたとは思えない。子供はまるきり獣だったのだ。
 ひとつはっきり分かったのは。

 "自分が恐ろしく不幸な目に合うとき、こいつらはひどく幸せそうにする"ということだ。


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 オペオペの実を巡る騒動のあと、ドンキホーテ海賊団はついに偉大なる航路(グランドライン)へと躍進した。本来の目的を果たせなかったことを除けば、バレルズ海賊団から奪った宝はそう捨てたものでもない。
 北の海(ノースブルー)からの輸出入ルートも確保し、勢力もそのままに押し進んだ頃には、ドンキホーテ海賊団の懸賞金総額は5億を超えていた。航海のなかでファミリーも規模を増し、略奪行為と並行して進めていた事業も軌道にのった。まさに順風満帆の船出である。

 グランドラインには、彼らのように手広く事業をしながら海賊をやる者も多い。フォーマイルサーカス団もその一つ。彼らは人身売買を主軸としたオークション業で荒稼ぎをしながら、その隠れ蓑としてサーカスを営んでいる。
 ―――フォーマイル海賊団。
 ドンキホーテ海賊団に先駆けてノースブルーからグランドラインへ進出した勢力のひとつだった。

 ドフラミンゴが立てた計画は、彼らの奴隷流通ルートをそっくりそのまま奪うことだ。フォーマイル海賊団には目立った戦闘能力を持つ者がいない。情報があまりないともいえるが、略奪よりも策略が得意なのだろう。
 旨味があるのは所有物だけだ。ならば面倒な作戦を立てる必要もない。交渉に応じて分け前を寄越すならばよし、そうでないなら壊滅させればよし。 
 "海賊らしい"作戦で行こうじゃないか。



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 ―――ドサリ。
 サーカスの床に魚人の死体が横たわる。血の匂い振りまくそれに、檻のなかの動物や亜人たちは動揺した。死体の名は"人攫いチーム"の頭目、コモリザメのグモン。フォーマイル海賊団の専らの商売敵だった男だ。

 偉大なる航路前半、ドラム王国からほど近い島。フォーマイル海賊団はかつてない脅威に直面していた。テーブルを挟んだ向かいのソファに座る男、ドンキホーテ・ドフラミンゴが訪れたからである。
 どうしてこんな大物がここへ?
 彼の両脇には煌びやかなアラバスタ風のドレスを纏った緑髪の美女と、豪奢な金刺繍のヴェールを被った可愛らしい少女が傅いている。魚人を運んだのは、髪の逆立ったマスクとゴーグルの男だ。

 彼らはフォーマイルの商売敵を手土産に、こう言った―――ボスを出せと。

「それで今日は……そういった用向きで?」

 そして現れたのは、ひょろりと背の高い髭の男だった。彼は自らをフォーマイルと名乗り、あくまで紳士的にそう尋ねる。
 ドフラミンゴは長い脚の間に悠々と手を組み、部下を数人引き連れているだけとは思えない余裕をもって笑ってみせた。まるで王者そのもののような振る舞いに、フォーマイルは歯噛みする。若造め、大人しく北の海で王様をやっていればいいものを!

「それが分からねえなら、話す価値もねェ」
「彼らの握っていた流通ルートを寄越せと? それとも、全部かね。それで一体こちらには何の利益がある?」
「おれ達に殺されないで済むさ」
「―――お嬢さん連れで、随分物騒だな」
「こいつはサーカスが好きなんだ」

 なあ?とドフラミンゴが指先で軽く顎をなぞると、少女がフォーマイルににっこりと微笑みかける。男はなぜかぎくりとした。初めて会う相手だというのに、まるで旧知の仲の友人に向けるような親しい笑みだったからだ。 
 少女はドフラミンゴの腕にもたれかかりながら、それでも興味深々とばかりに尋ねた。

「ミスター、サーカスには動物はいる?」
「もちろん! 玉乗りできる熊に、ゾウの背中を飛び越える虎、ライオンもいるね。ああ、昔は狼なんかもしたんだが……今は取り扱っていないな」
「へぇ」

 少女は口元に手をやりながら、楽しくて仕方がないとばかりに肩を揺らした。ドフラミンゴはその間もサングラスの奥からじっとフォーマイルを見つめ、ソファの背中に腕をかけて口を開く。

「クラン」
「はァい」
「"コイツじゃないな"?」
「うん、違う!」
 
 明るくよく通る声でクランと呼ばれた少女が頷く。右側の美女、モネもくすくすと笑っている。途端にドフラミンゴは片手で目元を覆って笑いだし、スーツに包まれた冗談のように長い脚のかかとをテーブルに叩き付けた。
 ガァン!と派手な打音。
 悪夢のような一瞬の沈黙に、男は脂汗が滲むのを感じた。ドフラミンゴはそのままテーブルの上に足を組み、ゆったりと腹の上で指を交差させているというのに、震えるほどの威圧感が部屋を襲う。

「おれはボスを……出せと言ったはずだ」
「フ、フォーマイルは私で、」
「ナメられたもんだな。お前みたいな金勘定しかできねえ奴に頭は務まらねえ。一番上がいるだろうが」
「ですから……」

 フォーマイルの視線が泳ぎ、助けを求めるようにドンキホーテ海賊団の背後をちらりと見つめた。動揺を隠せないあたり荒事には向いていない性質なのだろう。
 彼らはすぐ行動に出た。
 するりと天井から伸びてきたロープから、小柄な男が両腕でモネを捕まえ、そのままテントの上へと消えていく。サーカスの早業に抵抗できなかった―――ようにみえるドフラミンゴ達の真後ろから、真っ赤なサーカステントをめくってぞろぞろと男達が現れた。

「この役立たずの馬鹿息子が。こっちを見るんじゃねえと言ったろ………」
「ごっ、ごめんよ、親父……ッ!」

 中央にいるのはフォーマイルJrよりも輪をかけて背の高い老人が、モネの両腕を後ろにまとめて拘束している。口ぶりから察するにこの男がフォーマイル海賊団の船長のようだ。

「まあいい。クソ生意気な小僧ども、この別嬪をトラの餌にされたくなきゃ手は出すなよ!」

 針金のような見た目とは裏腹に貫禄のある男だ。老人は癖のある白髪を揺らして笑うと、フォーマイルはモネを連れて奥に消える。

 敵の数は三百あまり。対するドンキホーテ海賊団は三人。無抵抗の相手には過剰な数だ。ドフラミンゴは後ろを振り向きもしないまま、わずかに俯かせた頭をただ上げた。たったそれだけの動作で―――全員の頭に稲妻が落ちたかのような衝撃が走った。
 覇王色の覇気!
 糸の切れた人形のように、ばたばたと人が倒れていく。立っているのはクランとグラディウスだけだ。クランはチカチカと走るスパークに、頭を振って気安い抗議した。

「若さまッ、スゴすぎて倒れちゃう!」
「手は出さなかっただろ?」
「……檻の奴らも何人か保ってますね」
「ほお、わりと粒ぞろいだな」

 クランはいつもと違うひらひらとした衣装を翻しながら、気絶したフォーマイルJrの襟首を掴んで檻に近づく。中にいる生き物たちは、みな揃って恐怖だけを瞳に浮かべていた。
 見覚えのある顔もある。
 少女は平然とした声で語りかけた。

「あの日おまえらは、逃げるあたしを見ても、なんにもせずに震えるだけだった」

 檻の中と外。
 繋がれていた同士。
 誰かがクランの顔に気付いた。けれどお互いを呼ぶ名前がないことに、彼らは初めて気が付く。チリチリと燃えだす血が暴れて、番犬は衝動的に鉄格子を蹴り飛ばした。大きな音に震える必要はない。揺らしているのは自分なのだ。

「でもそうしてられるのも今日が最後!
 あたしはここをぶち壊す。跡形もなく! だからおまえらは、あたしに死ぬまでこき使ってくださいとお願いするか……それがイヤならここで死ぬといい」

 弱いやつは死に方も選べない。
 少女の言葉は残酷だが真実だった。きっとこの先ここで祈っていても助けはこない。奴隷は祈ることすら忘れていてしまったのだから。
 檻の中から声があがった。彼らはクランの言葉を正しく理解などしていないだろう。それでも悲痛な鳴き声は響くような合唱になり、かつての同胞に訴える。
 ―――ここから出してくれ!
 ―――逃がしてくれ!

「じゃあ、決まり!」

 クランは掴んだ鉄の錠を力任せにねじ切った。探せば鍵もあったのだろうが時間が惜しい。そして気を失ったままの男を、ためらいなく檻の中へと放り込んだ。
 フォーマイルJrは落ちた衝撃で目を覚まし、そして自分を囲む猛獣たちの血走った瞳に息を呑んだ。強い照明に当てられ、囲う塊はまるで巨大な黒い怪物のようだった。
 そこから先はお送りしない。
 どうせただの地獄絵図だ。


「あ〜〜〜〜! 楽しい楽しいよ〜!!」

 テントの外は橋になっている。
 クランは満面の笑みではしゃぎまわり、ドフラミンゴとグラディウスの手をとってくるくると回りはじめた。兄貴分は呆れ顔で、ご主人様は実に楽しそうだ。

「グラディウス、あちこちいっぱい壊そう! 壊しまくってサイゴに燃やしちゃお!」
「会場もか?もったいない」
「ね〜〜いいでしょ若さま、終わったらもっといいの作ろう!」
「ああ、お前の望むままにしろ」
「わーい!」

 グラディウスはマスクの下でほんの少しだけ微笑んだ。ドフラミンゴはもともと残忍さを魂の底に棲まわせている男だったが、ロシナンテ―――実の弟を殺したあの日からは、より残酷に研ぎ澄まされているように思える。その刃のひとつになれることが、部下にとっては無上の喜びだった。
 それに、彼は復讐に寛容だ。どんな陰惨な記憶も、彼が許せば灰に還る。世界や運命から抑圧されて育った者はそうして、彼のすべてを破壊しようとする暴力に惹かれてしまうのだろう。
 さあ、もっと血を。もっと炎を。もっと破壊を。

 復讐劇にはうってつけの夜だ。









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