5月の中頃。梅雨の足音は聞こえても、まだ空気は澄んで涼しい。朝礼の時間が近づいてくるにつれて、教室は騒がしくなってきた。賑やかな教室の中で、眼鏡をかけた線の細い少年は、何をするでもなく席でぼうっと座っていた。 彼の名は成川晃。千年以上続く由緒正しい刀鍛冶の家系に生まれ、刀に囲まれて育ってきた。その誤解を受けやすい家業のお陰か周囲にはやや敬遠されており、仲の良い友人も少ない。よって朝から軽口をたたける相手が居ないのである。唯一そんなことが出来そうな相手は―――今バタバタと鐘の音と共に教室な飛び込んだ京崎多樹雄という変わり者くらいだった。
「よっしゃー!セーフ!!」 「アウトだ、早く席につけ」 「げっ」
後ろからかかった担任の声に肩を竦めた京崎は、小さく笑ってしまった晃を恨みがましい目で睨んでから席につく。教師はため息をつきながら教室に入ると、その後ろから二人の生徒が続いた。見覚えのない人物の登場に晃は顔を上げ、他の生徒も気付いてざわざわと騒がしくなる。 入ってきたのは制服に身を包んだ小柄な少女と、その横を添うように歩く少年だった。男子生徒のほうは涼しい目元と艶やかな黒髪のとても整った容姿をしているのもそうだが、肩に長い竹刀袋をかけているのも目を引いていた。女子の黄色い声があちこちで上がっている。女子生徒のほうは背が低く幼い感じで、髪はオレンジがかった明るい色だが化粧っ気はなく、不良という感じではない。目の色もよく見ると緑色なので、外国の血が混じっているのかもしれなかった。
「急な話だが、5月からこのクラスに転校生が来た。じゃあ、自己紹介してもらおうか」 「あー、えーと……」 「俺は左庭清光。こっちは左庭いち野」 「そう、いち野です。よろしく」 「よろしくー」
二人ともあまり緊張した様子はなく、軽く笑みも浮かべて挨拶をした。その気安い様子にクラスメイト達も暖かい拍手で彼らを迎え入れ、転校生の紹介は和やかに終わる。二人は担任と視力の確認を行ったあと、教室の一番後ろに席に案内された。 晃は転校生を物珍しさから見ていたのだが、席を横切った瞬間に少年のほうとふと目があった。彼は近くで見ると瞳の色が赤銅色に輝いており、もうほとんど赤といって良いほど鮮やかだった。それを直に見つめた瞬間に晃はなにか言いようもない既視感に襲われる。初めて会ったはずの少年にどこかであったことがあるような、あるいは良く似ている人物を知っているかのような感覚に陥った。
「どっかで、会ったことある?」
思わずといった様子で声を出してしまい、晃はハッと自身の口元を押さえた。当然の反応ながら、そんなことを言われた少年は目を丸くして不思議そうに首をかしげる。
「ないと思うけど。俺たちこのへん来たのこれが初めてだし」 「そ!そうだよね!ごめん!」 「いや………」 「あー、清光ってば転校初日からナンパされてる。罪な男だねー」 「げえ、なにそれ」 「ナ、ナンパじゃないから!」 「清光美人だからしょうがない」
いち野がからかうように肩をつつくと少年はぷっと小さく笑い、晃は顔を真っ赤にして否定した。少女の軽口のおかげで教室内でもくすくす笑い声が上がり、晃が声を上げた瞬間の妙な空気はすっかりなくなっている。二人が席に着いたのを見届けてから、晃は少女に感謝しつつ机に突っ伏した。 何故あんなことを。 京崎が先ほどのお返しとばかりに自分を笑っているのに睨み返しながら、晃は考えても仕方がないと鞄から教科書とノートを取り出した。もうこれ以上クラスで浮きたくはない。大人しくしていよう。そう決意してシャーペンを握った後ろ姿を清光がじっと見ているのに、誰も気付いてはいなかった。
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あんなに目立つ転校生なんて休み時間には人でごった返すんじゃないか――という晃の予想は外れることになった。話しかけたそうにしている生徒も居るのだが、如何せん彼らはお互いに仲が良すぎるのだ。名字が同じなので親戚関係か何かがあるのだろうが、男女の家族にしても距離感が近い。いつも二人で顔を付き合わせては何てことはない話をして笑い合う。傍目から見たら完全にカップルである。 よってこの近寄りがたさというのは、イチャついているバカップルを前にしたときに似ている。入る隙間がないというか、邪魔してはいけないような雰囲気を持っている。そしてとうとう誰も二人に踏み込んだ話を聞くことができないまま昼休みになった。晃が教室でお弁当なのかな、と何となく彼らを見ていると、今度はいち野の方と目があう。
「ねえねえ」 「はい?!」 「どっか違うとこでご飯食べたいんだけど、いい場所知らない?あ、名前教えてー」 「え、ああ、成川晃です……」 「なんで敬語?」 「良かったら一緒に食べよ」 「うん……」
いつもは京崎と食べているのだが、彼は昼休みが始まってすぐに教師に呼び出されている。あまりにも自然に誘われたために頷いてしまったあと、周囲から視線が突き刺さるのを感じた。主に女子からである。気になる美形の転校生に話しかけあぐねていたところにポンと晃が現れて面白くないのであろう。思わず顔を青くするが、二人はマイペースに荷物を持って準備万端である。清光はなぜかまた竹刀袋を下げたままなのが少々気になった。 さっさと人目につかない所に行こう、と晃は先導して教室から出る。進学校だけあって設備が整っているこの校舎では、武道場の周辺が授業のない限り空いているのだ。昼休みまで練習する熱心な生徒も居ないためガラガラだ。彼らへの案内も兼ねてあれこれ説明しながら歩いていると、すぐに到着した。
「ここ?」 「そう、けっこう穴場だよ」 「ピクニックみたい、いいねー」
武道場裏は小さな中庭のようになっていて、春の花も素朴ながら咲いている。樹木に覆われているおかげで昼の日差しも心地よい木漏れ日に変わり、清々しい雰囲気だ。晃がこの場所を知っているのは、お世辞にもクラスに馴染めているとは言えない晃だからこそとも言えるが、二人が喜んでいるので良しとしよう。 さっそくベンチに荷物を置き、いち野はいそいそと鞄を漁り始める。清光が竹刀袋を慣れた様子で寝かせると左側にそれを置いた。晃は職業柄(と言っていいものか分からないが)それが少し気になったが、少女がどんとベンチに置いた大きな重箱に驚いて全部吹っ飛んでしまった。
「そ、それ全部お弁当?」 「いや!私一人ぶんじゃないから!清光の分も込みだから!……でもおっきいよねこれ、気合入れすぎだって二人とも」 「歌仙も作ってたよ」 「マジで?これ絶対食べきれないから晃くんも食べてね。あ、晃くんって呼んでいい?」 「うん、いいよ」 「私もいち野で!」 「じゃ、俺もそれで」
すっかり二人のペースだ。 漆塗りのやけに豪華な重箱をいち野が開けると、まるでお祝い事の席か何かのように色とりどりの食材が並んでいる。俵型のおにぎりは混ぜご飯や豆ご飯が綺麗に並び、焦げひとつない卵焼きに鶏肉の照り焼き、海老の酒蒸し、筑前煮、蓮根の挟み揚げ、煮豆にかまぼこにお浸しなどなど。思わず「お正月?」と言いたくなるような弁当である。 これにはさすがに持ってきた本人達も言葉を失ったらしく、沈黙が走ったあとにいち野が爆笑しだした。どうやら転校初日で張り切りすぎた弁当の無駄な豪華さがツボだったらしい。彼女がひいひい言いながらスマホで撮影している傍ら、清光が呆れたようなため息を吐いていた。
「いただきまーす」
食事がはじまる。あまりに仲の良い二人に一人で混ざると気まずいかもしれないと思っていたが、案外そうでもなかった。清光はなかなかの話し上手で退屈させず、いち野がそれにけらけら笑いながら晃に振ったり質問したりするので、不思議なほど居心地が良かった。いや、いつも周りにいる人間やはあまりにも人の話を聞かない上に気を使えない人種ばかりなので、晃が気を張っていることが多いだけかもしれない。 ともかく二人は話しやすかったので、尋ねても良いかもしれないという気分になった。それは晃がずっと気になっていた清光の横の竹刀袋の存在についてである。
「あのさ、それって竹刀だよね。清光くんって剣道やってるの?」 「剣術だよ。天然理心流」 「えっ!新撰組の?!」 「あれ?よく知ってるね」 「清光は沖田総司さん大好きだもんね」 「……ま、ね」
知っているも何も、晃にとってはかなりメジャーな部類の知識である。天然理心流は新撰組局長として有名な近藤勇が率いた、言わば新撰組の前身と言うべき流派だ。確かに現代でもその流れは残ってはいるものの、実際に門下生をお目にかかるのは初めてだ。晃が思わず尊敬の眼差しで清光を見ると、彼はいかにも居心地悪そうに煮豆をつつく。 さらに沖田総司といえば、もうひとつピンとくるものがある。彼の所持していた刀では菊一文字則宗が有名ではあるが、本当に沖田総司が所持していたかは分からない。歴史上確認されているのは、則宗ほどではないものの大名物に区分される名刀「大和守安定」ともうひとつ。加賀の刀工の名をそのまま受け継いだ刀―――加州清光である。
「清光くんの名前って、もしかして加州清光が由来?」
一瞬、妙な沈黙があった。 晃があれ、と思ったのもつかの間で、いち野がすぐ驚いたように声をあげる。
「晃くんめっちゃ詳しくない?!新撰組好きとか?」 「いや、あの……僕の家、刀鍛冶なんだよね。小さい頃から刀がどうのこうのって教わってたから知ってるだけだよ」 「刀鍛冶?!へー!すごい!」 「どこの刀鍛冶?」 「え、ええっと家自体は鎌倉時代からなんだけど、流れは三条」 「三条って言ったらあれ、あれだ、岩融とか今剣のやつだ!知ってるやつだ!」 「いち野よく覚えてたね」 「へっへっへ」 「………!」
まるで芸能人の話でもするように返された反応に、成川晃は感動していた。今まで家業が刀鍛冶だと言えばリアクションは極端に分かれていた。刀というものに誤解を抱いていて妙に怖がられてしまうか、刀剣マニア相手だとまず驚かれて、家業を継ぐ気がないと言えば信じられないと嘆かれ……。 そのどちらでもないナチュラルな反応に、晃の心は躍っていた。未だかつてこんな形で受け入れてくれた同級生はいなかったのである。
「うっ」 「おお!?どしたの晃くん!」 「ご、ごめん、そんな反応してもらえるの初めてで……刀ってだけで怖がられたりしてたから……」 「まあ……この時代に刀なんて、昔に比べたら随分珍しくなったもんね。平和になったあかしか」 「でも私は刀好きだよー、ほらご飯食べて元気だしなよ」 「いただきます!」
半泣きで喜ぶ晃にいち野が笑いながら重箱をすすめた。清光は既に箸を置いて茶を飲んでいる。まだ残った美味しそうなおかずたちに晃ははじめよりも随分明るい笑顔になり、食の細い彼には珍しいほど上機嫌で重箱をつつきはじめたのだった。 それから刀についてあれこれと話しているうちに箱は空になり、昼休みもそろそろ終わりの時間になる。彼らはすっかり打ち解けていた。そして弁当を仕舞いこんで教室に戻る頃になれば、少年が晃の質問に答えなかったことなどすっかり忘れてしまったのだった。
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「ばれたかと思った」 「そんなに滅多に分かるもんじゃないでしょ。今は俺普通の人間みたいになってるんだし」 「いやー、刀の姿が"みえる"目かあ。すごいよねえ」 「……そうかな、苦労しそう」
ましてやこの時代じゃあ。 少年の背負った竹刀袋から、竹刀では決して鳴らない重い金属の音がする。無邪気に喜ぶ若い研ぎ師の姿を思い出し、清光は気の毒そうにため息をついたのだった。
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