予感がしていた。
 清光が負傷して手入れが済んでから、その日はもう出陣する気になれなくて三人で本丸を見て回ることにした。私達がいた一室はまさに氷山の一角に過ぎず、屋敷というよりは城のようにだだっ広い建物だと判明した。清光と薬研には近くの好きな部屋を選んでもらい、それぞれ部屋の掃除をしてもらうことにする。既に手入れが行き届いているようなので、あまりすることはなさそうだが。
 ここで暮らしていく上で何が必要か正直なところはっきりと分からなかった。お腹は減るからご飯も用意しなくてはならないのだが、畑を見てもいまいちピンと来ないし、ついには近くにスーパーでもあれば……なんて考えてしまうが、そもそも渡されたお金の使い方もいまいち分からない。自分が役立たずすぎて目眩がしてきた。しかしそこでふと、気付いたのだ。

「そうだ………」

 私はこんな日本家屋に馴染みのないマンション暮らしで、歩けばすぐスーパーやコンビニがある時代に生きていた。審神者なんてものに選ばれる特別な生まれでもなければ、未だ親の庇護のもとに生活をしていたくらいだ。今まで思い出せなかった自分のことが頭に自然と浮かび上がり、それは焦燥を生む。
 2215年の未来において、なぜ200年も前時代の人間である私なんかが選ばれたのか―――私は何故それに同意したのか―――何故今まで忘れていたのか―――謎が解けるごとに新たな謎が生まれてくる。皺の寄った米神を揉んで中庭へ歩き出し、作業小屋に吸い込まれるように足を踏み入れた。

(もしもこの審神者ってのから外れたら、家に帰れるんだろうか。辞められるのかな。それとも達成したらいいのかな………)

 考えをあちこちに飛ばしながらも、手は迷いなく札を手にとっていた。持てる財産を全てつぎ込む。時間が経てばどうせ増えるのだからケチっても仕方がない。分の悪い賭けに泥沼のように嵌るギャンブラーのような気持ちで、一心不乱に依頼の札を部屋に差し込んだ。カン、カン、と音がする。
 こんのすけを呼ぼうかと考えて、やめた。これは私の賭けなのだから、時間が許す限り祈ったっていいはずだ。壁に背を預けて膝を抱え、瞼を閉じ、金槌が下される硬い音が鳴るのに体を任せた。


▲▼



 長い夢をみた。




▲▼


 肩が揺すられる感覚で目を覚ました。視界がぼんやりとしているのが瞼からなみなみと涙が溢れているせいだと気付くまで数秒かかり、肩を揺すって起こしてくれたその人が、見覚えのない人だと気付くまでにもっと時間がかかった。背を丸めて屈んでも大きなシルエット。目尻のつり上がった瞳は夕日に金が交じったような色をしていて、笑った口元からはぎらりと尖った歯が覗いていた。
 何となく、理由もなく、この大きな男が自分の味方であると感じる。言葉を発そうとした喉がひりついて、無様な鳴き声が上がる。

「主よ、なぜ泣く?現世はそれほど苦しいことばかりになってしまったのか」
「ちが、う、ちがう、わたし、全然わすれてて、なんでこんなことしてる、のか、大事なことだったのに、元に戻れっこないのに、だってわたし、もう 、もう……」

 頬に伸びる鋭い爪のついた黒手袋越しに、拭う指は冷たくとても優しい。それがほんの少し呼吸を落ち着かせて、息を整える緩みをくれる。飾られた写真と棺に縋り付く母親の慟哭が耳を離れない。足元で見下ろした白と黒の鯨幕。自分の葬式を眺めるまで忘れていただなんて信じられなかった。
 私はとうに死んでいた。
 都合よく死んでいたから呼ばれたのだ、遥か未来のごたごたのために。行くあてのない私は差し伸べられた手を取るしかなかったのだ。私はもう何処にもいないし、例えば父母の記憶にも存在しないし、どこにも帰ることはない。そういう約束だった。歴史を遡るとは、審神者になるとはそういうことだ。涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて目の前の彼を見ると、迷惑そうな顔もせずに待ってくれていたので、何だか安心して声が溢れる。

「あの………」
「おお、落ち着いたか」
「う、ちょっと、うん、ごめん………なんていうか、あれ、自分が死んだって気付いてなかった幽霊の気分でさ……」
「ほう、幽霊?」

 彼が目を丸くしてふむと顎に手を当てる。それから大きな両手が無遠慮に伸びてきて、頬や額をぐいぐいとさすったり引っ張ったりと好き勝手に弄りはじめた。突然のことにされるがままに動かずにいたら、白い布を被った大男が不思議そうに首をかしげる。

「俺の知ってる幽霊は足のない白霞んだものだったがなあ、今では触れられるものか」
「そういえば、いや幽霊ってのはもののたとえってゆーか、つまむな!こら!」
「がはははは!すまんすまん!」

 ぱっと手が離されて口を尖らせながら頬を擦る。底抜けに明るい笑い声になんだか肩から力が抜けてしまった。気付けば部屋には立派な拵えのとても大きな薙刀が飾られているから、彼は先ほど依頼してきてくれた刀剣の一人なのだろう。
 清光が怪我をして、とても怖くなった。薬研が来てくれたけれど二人だとまだ不安だった。目の前に繰り広げられる光景がじわりじわりと現実味を帯びてきて、焦って、助けてくれる誰かが欲しくなったのだ。彼は見るからに大きく強そうな頼り甲斐のある姿で、まるで私の漠然とした心細さを掬い上げてくれる象徴のようだった。

「私、いち野」
「俺は岩融!武蔵坊弁慶とともに999の刀を狩った薙刀よ」

 握手のために差し出した手は、力強く引き上げられて軽々と自分の足で立たされた。溜まっていた血が下まで降りてくらくらする。情けない私にまたよく通る声で笑い飛ばし、自身の薙刀を片手で持って肩に乗せた岩融は想像していたよりもずっと大きくて驚いてしまった。驚いたのはあちらも同じようで、離れた位置にある私の顔をしげしげと見て

「いやはや、主は俺に比べると小さいなあ」

 なんてことを言うので思わず笑ってしまった。岩融に比べたら大抵の人は小さいに決まってる。人に使われる武具でありながら、彼らは自分たちの今の姿に思い悩んだりはしないのだろうか?それでいいのだろうか。まだ分からないことだらけではあるが、ともかく審神者として私は私のまま彼らと存在していられる。心はどうしてもまだ追いついてはいないけれど。
 とりあえず、それでいっか。
 部屋にいない私に気付いて探し回る清光と薬研が作業小屋に飛び込んでくるまで、ずっも岩融の刀狩りの話を聞いていたら、涙はいつのまにか引っ込んでいた。賭けは私の勝ちと思っていいだろう。

 

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