ヘルサレムズ・ロット、ダリの蚕区。街の中でも異界寄りのこの場所は、そこかしこに巨大な繭のような白い塊が点在していて、一部は中を切り出されて店舗の枠組みとなっている。ニューヨークの面影を喰い殺すこの区画は人類には不人気だったものの、異界人には様相が特に好まれ、いつしかここは非合法不健全な店が集う「コクーン・タウン」と呼ばれるようになった。
 そんな繭の町を一人の男が歩いている。上背のある体格いい大男で、強面の顔に色の濃いサングラス。腕から下げた黒光りする鋼鉄の巨大なスーツケースは彼の手首と厳重に繋がれており、あきらかに物々しい雰囲気だ。チンピラ達も視線を向けるだけで近寄ろうとはしない。男は大股で迷いなく道を歩くと、三つ目の路地で角を曲がった。するとそこから先は賑やかな表通りとは違い、おおよそ不自然なほど人気がなくなる。

(ここだな……)

 繭だらけの町でただひとつ、ぽつんと緑色に浮いている建物。元は教会のようだが、ずいぶんと放ったらかしにされたのだろう。蔦が前面に生い茂って元の壁の色がわからないほどだ。人々に作り上げられ祈りが満ちたはずの場所も、人々が見捨て去れば朽ちて果てるのみ。こういう場所を「神に見放された場所」というのだから皮肉なものである。霧の中で空々しく佇む朽ちた十字架を見上げ、男ーーー武器庫(アーセナル)のパトリックは蔦の絡んだ銅の呼び鈴を鳴らした。
 ざあっと蔦が引いて扉が姿を現わす。年季の入ったペンキは剥がれて落ち、かろうじて白色だとわかる程度だ。普通の扉ならば覗き穴がある場所には深い紺碧の石が埋め込まれている。パトリックは事前に受け取っていた同じ石の指輪を扉の石に合わせると、石同士が光ってカチリと反応した。すると扉がゆっくりと観音開きになり、男は背を屈めて中に入っていく。
 そしてそれまで表情を変えなかった大男は、あまりのことに思わずケースを取り落としそうになった。

「なんてこった、いつぶりだ?」

 朽ちて穴の空いた天井の向こうには、ヘルサレムズ・ロットではもうお目にかかれないはずの青空がある。パトリックは武器に使う魔術程度しか分からないが、これが並大抵のことではないことくらいは理解できる。そういえば、少し肌寒い。「此処」は既にHLではないとでも言うのだろうか。
 パトリックはわくわくと気持ちが盛り上がってくるのを感じた。ここはホテル・カリフォルニアという名前が最も有名だが、パトリックが半年ほど前から訪れたくてたまらなかったのは魔術専門店「黄金の葡萄酒(ゴールド・ワイン)」のほうである。あいにく紹介制だったのでツテが足りず叶わぬ夢となっていたはずが、今や直々の招待客だ。ホテル・カリフォルニア倒壊の報せを聞いたときパトリックはそれはそれは嘆いたので、喜びもひとしおといったところか。
 歩を進めていくと、教会とは程遠いつくりの建物が見えてくる。蜂蜜色の壁のカントリーハウスのようで、年季は入っているがよく手入れされているという印象だった。周囲を見渡してみても霧に覆われたように様子が分からず、この建物が本当はどこにあるのかの推測は叶わない。外壁には噂に聞いていた決まり文句が刻まれているーーー「Welcome to the Hotel California,You can find it here.」。

「『ホテル・カリフォルニアへようこそ。あなたはここで見つけることができる』……」
「今日は私が見つける側だけれどね」
「!」
「わざわざお呼び立てしてごめんなさい。ご足労いただき感謝します、ミスタ・アーセナル・パトリック。私は店主のアレクサンドル・キャッツです」
「堅苦しい挨拶は抜きだ、噂は聞いてるぜ、ミス・ゴールドワイン。今日ほどライブラに所属してて良かったと思った日はねえ」

 パトリックはいつの間にか開いていた扉の向こうの人物に前のめりで握手を求めた。勢いで指輪のついたぶ厚い手と握手を交わしたアレクサンドルは少し驚いた様子だ。それもそうだろう、ライブラのメンバーたちは彼女の仕事にはあまり興味がないようだったし、客に対しては極めてドライな関係を心がけている。だから仕事相手の好意的な反応というのはとても新鮮なものだった。
 パトリックがアレクサンドルに会うということで、他メンバーから簡単な説明はお互いに受けている。アレクサンドルはあのホテル・カリフォルニアやその他の店を取り仕切る女主人でライブラの新入り、パトリックは彼らをもってして「用意できない武器はない」と言わしめるほどの武器商人だ。えてして商人同士というのは話が早いものである。
 
「お望みのものは揃ってるぜ。ま、いくつか候補も連れてきたから見てくれ」
「コーヒーか紅茶は?」
「ブラックに砂糖山盛り入れてくれ! 銃は趣味じゃねえって注文だったからな、ナイフ系を中心に変わり種も用意してみた」

 流れるように腕から手錠を外し、パトリックは楽しくて仕方ないという表情でトランクケースを開ける。すると中に組み込まれたアームが次々に展開し、広いテーブルを覆いつくさんばかりの武器が飛び出した。アレクサンドルはその様子を見てティーカップをやめて丈夫なマグカップを二つ取り出し、濃いコーヒーを注いで砂糖をこれでもかというほどスプーンで盛る。
 席に戻ったアレクサンドルの目の前にはいくつかの小型ナイフが置かれていた。シンプルなものから見たことのない装置がついたものまで様々である。依頼主が促すと武器商人は端から順に説明をはじめた。

「まずあんたは小柄だからサバイバルやらコンバットやらのフィクストナイフ……鞘に刃があるタイプだが、デカいだろうから省こう。推奨はフォールディング(折り畳み)系だ。アーミーかバタフライなんか古めかしくていいかもな」
「悪かったわね、アナログで。でもそうね、折り畳みが携帯にいいかも」
「こいつはどうだ? エマーソンナイフ……正確には"エマーソンナイフ風"ブレードだが。バネで刃が飛び出すようになってる。全重量がかなり軽い! ノーブランドだが質はいいぜ」

 パトリックが手渡したのは黒一色のマットな質感のナイフだ。確かに他のものより薄く軽いが、素材はしなやかで丈夫らしく、滅多なことでは欠けたり折れたりはしないという。柄の先には指を入れる穴があり、ここと窪みに手を固定して突起を押すと刃が回転して飛び出す仕組みらしい。
 正直言ってアレクサンドルには魔術戦を除けば戦闘経験がほとんどない。銃よりは馴染みがあるというだけで、ナイフを扱うのも料理ならともかくそうありはしない。武器はあくまで魔術の補助であり、これ自体をメインの攻撃手段にするつもりはなかった。よってこれにも術を仕込むつもりでいる。刀身に刻みを入れても機能性は失われないかとパトリックに打診すると、彼はサングラスの奥で面白そうに目を細めて「改造は大歓迎だ」と口の端を上げた。

「アンタが修理したっていう13mm拳銃は見事だった。どんな化物が使うんだってスペックだがまさに"悪魔のごとき"凶悪さだぜ」
「魔術的な代物ならね……壊れたものを直すのが好きなだけ。たとえ"悪魔"が使ってたものでも、それ自体に罪はないもの」
「ま、使う奴がクソ野郎かどうかさ」

 平和な世になればなるほど、魔術や武器といった力の象徴は数百年にも及び悪評に晒されてきた。だが力そのものに聖魔などない。全ては使う者の裁量だ。「大いなる力には責任が伴う」という倫理の培われた世界では暴論と呼ばれるかもしれないが、パトリックやアレクサンドルのような者にはそんなことは関係がない。道具を道具としてみることができる人間はそう多くないのだ。
 牙狩り。武器商人。魔術師。世界基準での圧倒的な少数派。ヘルサレムズ・ロットという特殊な居場所を得てはじめて自由に泳ぐことができる魚たち。この奇妙極まる街でこそ大手を振って歩いていられるが―――「外」では日向を嫌って闇に潜むしかない。そういうものが集まって煮詰まって凝り固まって、この混沌の世界はかくも危うく成り立っている。

「それで、そっちの仕事はどうだ? アンタから見てもビックリ人間ショーって感じか?」
「牙狩りの彼らは本当に凄まじいわ。ザップみたいに力を刃の形に留めておくのはかなり高度な技だし、私にはとてもできそうにないからーーーこうして武器を探してるんだけど」
「ああ、はっきりいってあの野郎は天才だ。クラウスやスティーブンとはチョイと種類が違う。K.Kと人狼局のチェインにはもう会ったんだったか?あいつらも飛び切りだがな」
「ああ………」

 女性陣の話になった途端にアレクサンドルは言い淀み、武器を品定めする手が目に見えて鈍くなった。もしかしてそりが合わないのか?とパトリックが聞くが、そういうわけではないらしい。砂糖がたっぷり溶け込んだマグカップのコーヒーを一口飲んだかと思えば、彼女は額に手を当てて項垂れる。

「私、ヴィヴィって妹がいたの」
「おお?」
「双子だからどっちが妹だとかは無かったけど、ヴィヴィは悪戯っ子で勉強嫌いだったから、父や家庭教師はいつも手を焼いてた。外で遊びまわってるのがバレたら決まって私のところに逃げ込んでくるものだから、私までお父様に怒られたわ……」
「そりゃずいぶんお転婆だな」
「でも、あの子はとっても可愛い女の子だった。本当にこの世の奇跡みたいに綺麗で、春の陽射しみたいに笑うから、なんていうか、許してあげたくなっちゃうのよ………」

 この類稀なる美貌を持ったアレクサンドルにそうまで言わせるのだから、本当に「この世の奇跡」のように美しい少女だったのだろう。是非ともお目にかかりたいものである。しかし彼女の麗しい妹の話がK.Kやチェインと一体なんの関係があるのかと首を傾げ、パトリックは「つまり?」と先を促す。
 アレクサンドルはたっぷり間を空けたあと、重々しく両手指を組んで口元を隠し、非常に深刻そうな声で言った。

「私は美人に弱いのよ」

 一瞬沈黙が走った。

「……っぶわははははははっははは!!」
「笑いごとじゃないわ!」
「な、なに言いだすかと思ったらおま、お前、そのナリで"美人に弱い"ってなあ〜〜ッ ぶはっ ふははは!!」
「本当に悩んでるのに……」

 例えばとんでもない無理難題を吹っかけられて迷惑を被ったり、あるいは自分が大怪我をして死にかけたとして、相手が普通の容貌なら怒ったり見限ったりできるのだが、それが美人だとしたらーーーその美しい顔が憂いを帯びて哀願してこようものなら、恐らく許してしまう。そうなると、チェインやK.Kに微笑まれただけであれこれ言うことを聞いてしまうのではないだろうか。ちょうどお転婆の妹のように。
 そんなことを至って真面目な顔で切々と訴えるアレクサンドルに、パトリックは笑いが止まらない。武器が満載した机をバンバンと叩いて背を反り、ソファーに縋り付いてひいひいと息を切らしている。アレクサンドルは馬鹿にされていると思ったらしく、少し怒った顔で武器を選んだ。そこにははじめに薦められたエマーソンナイフも含まれている。

「もう十分笑ったでしょう! これとこれとこれをいただくわ、『武器庫のパトリック』」
「はいよ、まいどあり」

 アレクサンドルは慣れた手つきで小切手に提示された金額とサイン諸々を丁寧に書き入れ、まだにやけが収まらないパトリックにしっかりと手渡した。パトリックは専用の箱にナイフや他の武器を包み、仕様書を添えて依頼主に差し出す。ホテル・カリフォルニアの女主人は唇を引き結んで「確かに」とそれを受け取った。
 本当は黄金の葡萄酒(ゴールドワイン)の商品をいくつか見せてもらおうと思っていたのだが機嫌を損ねてしまったようだ。この様子では通行証の回収も忘れているだろうし、今日はこれでお暇しよう。これから会う機会が多くなりそうなことだし。サングラスの奥で笑う男の指には、紺碧の石のついた指輪が太陽を反射してきらりと光っていた。













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