事件は全て解決した。
 三つ目族による「血界の眷属」目撃情報は、人狼局特殊諜報課(ルー・ガルーズフロムノーウェア)が徹底的に洗った結果、異界系ファミリーによるガセネタだということがはっきりした。そこからはライブラの末端調整屋の仕事だ。奴隷市場による三つ目族の異常な価格高騰は落ち着きをみせ、ブラックバーン商会で穴が空いた場所にはすぐさま別の企業が収まった。
 ホテル・カリフォルニアが壊滅したことはほんの少し噂になったが、もともと実在するのかどうかも疑われていた店だ。建物があったとされる場所には外観となっていたホテルの瓦礫だけが残っており、その存在は今や都市伝説と化している。ライブラのメンバーでさえ全てが夢だったのではないかと疑いたくなる。何故なら主人であるアレクサンドル・キャッツが―――病院から忽然と姿を消してしまったからだ。

「『アレクサンドル・キャッツ』……HL上のあらゆるデータバンク、外の名簿全てをあたってみたが該当なし。少なくとも過去100年遡ってもいないね」
「そうか……オプティ少年が無事だったことだけでも伝えたかったのだが」
「まあクラウスの話だと人間ではないようだし、相手は正真正銘の魔術師だ。姿を隠そうと思えば人知の及ぶところではないかもな」

 翌日。秘密結社ライブラの事務所にはいつものメンバーが揃っていた。K.Kだけは別件で今日も出動命令が出ている。
 クラウスは一度敵対した間柄とはいえ窮地を救われたと思っているのだろう、積極的にアレクサンドルの捜索を試みたが、当初ホテル・カリフォルニアのことを調査したときと結果は変わりはない。彼女の情報隠蔽が徹底されていたのか、店のこと自体の情報も利用した客も洗いだせなかった。
 ザップがセント・アラニアド中央病院へ運んでから数時間、ほんの少し彼と看護師が席を外した僅かな時間に彼女は煙のように消えてしまった。もともと謎だらけの少女ではあるが、本当に何も分からないまま消化不良で終わってしまったのである。これ以上進展もないかと思われたとき、ザップがぽつりと口を開いた。

「やっぱアレかな、あいつ胸んとこにでけえガラスか石みたいなの埋め込んでたし、見られたらまずいもんだったんじゃねえすか?」
「ガラス?」
「これくらいの緑色の石」
「……!」

 ザップは親指と人差し指で15cmほどのひし形を作り、自身の胸の中心にそれをかざして見せた。話半分に聞いていたスティーブンとクラウスは表情を一変させ、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり血相を変えてデスク漁りだした。ザップとチェインは何が何だか分からないという表情で首を傾げる。
 やがて二人は「魔女の家攻略作戦」のために集められた文献の中から一冊の本をデスクに置く。分厚い皮表紙のそれは立派だがかなりの年代もので、ところどころ破れやヤケが入っている。1994年ルーマニア南部に出土した、15世紀ワラキア公国時代の書物。その"写し"だ。本物はもちろんしかるべき研究機関に置かれているが、内容は相違ない。スティーブンは難しい顔をしながら、ザップに問いかける。

「ザップ、その石は……宝石だったか?例えばエメラルドとか」
「あー!言われてみりゃそうかも知れないっすね。高く売れそうなカンジの」

 スティーブンは思わず悔しそうに頭を抱える。クラウスは少し興奮ぎみに本の記述を何度も何度も読み返しているが、ザップがそれを覗き込んでも何語なのかすらサッパリわからない。それも当然だ。この本が解読されたのは僅か2年前のこと。ニューヨーク大崩落によってもたらされた異界の知識でやっと紐解かれた神秘の本なのだから。
 ワラキア(現ルーマニア)の地方貴族、ヴラド・ヨアン・クザが、当時ある秘密結社に所属していた公爵ニコラエ・フィリペスクの知恵を借りて書かれたとされる、この世の深淵に潜む人ならざる者に関する書籍。ヘルサレムズ・ロットが構成されるその以前より闇深き場所で研究を続けていた人物の貴重な記録は、本来ならば人類には読むことの許されないものだ。

「そうか、どうして気が付かなかったんだ! 古代の魔術、馬鹿みたいに高い魔力。美しい顔。そして宝石の核……」
「実在したとは驚きだ。ラインヘルツ家の歴史を遡っても遭遇した例は一つもない」
「は?え?何なんすか?」
「彼女は―――ジェマだよ」
「ジェマ?」

 古代の人ならざるものども。
 マグマに眠るもの。星の落とし子。生命を持つ石。特にロシア周辺の古い文献にはいくつも呼び名があるが、魔術を巧みに操り、宝石を核に持つ稀有な種族を、かつて人々は「ジェマ」と呼んだ。その目も眩むような美しさにいくつもの王族や富豪が狂ったようにジェマの宝石を求め、数百年前に大規模な宝石狩りで滅んだとされている。
 彼女がジェマだとするならば、不可解の全てに説明がつく。人型でありながら膨大な魔術を一人で扱っていたことも、自分の情報を漏らさないよう細心の注意を払っていたことも、仲間と呼べる者を誰一人作らないことも。何せジェマは血界の眷属以上に伝説級の存在なのだ。もし"そう"だとバレれば最後、どんな危険が迫るか想像に難くない。

「ところでアンタなんで胸に宝石があるって知ってんの?」

 ふんふんと話を聞いていたチェインが、はたと素朴な疑問を口にした。それだけ厳重に己の秘密を守っていたのだから、自ら晒すようなヘマはしないだろう。どこからどう見てもとびきり美しい容姿をした彼女が、HLいち女癖の悪いザップに病院に運ばれた時は気を失っていたというが……。
 沈黙が走る。
 その場にいた全員が運び込まれた病室のベッドと嫌な想像を結びつけて振り向いた瞬間、ザップは既に出入り口に身体を滑り込ませていた。顔だけ出した状態で胡散臭い笑顔を浮かべながら、片手を上げて快活に宣言する。

「そんなスーパーレア物が野放しなんて危ねえんで、俺ちょっと探してきますネ」
「ちょっと待てお前まさか」
「じゃ!」

 三も四もなく迅速に追求からの逃亡を選んだ男の姿を愕然として見送った3人は、次の瞬間我に返ってザップを追いかける。しかしなんと逃げ足の速いことか、出入口から抜けた路地裏には彼の影も形も、そして愛車のランブレッタも見当たらなかった。


▲▼


 ヘルサレムズ・ロットは今日も変わらず平和そのものだ。旧クイーンズの移民街では昨日戦争状態になったことが嘘のように賑わい、驚いたことに簡易テントが運び込まれて露店も絶好調。チェインやK.Kの部下を総動員で逃がした甲斐もあるというものだ。この街の持つ悪魔的なエネルギーにもそろそろ慣れてきたザップは、それを横目に元ホテル・カリフォルニアがあった場所へとランブレッタを走らせた。
 建物のすでに片付けもほとんど進み、瓦礫も撤去されてしまっている。あの蜂蜜色の壁は幻だったのかと思うほどに、そこに彼女がいた痕跡はなにもない。

「つーか、なんでカリフォルニアなんだよ。全然ちげーだろ。全然ホテルでもねーし」

 名前を聞いたときから思っていたことが、誰も居ない場所でぽろりと吐き出された。探すといってもアテがあるわけではないし、事務所に戻るのも気が引ける。バイクを停めてさてどうするかとポケットに手を突っ込んだザップの足元に、二つ折りの紙がひらりと落ちてきた。そのへんの包装紙を千切って作ったようなそれを彼が拾い上げると、途端に空中で紙が燃え上がる。
 覚えがある光景だ。
 燃え落ちた火種をザップがじっと見ていると、それはのたうって地面に「Come」という炎の文字となった。矢印の示す方向へと無遠慮に足を進めると、不自然に人の流れが途絶えはじめた。気付いているのはザップだけらしい。やがて路地の角を曲がると、そこにはプラスチックのゴミ箱に腰掛けたアレクサンドルの姿があった。

「………」
「………おい」
「……ホテル・カリフォルニアって曲がラジオから流れてて、それで決めたの。名前はなんでも良かったから」
「なるほど……いやンなことどうだっていーーんだよ!!病院抜け出してどこほっつき歩いてやがったこのアマ!!」

 開口一番に言われた言葉に一瞬納得してしまったあと、ザップはアレクサンドルに大股で詰め寄った。肩を揺らした彼女はアイスグリーンの病衣にスリッパのままで、顔色もまだ悪い。それでも損なわれない美貌のせいで、ザップは詰め寄ったまではいいがポケットから出した手の行き先に迷わねばならなかった。彼は自分で自覚している以上に美人に弱い性質だ。病院に運び込んだ時だってボロボロの服を病衣に着替えさせただけで、手を出そうという気になれなかった。
 アレクサンドルはずいぶん答えに迷った様子で、ああ、だとかうん、だとか要領を得ない返事をする。昨日まで立派な魔法の城に守られ、スティーブンほどの男を見事に退け、一時はクラウスまで圧倒した彼女が、全て失ってこんなゴミ捨て場で所在なさそうに立っている姿は、ザップの心を無性に波立たせた。

「運んでくれてありがとう」
「ん……いや別に」
「それだけ、じゃあ」

 そう短く言うとゴミ箱から降りてしまい、さっさと男に背中を向けて去ろうとするアレクサンドルの手を、褐色の手が強く掴む。
 驚いて振り向いた彼女の顔は青白く、手も驚くほど冷たく頼りない。ザップは何故自分が手を取ってしまったのか分からず黙り込んでしまう。ただ腹の底にたまっていく苛立ちのために、体が勝手に動いてしまったのだ。この女を見ていると何故だかふつふつと、得体の知れない怒りが湧いてくる。ザップは大きなため息をついて居心地悪そうなアレクサンドルを睨んだ。

「お前ってなんでそ〜〜〜いうさあ………行くとこねーんだろンな服のままウロつきやがって」
「魔力が戻ればなんとかできるから大丈夫。魔力は自然回復するし、店だってすぐに……」
「うるせえ」

 降り注ぐ言い訳に青筋を立て、ザップは細い顎を掴んで唇を合わせた。不意打ちの出来事にアレクサンドルは数秒固まったが、離す気配のないザップに抵抗して片手で押し返そうとする。しかし魔術が仕えない魔術師など、斗流の戦士であるザップにとっては赤子の手を捻るも同然。アレクサンドルは暫く唸りながらあちこち叩いたりと抵抗を続けていたが、ふと急に静かになった。
 長いキスが終わったあと、アレクサンドルは呆然とした顔をしていた。頬に赤みが戻っているのは気のせいではない。驚いたことに、ザップは彼女がやった魔力供給をたった一回の見よう見まねでやってのけたのだ。彼は確かに常人より高い魔力を持ってはいるが、おいそれとできることではない。それをやってしまうのがザップという男だった。
 幾分か顔色が良くなった彼女を見て、ザップはそのまま当然のように手を引いて歩き出す。

「オラ、行くぞ」
「い、行くって、どこに」
「オメーみたいな面倒くせー女の引き取り手なんて俺らんとこしかねーだろうが」

 秘密結社ライブラ。
 その意味するところをすぐに悟ったのか、アレクサンドルは何かを言おうとして、結局なにも口にできないまま俯いて後につづく。痕跡を残さずに完全に消えることだってできただろうに、わざわざ彼を自分の元まで連れてきたその理由。アレクサンドル自身にもはっきりと答えの出ないそれが、ザップにとっては簡単な答えだった。
 されるがままだった細い手指が、ほんの少し彼の手を握りかえす。「助けて」もまともに言ったことがなさそうな女のできる唯一の返事に、ザップは鼻を鳴らした。



 ヘルサレムズ・ロット。一歩間違えば人界を不可逆の混沌に呑み込むその街で、まことしやかにささやかれる謎多き店。「ジャスパー」「ユリウス古美術商」「黄金の葡萄酒(ゴールド・ワイン)」―――またの名をホテル・カリフォルニア。
 崩壊など噂の噂。ホテル・カリフォルニアはあいも変わらず幻のように存在し、手出しした者の末路はHLに知れ渡った。今も霧の街のどこかに入り口があり、変わらず案内人が出迎える。ただ一つ違うのは、主人が営業の合間にほんの少し「世界の均衡を守るため」に暗躍するようになったことだけだ。


「ホテル・カリフォルニアへようこそ。あなたはここで見つけることができる」




END









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