9月1日。天気は曇り。
 午後から雨が降ると天気予報で言っていたので、午前のうちにベルリンでシャルロッテの買い物を諸々済ませておいた。洋服は女の方が色々あって選ぶの楽しいな!ヴェストは疲れていたのかだいぶ寝坊していたから置いてきたら、ちょっと不貞腐れてた。クーヘン買ってきたから機嫌直せよ。
 シャルロッテは帰ってきてからソファーでぐーすか寝ていたのでベッドまで運んでやった。5年も眠ってたくせによく寝るやつだ。まだ眠り姫って呼ぶべきか?



 毎日欠かさず書いている日記を閉じれば、一日が終わる実感がわく。長く生きていると忘れてしまうことも多いので、こうして書き記していかねばならない。古い紙とインクの匂いは何百年にもわたる歴史の証人だ。時刻は夜の0時過ぎ。家の中はすっかり静かになっている。彼が元々睡眠時間がやや短いということもあるが、弟は仕事が忙しくならない限りは早寝なので家の中で最後に起きているのはたいていギルベルトだ。
 シャルロッテは初めての買い物ではしゃぎ疲れたらしく、帰宅して昼ご飯を食べたあと寝こけてしまい、ベッドに運ばれてからそのまま寝っぱなしだ。本当によく眠るやつである。ギルベルトは開いていたノートパソコンの電源も落とし、欠伸をしながら椅子を後ろに倒して大きく伸びをした。

 ドイツの気候は一日でかなり変わる。真夏の猛暑日でも、日が落ちれば一気に気温が下がるのだ。外は小雨が降っているので余計に寒いのだろう。カーテンを閉めても入り込んでくる冷気に舐められ、ギルベルトはほとんど眠りながら布団を肩まで引き上げた。そこにコンコンと転がってくる小さなノック音。彼の意識はにわかに浮上するが、覚醒するまでには至らない。
 やがて扉がゆっくりと開く。
 隙間から顔を覗かせたのは、自室で寝ていたはずのシャルロッテだった。彼女は数秒ほど躊躇ったあとに体を部屋に滑り込ませ、ギルベルトの寝るベッドのそばまで駆け寄った。カーペットの上で座り込んでベッドに上半身だけを寄りかからせると、時計の秒針にも負けそうな声で呟く。

「ギル、ギルベルト……」
「ああ……目え覚めたのか……」
「うん。ごめん。なんだか、一人だとそわそわする。静かにしてるから、ここにいていい?」
「ん」

 ギルベルトが半ば寝ぼけながらも許可した瞬間、シャルロッテは氷が溶けたかのように顔を綻ばせる。ベッドに置いた両腕に頭を乗せて身を預け、ラグマットに腰を落ち着かせた。ギルベルトは少しの間動かずに沈黙していたが、ふと目をあけてそのまま寝ようとしている彼女を見ると、自身の布団を少しめくる。
 シャルロッテが瞬きをする。
 普段ならば流石にまずいだろうという気持ちやら多少の羞恥心やらが働いてこのような行動はしないだろうが、彼は如何せん寝ぼけていた。だからそこにいたら寒いし体が痛くなるだろうと、ただそれだけを考えて隣をぽんぽんと手で叩く。

「入っていい、の?」
「風邪ひくぞ、そこじゃ」
「うん……」

 促されるままにベッドに膝を乗せて、スプリングを揺らさないようにそうっと布団の中に入る。肌も髪も色素の薄いギルベルトは、見た目の印象より体温がずっと高いことをシャルロッテは知っていたが、冷えた身体にじんわりと移る体温は格別に暖かかった。
 彼女は年頃の娘ではあるし、彼だって見た目は若い男性なのだから、シャルロッテにも少し恥ずかしいという気持ちもあったけれど。一度入ってしまえば抜けられないほど暖かくて、ひどく安心する。シャルロッテはギルベルトの眠りに落ちていく表情を見てうっとりと目を細めた。

「………」

 思えば、はじめは彼に手を握っていてもらえたから。起きた時に部屋が真っ暗で誰もいないことに困惑してしまって、彼女はまだ間取りもうろ覚えの家を彷徨って、自然とここにたどり着いたのだ。
 ギルベルトの手は大きい。ルートヴィッヒと並んでいると少し細身に見えるけれど、シャルロッテとは比べるべくもない。ところどころ深い傷痕が残る、がっしりと節くれ立った男性的な手だ。その手に触れるか触れないかという位置まで小指を伸ばし、ちょんと少しだけ触れる。すると当たり前のように手がその手に握られてしまったので、シャルロッテは泣いてしまいそうになった。

(なんだろう、懐かしい……)

 何故そう思ったのかは分からない。胸にこみ上げた郷愁が一体どこからやってきたのか、シャルロッテ本人にも知り得なかった。窓の外では緩やかな風で、どこか遠くにある湖水の水面が揺れる。時折思い出したかのように車の走る音とヘッドライトがちらつく。目を閉じて、瞼の裏でそれを感じた。
 深呼吸をする。
 すべてが身体に溶けて馴染んでいくような幸福感で、シャルロッテはすぐに夢の中へと誘われていく。しっかりと握られた手は離れそうもない。ギルベルトはやっと寝息を立てはじめたシャルロッテを見てふっと目尻を下げ、自身も呼吸を深くしはじめたのだった。

 
 






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