一夜明けた。
 「患者の詮索をしないのだけが取り柄」という闇病院は、ヘルサレムズ・ロットにいくつかある。大事をとって一晩の入院を勧められたアレクサンドルは、医者の簡易的な問診を受けたあとベッドに座ってぼうっと考えごとをしていた。霧が立ち込める街の朝は何度見ても慣れないもので、薄白く空が光って時間を忘れさせる。
 あのあと―――彼のランブレッタに乗せられてかの秘密結社ライブラの事務所に辿り着き、驚いた顔のクラウス・V・ラインヘルツに熱烈な歓迎をもらってから、正式にライブラのメンバーとなることになった。ボスである彼が納得しているならば文句はない、とばかりのメンバーに病衣のまま挨拶を済ませ、それから今に至る。スティーヴン・A・フォード改めスティーブン・A・スターフェイズあたりは反対するかと踏んでいたが、彼はまるでアレクサンドルと初対面のように振る舞うので、いろいろとタイミングを逃してしまった。
 クラウス氏はホテル・カリフォルニアの再建費用をライブラで負担すると言ってくれたが、それは断っておいた。建物が壊れたのはブラックバーンの手による部分が多いし、何より自分の住む場所を他人の手に委ねるのは抵抗があった。しかし店のことを考えるのはとりあえず、当面の身の振り方を決めてからだろう。あれこれ考えを巡らせていたら、病室の前に覚えのある気配が立ったのを感じ、アレクサンドルは顔を上げる。

「ミスタ・レンフロ」
「あ〜〜〜………いや、ザップでいいわ」
「じゃあザップ、おはよう。体は大丈夫?」
「オウ」

 ミスタ・レンフロと呼ばれた褐色の肌に銀髪の男は、一瞬満更でもないような顔をしてからそう告げた。クラウスにでも様子を見てくるように言われたのだろうか、手ぶらでポケットに手を突っ込んだままのザップが病室に入ってくる。アレクサンドルは病衣の色が変わったくらいだが、昨日と比べてだいぶ顔色が良くなっているようだ。朝陽に照らされた薔薇色の頬を見て、ザップはガラにもなくため息でもつきそうになった。
 彼女が古代に失われた種族であることは、一切他言無用のトップシークレットとなっている。アレクサンドルがライブラ加入のとき付けた条件はその一点のみだった。こんな人間としての理想形のような姿をしているのに人間ではないなんて、その目で宝石の核を見なければ信じられなかっただろう。他愛のない話をしながら美しい鼻筋や長い睫毛を眺めていたザップは、「それで、」という言葉にやっと意識をきちんと話の内容に向ける。

「申し訳ないんだけど、適当に服を一式買ってきてもらえない?余ったお金はそのまま取っておいていいから」
「ア?」

 一体どこから取り出したのか、アレクサンドルは白い封筒に入った紙幣をザップに手渡す。反射的に受け取って中身を確認すると、ざっと数えても10万ゼーロあった。そんな大金をぽんと渡されたザップがどういう行動に走るかは、彼と少しでも付き合った人間ならば想像に難くない。だらしなく丸めた背筋を伸ばして素早く封筒を懐に仕舞ったザップは、真っ直ぐアレクサンドルを見て頷いた。

「任せろ、ちょっと時間貰うぜ!」
「? 急がなくてもいいからね」

 ザップが病室をスキップでもしそうな上機嫌で出て行くのを不思議そうに見送ったあと、さて、とアレクサンドルはベッドから立ち上がる。そしてサイドに置かれた飾り気のない棚にあるメモ帳とボールペンを持ち、病室のドアの前に立った。鍵をしっかりとかけた場所に指を二本沿わせてなぞると、金具が光ってカチャカチャと震える。これで暫くは誰も出入りできなくなった。
 ホテル・カリフォルニアは外観と内観が一致しない。それもそのはずだ。あの蜂蜜色の建物は実のところヘルサレムズ・ロットの外にあり、あの廃墟のホテルと入り口を魔術で繋げているだけなのだから。しかしあの騒動のなか魔術が狂ってしまい、アレクサンドルのいた中心部を残して接続が切れてしまった。だから少し崩れてしまったかもしれないが、建物自体はちゃんと残っているはずだ。

「Lt 44.43225.54342……Lg 26.10626.54341……Ft272.31……」

 ブロックメモを剥がしてはペタペタと扉に円になるように貼り付け、ボールペンで次々と書き込んでいく。現時点と目標の位置を座標に割り出して示し、次に空間移動の術式を狂いなく刻む。魔法といえばどこかファンタジックな響きではあるが、蓋を開ければそれは緻密で厳格な計算式だ。ひとつでも間違えば全てやり直し。信じられないほど非効率で、それゆえに強力である。
 つぎはぎに貼られた白い紙の上に書かれた魔法陣が完成し、最後にアレクサンドルは手のひらを中心にかざす。すると紙はいっせいに真っ赤に燃え上がり、扉の表面に焦げ付いて克明な焼印となった。息をついた彼女の頬には汗が滲んでいる。病み上がりに空間移動術とは、少し無理をしてしまったかもしれない。

「いけた、かな……」

 鍵を外して扉を開くと、その先は真っ白に伸びる病院の廊下―――ではなく、木製の床にそこかしこに置かれる古びたガラクタたち、少し甘い香油のにおいが漂う、見覚えのある部屋だった。魔術が成功してホッと胸を撫で下ろしたアレクサンドルは我が家に戻り、HLで再びホテル・カリフォルニアを開くための準備を進めるのだった。


▲▼


 本日は大勝利也。
 アレクサンドルから渡された金を握りしめて向かった先は、大人の遊技場パチンコ&スロット。先月の負け越しをこれで精算してやると意気込んで入ったザップは、次々と機械に吸い込まれていくゼーロを見ながら灰皿の上の吸い殻を積み上げ、残り1万を切ったところで奇跡を起こした。信じられないことに15万の大勝ちを当てたのである。昼飯は豪華にステーキを食べるかと悦に浸っていたあたりで、男は本来の目的を思い出した。
 そういえば服を買いに来たんだった。
 時計を見れば時刻は14時過ぎ。病室を出てから3時間ほど経過している。さすがにそろそろ戻らないとまずいなと思い直し、勝ち金を抱えて適当なアパレルショップに入ることにした。表通りにあるだけあって中には若い女性客で溢れており、ザップはその時点であからさまに嫌な顔をする。

「なあ」
「はい! あれ?お一人ですか?」
「おー、ちょっと悪いんだけどよ、これで上から下まで見繕って包んでくんね?靴とか鞄も。んー、だいたい君と同じサイズ」

 てきぱきと動いていた店員を捕まえ、彼女を上から下まで不躾に眺めてからポケットの5万ゼーロを手渡す。残りの金はしっかりと懐に仕舞ったままだ。チンピラのような格好の男性客が一人で入ってきたかと思えばそんなことを言い出したので店員は驚いたようだったが、すぐ笑顔になって金を受け取る。

「彼女さんですかあ?何歳?ヘアスタイルとか、目の色とか、お好みは?」
「あー……、18歳。こんくらいの長えブロンドで、目は青っぽい緑。んですげえ美人。好みは足が出てるやつ」
「なるほどなるほど」

 年齢は適当だ。アレクサンドルといえば辛気臭い喪服のようなドレスのイメージがあったが、普段はどんな服を着ているかまでは知らない。服のテイストの指定もなかったので、ザップは単純に自分の好みを言った。もっと正直に言うなら露出度の高いほうが好きだったが、胸にあんな石を隠していたらチューブトップなんて着られないだろう。
 中で待つのは流石に嫌だったので外で待つことにした。店の壁に背を預けタバコに火をつけ、ぼーっとして煙をくゆらせる。出てくるのはだいたいアレクサンドルと同じくらいの女の子で、可愛い子がいたら手を振ったりしながら、荷物持ちに連れてこられた男が恋人を待っているようにでも見えているんだろうなと思うと笑ってしまいそうだった。


▲▼


「……それで、ザップが買ってこの服なワケ!?こんな麗しの美少女になに着せてんのよー!もっとなんか!あったでしょ!」
「いやいや姐さん、逆にこういう服のほうがいいと思いません?こんなストリートファッションの女が魔術師とか誰も思わないっすよ!」
「だからってねー!」
「ホラ、これでサングラスでもつけとけば完璧!」

 懐から取り出した安物のサングラスを無理やりアレクサンドルにかけさせ、ザップは口八丁手八丁でK.Kに言い訳をする。長めの丈のターコイズのスタジャンに、下は黄色のホットパンツ。すらりと伸びる白い脚の足元は、鮮やかなオレンジのドクターマーチンのブーツ。おまけに猫のようにピンと耳のたった同じ色のニット帽。上品なドレスの淑女から、ティーン雑誌のストリートスナップ少女に早変わりだ。ザップと並ぶとまるっきりヤンキーカップルである。
 長いスカートに慣れた彼女には恥ずかしいのか、むき出しのふとももに顔を赤くしながら何度も何度も視線を送っている。ザップは内心で店員にファンファーレを送りたい気分だったが、新人の女の子はお人形さんのように上品で可愛い子―――というのを期待していたK.Kにとっては予想外だったらしい。何か言ってくれ、というザップの視線にアレクサンドルは少し考えたあとに。

「まあ、顔も隠せるし、動きやすいから私は別に不満は……」
「ほら!ほら!!ねっ!」
「んぐぐ、本人がそういうなら……いやでもやっぱりもうちょっとマシな服着せてあげたいわ!クラーーっち!!私新人係やりたい!いいでしょ!」
「えええ!」

 賑やかなメンバーのやりとりを黙ってみていたライブラのボスは、K.Kに詰め寄られて熟考する。確かに家を失ったとあって大変なことが多いだろう。彼女なら実力人格ともに申し分なく、同じ女性にしか分からないことも多いかもしれない。語られる熱意にクラウスが頷くとK.Kはガッツポーズをし、ザップが明らかに不満げな顔をしたが、彼女のひと睨みで視線をサッと床に落とした。
 アレクサンドルは目の前で繰り広げられるやり取りについていけず目を白黒させていたが、クラウスが正面に立ったことで顔を上げる。眼鏡の奥の鋭い目元とは裏腹に、暖かい色を持った瞳。相変わらず居心地が悪くなるほど真っ直ぐだ。
 
「なにか困ったことがあれば何でも相談してくれたまえ。私達は仲間になるのだから。ようこそライブラへ」

 そう言って分厚い手が握手を求めるのを、アレクサンドルはどこか遠いものを眺めるような表情で見返す。ヘルサレムズ・ロットで過ごすようになってから一人でいることが当たり前になっていたので、このように組織の一員となったことが果たして吉と出るか凶と出るか―――正直なところ判断がつかなかった。
 仲間。仲間か。
 長らく縁がなかった言葉だ。嫌悪を抱く言葉ですらあった。けれど不思議なことに、彼に言われるとそれほど悪くないと思う。恐る恐る伸ばされた少女の手を、クラウスは今度こそしっかりと握り返した。







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