「ブレングリード流血闘術 39式 血楔防壁陣(ケイルバリケイド)!」
「煌々魔堂術 硬度8.5結界!」


 クラウスが床を殴りつけたと同時、赤黒く光る十字架が頂上へ向かう。アレクサンドルと名乗る魔術師が手をかざすと空中に魔法陣が現れ、十字架を弾いてガラスのように砕けた。それを見た少女は思わず目を見開いて歯噛みする。今彼女が使った結界は、この建物を覆うようにかけられていた魔術と同じ種類のものだ。硬度をあげてもこの男の拳では物理的に壊されてしまうかもしれない。
 対するクラウスもあっさりと弾かれてしまった自分の技と、血の滲む右足を見て深刻な形相になる。やはり彼の知る魔術師相手とは勝手がまるで違う。呼吸を整えて相対する強面の男に、アレクサンドルはありったけの軽蔑を込めて吐き捨てる。

「ブラックバーンはね、私の店に来た中でも最低な男よ。どんな三文芝居であなたを陥落したか知らないけど、オプティの居場所は教えない」
「彼には身寄りがない。この街でそれがどれだけ心細いことか、君なら分かるだろう?」
「だから、この世で一番金に汚いあの男が―――二束三文で売り払った奴隷を取り戻したいなんて、魂胆が見え見えだってのよ!」

 アレクサンドルは怒りまかせに石柱を踏むと、再びクラウスの足元が石針の筵となる。今度は問題なく回避できた。彼女は感情の揺れが激しいが、それ以上に魔術発動の狙いが正確だ。激昂したからといって手元が狂うタイプではないらしい。
 クラウスはファイティングポーズを崩さないまま、与えられた情報と目の前で起こった全ての出来事が噛み合っていないと感じはじめていた。ブラックバーンの話や少なからず集められた情報は、どれもこれもホテル・カリフォルニアの奴隷商は血も涙もない極悪非道の悪魔だと訴えた。

(だが、彼女は―――……)

 造形こそ悪魔のごとく美しいが、唇を噛んで怒りを燃やす表情はどこまでも年相応の少女だ。携える能力の脅威とはミスマッチなその姿に、クラウスの心は葛藤に揺さぶられていた。依頼主を無暗に疑うような真似はしたくないが、しかしどうして。
 構えを崩さず攻撃はいなしながら仕掛けてこないその男を、アレクサンドルは舌打ちでもしそうな顔で見下す。そして懐から小瓶を取り出すと、親指でピンを開けて一気に中身を煽る。ガラス瓶のラベルには「クラウス・V・ラインヘルツ」の文字が書かれていた。

「私の……?」
「そう、血液よ」

 血を飲むだなんてまるで伝承の中の吸血鬼だ。恐らくセキュリティ突破の際に指先から採取された血液だろう。アレクサンドルは白い喉を撫でつけながら僅かに顔を歪める。しかしすぐ瞳に冷たい残酷さを宿すと、笑みを浮かべて指先を空中につい、と滑らせた。
 ―――パアンッ!!
 しっかりと構えをとっていたクラウスの鋼のような足首が片方、穴のあいた風船のように破裂する。支えを失なった身体がグラリと揺れた。あわや針の筵に倒れ込むという一瞬前に、大きく零れ落ちた血液が巨大な十字架の形となって彼を支える。アレクサンドルが笑みを消した。

「あなたの血の『配列情報』、複雑すぎて頭がグラグラする。本当に人間?」
「血が特別製なだけだ。私は正真正銘の人間だよ、アレクサンドル嬢」
「……大嫌いなの、貴方みたいな紳士ぶった人間。特にブラックバーンみたいに自分の利益のためならなんでもする連中はね。どうせ三つ目族の値段が急激に高騰してるからって、奴に一枚噛んでるんでしょう?」
「………!!」

 クラウスは息を呑んだ。
 このホテル・カリフォルニアの調査以前に舞い込んできた、赤い羽根を持つ"血界の眷属"が一般市民によって目撃されたという案件。軽い情報収集を行ったが、信憑性は低いと判断されたために処理されなかったものだ。
 常に枯渇した情報には、眉唾でも莫大な値段がつく。ましてや伝説級の吸血鬼に関するものなら尚更だ。ブラックバーンが今になってライブラに依頼を持ちかけてきた理由。三つ目族の値段が高騰している理由。それがその目撃情報が―――三つ目族の者によるものだったからだとすれば。
 憶測だがすべて辻褄が合う。
 ひとつ明らかなのは、ブラックバーンが彼に意図的に情報を歪めて伝えていたことだ。愕然とした表情の大男に、アレクサンドルは怪訝な顔で攻撃の手を止めた。クラウスは隠しきれない動揺をそのままに口を開く。

「ブラックバーン氏は、私にこう言った。ガードナー商会と君に騙されてオプティ少年を奴隷として売り飛ばしてしまったと」
「そう」
「もし相違があるなら………どうか、教えて欲しい」
「……分かってるの? あなた、私に片足を吹っ飛ばされたのよ。とどめを刺せないとでも思う? なんで私に聞くの? なんで……そんなに必死なの?」
「私は真実を知りたいのだ。そして助けを必要としている者がいるなら助けたい。命をかける理由は十分にある!」

 自らの血液でなんとか身体を支える息も絶え絶えの男が、苦し紛れに言える台詞とは思えない。そう感じさせるだけの凄まじい迫力が彼にはあった。歯を食いしばって眼光ばかりが鋭くなる男を見下し、アレクサンドルは気圧されたように沈黙したあと、石柱を蹴ってクラウスの前に降り立った。
 攻撃してくる様子はない。
 そもそもクラウスは最初から、相手に傷を負わせようという気すらなかった。アレクサンドルとて「牙狩り」の血闘術に詳しいわけではないが、攻撃に殺意があるかどうか―――そのくらいは分かる。彼女はふっと細いため息をついて、まるで気乗りがしない様子で唇を開いた。

「………彼はもともとブラックバーン商会の奴隷だった。ガードナー商会からの話で、金に困っていたらしい奴から数人の身柄を私が買い取った。彼らは今それぞれ新しい場所で正当な賃金を貰って働いてる。ホテル・カリフォルニアがやるのはそういう仕事」
「………」
「口の悪い客は、私を『奴隷商』と呼ぶ」

 信じやしないだろうけど。
 クラウスの瞳を真っ直ぐに見ることができないまま、少女は不安げに視線と言葉を床に落とす。力を失った石の城が流砂のように形を崩し、彼らの足元へとゆっくりと流れ込んできた。突き破られた天井から霧を透かして太陽が降り注ぐ。
 そのときだ。
 再び口を開こうとした瞬間、遠くからけたたましい轟音が近づいてくるのに二人は気付いた。穴の開いた天井から肉眼で捉えきる前に、積み上げられた魔法の城がぐらりと足元を崩しはじめている。外部からの攻撃を受ければ、それこそ砂上の城と消え失せるほどに。



▲▼



 同時刻、ホテル前。
 ホテル・カリフォルニアは異相を呈していた。空間を制御していた魔法が崩れたのだろう、廃墟同然の外観からは本来の姿が見え隠れし、その中心部は岩山のように盛り上がって変型している。隣のビルから建物の様子をずっと監視していたK.Kはチェインからの連絡を受け、外に待機させていた部下たちに指示を送った。
 と、同時に通信が入る。
 仲間たちとやりとりをする信号とは異なる電子音が流れ、K.Kは眉根を寄せて耳元に手を当てると、彼女には聞き覚えのない人物の声が流れ始めた。

『ライブラの諸君、よくやってくれた。我々が手間取った奴の魔術をこうも鮮やかに破るとは、脱帽を言わざるを得ないよ』
『……ミスタ・ブラックバーン。どういうことです?依頼主とはいえ作戦行動中に無線に割り込むとは、ずいぶんな真似じゃないですか』
『あとは我々ブラックバーン商会が作戦を引き継ごう。君たちは退避したまえ。今からこのあたりの移民街が吹っ飛ぶからな』
『何を、』

 そのとき、K.Kの背後から派手なプロペラの音が迫ってきた。突風に足をとられそうになりながら後ろを振り返ると、彼女の背から這い上がってきたのはAH-46 アパッチ―――マクドナル・ダグライス社の攻撃ヘリコプターだ。それも一機や二機ではない。K.Kは驚愕に目を見開き、思わず大きく口を開く。

「アパッチですって!?こんな市街地でブっ放とうなんて冗談じゃないわ!正気じゃない!」
『ミスタ・ブラックバーン!』
『では健闘を祈る』

 ブツン、通信が途絶える。
 声色からして攻撃を中止する気は一切ないようだ。遠目に見てもヘリには物々しい武装がしてあり、建物をひとつ倒壊させる程度では被害が済まないことは明白だった。警察に連絡している時間はない。部下を率いているK.Kの部隊が、銃で脅してでも近隣住人を避難させるしかないだろう。
 K.Kはすぐさま指示を飛ばしながら、通信の繋がらないホテル・カリフォルニアを振り返る。一度は魔術の破壊で連絡がとれるようになったというのに、一体中で何が起こったのか。このままではクラウス諸共木っ端みじんだ。肝心なときに役に立たないインカムを爪弾き、K.Kは鋭い声を飛ばす。

「ザップザップザァーーーップ!ザップっち聞こえてる!?」
『姐さ―――ガガッ―――聞こえ―――ガーッ―――!!』
「"10-44(緊急退避)"!繰り返す!10-44!10-44!クラウスを連れて即刻そこから退避よ!!」
『―――了解!』

 辛うじて繋がったようだ。作戦を邪魔してきたとんでもない依頼主から渡された代物など今すぐ破壊したかったが、現状が現状だけに情報伝達は欠かせない。K.Kは舌打ちを飲み込んで配置につき、一機でも多く撃墜するために少ない装備をなんとか組み立てた。
 しかし近づいてくる戦闘ヘリの武装も並ではない。何が何でもこのホテル・カリフォルニアを殲滅してやりたいという意志すら見え隠れする2,75inロケット弾、果てはヘルファイア対戦車ミサイルまでと目白押しだ。重装備の空飛ぶ戦車をスコープ越しに睨みながら、K.Kはザップが間に合うことを祈って引き金を引いた。

Next→












×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -