ドイツ国内がなにやら騒がしい。
 ベッドで目を覚ましたシャルロッテがそれを感じ取ったのは、いつも起きると既に編まれている髪がそのままだったことや、部屋ががらんとしていて誰もいないことだった。いや、ダイニングの方から何となく人の気配はする。しかしシャルロッテの―――保護者なのか飼い主なのか兄なのか親なのか―――ともかくそんな存在のギルベルトは彼女が起きるとき何故かちょうどこの部屋にいて、間抜けな顔を笑うのだが。
 ベッドに腰掛けたまま動かず頭をなんとか起こしていると、スキップでもするような軽い足音が近づいて来た。こんなご機嫌な歩き方をする人間はこの家にはいない。不思議に思う前に勢いよくドアが開け放たれたので、シャルロッテは大いに驚いて固まるしかなかった。

「起きた〜?オーラ!おはよーさん。なんやギルの奴、こんなかわええ子がおるんやったら紹介しといてくれたらええのになあ〜」
「うぁあ」
「ああ!まだ朝ごはんできてへんから、寝とってええよ。あっ、あと着替えるんやったらおめかししてきたって?喜ぶやつがおるから!今日はごちそうやでー」

 入ってきた健康的な日焼け肌の青年は、シャルロッテの頭をわしゃわしゃと無遠慮に撫でたあと言うだけ言ったと思えば踵を返して部屋を出て行った。嵐のように去った謎の男にシャルロッテはしばらく沈黙したのち、言われるままにもう一度後ろに寝転んだ。
 が、流石に眠気が飛んだ。
 緩慢な動きでベッドから這い出た彼女は、まだ混乱したように瞬きをしながらクローゼットを開ける。シンプルなワンピースやシャツが多い中、さて「おめかし」といえばどれが良いだろうかと首を傾げていた。見ず知らずの男に言われたことを聞く必要などあるのかと思わなくもなかったが、シャルロッテは基本的に誰かに逆らうということをしない。そういう性分なのだ。


▲▼


 結局クローゼットをひっくり返してフォーマルなドレスやラフすぎるコットンリネンやらを避けたところ、確かイタリア土産かなにかでルートヴィッヒに貰ったワンピースに決めた。紺のチューブトップに白地にカラフルな花柄が裾から広がるわりとシンプルなもので、ここ最近日差しが夏になったドイツにはぴったりである。
 ちなみにいつもギルベルトの行っていた編み込みが高度すぎて自分にできないと悟ったシャルロッテは、ウェーブのかかった黒髪を軽く結わえるだけに留めておいた。首元が寂しいので白いビブネックレスを付けたあと、マニキュアでもしたほうが良いのかと思ったが、やめておいた。用意を済ませてダイニングに行く頃には朝の9時を回っていて、キッチンには先ほどの青年が鼻歌を歌いながら立っている。

「おはよございます」
「おー!かわええやーん!ロマも喜ぶわ〜。あ、ロマって親分の子分やねん。そろそろ来るから仲良うしたってなー。料理はもうちょっとかかるし座っといて!」

 褐色の肌に鮮やかな緑色の瞳。背は高くわりとがっしりしている。少し癖のある茶髪とぴょんと跳ねた一部の髪を見ていると、なんとなくラテン系ではないかと窺わせる。今度こそギルベルト達はどこに行ってあなたは誰なのかと聞こうと思っていたのに、振り向きざま底抜けに明るい笑顔を受けたシャルロッテは、もともと無かった毒気をさらに抜かれて大人しくソファに座った。
 キッチンにはオリーブオイルで焼き付けた香ばしいにおいが漂っている。冷蔵庫の横には見慣れないダンボールの箱が置かれており、イラストと共に「TOMATE」と書かれていた。ジャガイモとソーセージ(ヴルスト)の箱買いはこの家でよく見られる光景だが、今日は大量のトマトらしい。いつもピカピカのシンクには切った野菜のへたや袋がそのまま放られていて、料理には性格が出るなとシャルロッテは小さく笑ってしまった。

「おいアントーニョ!なんで俺がジャガイモ野郎の家になんか来なくちゃいけねーんだよ、観光客だけでも怖えのに威圧感で死ぬかと思ったぞこのやろー!」

 バターン!と音を立てて玄関近くの扉が開いた。大股で部屋に踏み込んできたのはまた日焼けした肌の青年で、アントーニョと呼ばれた男よりは小柄だった。どちらかというと可愛らしい感じの顔立ちだが、彼はいかにも機嫌が悪そうに口元をへの字に歪めている。

「おー!ロマ早いやーん!なんかプロイセンに頼まれてんけど、金使ってええからこの子にご飯作ったってって……」
「チャオ、ベッラ。俺はロヴィーノ・ヴァルガス。またの名をイタリア=ロマーノだぜ」
「??!!」

 スペインがシャルロッテを紹介しようと指差した瞬間、いつの間にかソファの隣に移動している青年にぎょっとして目を見開く。なんなら手まで取られている。間近で見るイタリア人の端正な顔には先ほどと違って笑顔が浮かべられており、シャルロッテは戸惑うやら恥ずかしいやらで顔を赤くした。
 その反応に気を良くしたのか、ロマーノは不敵に微笑んで彼女を見つめる。そしてふと真剣な顔で首を傾げると、顎に手を当ててふむと大げさに唸ってみせた。

「髪は自分でセットしてるのか?」
「え?あ、はい、一応……」
「君の絹みたいな黒髪は、こうするともっと素敵だぜ」

 指先が黒髪に絡み、リボンを解いたかと思えば瞬く間にふんわりと編み込んでいく。その器用な動きにあっけにとられている間に、ロマーノはすっかり髪を整えてリボンを結び直してみせた。ついでに髪先を持ち上げてちゅっと音を立てキスを落としたので、シャルロッテは恥ずかしさのあまり真っ赤になって悲鳴を上げそうになった。

「お嬢さん、お名前は?」
「あ、あ、あの、シャルロッテ……」
「シャルロッテ!君にぴったりだ。ところで今度俺と一緒にーーー」
「ロマーーノーー!!フライパン混ぜてーー!焦げそうや!!」
「いいところなのに邪魔すんじゃねえスペインこんちくしょおーー!!!」

 アントーニョの声にカッと顔を険しくして慌ただしくソファを立ったロマーノを見送り、我にかえったシャルロッテはドイツがイタリアに振り回されまくっている理由を何となく悟った気がした。冷静になってからキッチンの二人を見やり、一人だけ何もしないのもどうかと立ち上がりテーブルセッティングをすることにした。
 テーブルを拭いて白いクロスを敷く。大きな鍋があるので鍋敷きが一つ。ナイフとフォークを人数分、お皿には綺麗にナプキンを乗せて。スペインとイタリアと言ったから、飲み物はやはりワインだろうか。グラスはあるがビールしかないのでは、と冷蔵庫を開けてみると中ではしっかりスペインワインが冷えていた。さすが準備は抜かりないらしい。

「おっワイン出してくれたん?ええなあ、朝からワイン最高やんなあ」
「あっそうだまだ朝……!」
「ほい、できたで!親分特製のパエリヤとトルティージャ!あとトマトの肉詰め。シャルロッテちゃんトマト好き?」
「うん、好き」
「カツオのトマト煮とガスパチョもあるぜ。あとカプレーゼとレンズ豆煮込みと串焼きと……っておいどんだけ作ってんだよ!こんなに食えるかもったいねえ!」
「いやー人の金で料理すんの楽しいわー!めっちゃいいトマトとか肉とか買ったった!あ、デザートもあんで!」
「なんだジャガイモ野郎持ちか」

 なら別にいいと言わんばかりにロマーノが鼻を鳴らす。どうやら彼はルートヴィッヒに恨みでもあるらしい。どんどん運ばれてくる料理たちは大量で、一体どれだけの金額なのかと思うと家主が気の毒だった。
 とはいえテーブルにところ狭しと並ぶスペイン料理はフランス料理などの華やかさとはまた違い、食材の形や色がそのまま鮮やかで食欲をそそる。特にパエリヤの上に乗った大きな海老に目を奪われているシャルロッテに気付いたのか、アントーニョは白い皿にどっさりと盛って渡してくれた。ワインがなみなみとグラスに注がれる。

「そんじゃ、Buen provecho(召し上がれ)!」

 グラスを鳴らして、家主不在の食事会が始まる。朝の光がダイニングの机に降り注ぎ、太陽の国の料理をいっそう輝かせている。ドイツは今日も晴天だ。一口含んだスペインワインは口当たりがきめ細かく、ほんのりとバニラのような甘い香りがした。
 シャルロッテはパエリヤに舌鼓をうちながら、結局なんでこんなことになっているのか分からずじまいであることを思い出したが、美味しい料理とワインを前にしてどうでもよくなってしまった。
 そういう性分なのだ。







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