江戸・元禄。
 五代目将軍徳川綱吉の統治の元、徳川の最盛期を迎える平安な時代。大阪冬の陣を控えた嵐の前の静けさを持つこの時分に、見合わぬ不穏な影あり。江戸に赴き敵の改変を阻止すべし―――口上はそんなところだ。
 込み入った事情とは裏腹に戦いは単純である。歴史修正主義者率いる遡行軍の動きを見極め、ことを始める前に討ち取る。ほとんどは白兵戦のため、大規模な戦ほど面倒な決まりもない。にわかに小雨が降り始めた江戸の町は、だんだんと霧が立ち込めていた。

「偵察、苦手なんだよなあ……」

 そうぼやきながら鋭い目で敵を見極めるは、審神者率いる白刃隊第一部隊長・加州清光である。後続には薬研藤四郎、今剣、燭台切光忠、歌仙兼定、殿(しんがり)は岩融だ。敵の姿は見えずとも現れる場所を特定できるのは、時空が歪むとき周囲には不自然に人の姿がなくなるという事象が起きるからである。現時代の人間に見られないのはどちらにとっても都合が良い。墨を水に溶かしたかのように現れた敵側もすぐこちらに気付き、清光はチッと舌打ちをして隊員たちに陣形の指示を送る。
 主のいち野からの指示はシンプルだ。無理はせず確実に、なるべく被害を抑える。堅い陣形を組んだ彼らは相手に息を整える暇も与えず、一気呵成に駆け出した。

「オラオラァッ!遅いぜッ!!」
「………ッ!」

 一番がけは加州清光。決まって相手の先鋒の打刀を一撃で討ち取る。次いで足の速い歌仙兼定が短刀を撃破。続く薬研と今剣が素早く隣の短刀を退ける。燭台切が動いた頃には、後ろを警戒していた岩融の目にも間違いなく勝ち戦に見えた。だが視界の端を掠めた影に、岩融は大きく声を張り上げる。

「避けろ!でかいのが来るぞッ!」
「な……ッ!」

 重い風を切る音。ギィン!と金属と金属が跳ねあたり火花が散った。悲鳴が上がる。

「ぐうぅッ!!」
「おいっ誰がやられたッ!報告しろ!」
「加州、今剣と薬研が動けそうにない!こんな奴が紛れているとはな………大太刀だ、僕も足をやられたッ」

 霧の中からぬっと現れた不気味な影と―――その手に掲げられた巨大な刀身。歌仙は傷で震える右足を庇い、意識を失いかけている今剣の薬研を抱えてなんとか下がる。横一文字に払われた刃は三人をまとめて斬りつけ、呆気なく無力化してしまった。近くにいた燭台切が打刀を急ぎ退けると、負傷した者の側で刀を構える。
 これはまずい。
 清光の頬につ、と汗が伝う。歌仙は暫く動けない。傷付いた彼らを守る燭台切も加勢はできない。実質2対2だが、敵の残りは打刀と強力な大太刀である。勝てるだろうか。隊員を退かせるか。逃げられるか。焦りで一瞬判断が遅れた者を敵は待ってはくれない。再び動き出した大太刀に、先に動いたのは岩融だ。ギィン!とまた火花が散る。

「このでかいのは俺が貰い受ける!お前はさっさともう一人を狩ってしまえッ!」
「……ああ!やられんなよ!」
「がはははは!近頃はお前らが片付けるばかりで飽いていたところよ!」

 高揚したように笑い声を上げる岩融に、清光は動揺を払拭して打刀を睨みつける。そうだ、確かにそれが一番早い。先に雑魚を退けて大物は二人掛かりで獲ればいいのだ。さすがに999の刀を狩った薙刀は戦いの勘が冴え渡っている。
 清光が迷いを捨てて打刀に向かったのを見て、岩融は目の前の巨大な敵と刃を打ち合わせる。正直なところ一人で倒せるとは思っていなかった。彼の身体はまだ動きがぎこちない。武器であることと武器を扱うことはやはり違うものだ。人の形となって暫く経つが、未だに力を持て余して切っ先まで手足のように操ることができなかった。重い一撃に戦況の厳しさを感じ、岩融は後ろにいる燭台切に声をかける。

「燭台の、そいつらを連れて離れろッ!そっちまでは手が回らん!!」
「ッ!……分かった、武運を!」
「おう、任せておけ!」

 燭台切は決して力のない刀ではないが、いかんせんまだ人の姿となって日が浅く足手まといにしかならない。陣形が崩れた今、負傷者を狙われるのが一番危険だ。それを理解している燭台切はすぐさま周囲を警戒し、まだかろうじて動ける歌仙に肩を貸しながら二人を運ぶ。歌仙は目に見えて悔しげに口を引き結んでいる。対する燭台切はむしろ無表情といってよかったが、腹の底はぐらぐらと自身への怒りで煮え滾っていた。
 動きはそれほど早いわけではないが、攻撃範囲が広すぎる。避けきれない。何度も斬撃を刃で受けながら、岩融はかつて自分を手足のように使った男の動きを思い出そうとするが、やはり上手くは行かなかった。次第に息が続かなくなってくる。薙刀と大太刀。呼吸を荒げて異形の目を睨みつけていた岩融は、ふと何を思ったのか尖った歯を見せてニヤリと凶悪に笑った。
 一歩。二歩。刀を振るには近すぎる距離まで間合いを詰める。流れるように懐に入り込んだ身体に敵も一瞬動きを止める。岩融は大口を上げて咆哮した。

「どおりゃああああ!!!」
「ッ!!」

 地面すれすれに低く払われた柄が大太刀の片足首を強打する。苛立ったような呻き声。倒れるほどではないにしろ巨体の体勢がやや崩れる。だがそれで十分であった。構え直されようとする大太刀はすぐには動けない。霧に姿を隠し、足音を殺し、誰よりも速く。
 真打ちは後からやってくる。
 ドッと岩融の身体が揺れたかと思えば、その背を蹴って飛び上がった加州清光が―――敵の首に狙いを定めていた!

「これ、でッ!終わりだぁあああああッ!!!」
 
 ―――ザシュッ!!
 横一文字。寸分の狂いもない。刃は首を見事に討ち取り、切り離された頭は弧を描いて湿った地面に転がった。
 清光は無防備に背を打ち付けて着地し、痛みに痺れたあと両手足を投げ出して全身の力を抜く。全神経をあの一手に集中させた反動か汗が滝のように首筋を伝い、何も考えることができなかった。真っ赤に濡れた刀身を強く握る手が、未だ固まって解けない。ただ今は首を落とした感触が脳みそに直撃したおかげで、血が燃えるように熱かった。腹の底が煮える。日を遮って己を覗き込む巨体に軽口を叩く余裕もなかった。

「担いでやろうか?」
「………いい。多分歩ける。他の奴らちゃんと無事でいるよね?」
「おうとも、大事ない!手柄だな清光。帰って湯浴みをしたらいち野にすぐ伝えると良い。あやつならすぐに名を呼んでくれる」
「はあ?何言ってんの……」
「名は体を縛るものだからな」

 それはお前が何者であるかの「あかし」を惜しみなく与えるだろう。
 血と脂でぎらぎらと光る刀身とよく似た目のまま浅い呼吸を繰り返す清光に、岩融は手を伸ばして彼をしっかりと立たせる。全身を巡る血液が足先に向かって落ちていくような感覚と共に、熱が頭から抜けて刀を握る手も自然と弱まった。刀を一振りして血を軽く落として鞘に収める。
 燭台切たちと合流し帰路につく頃には、いつもの自分に戻っていることだろう。濃霧に包まれたどこか現実離れした風景が、足元をまるで夢の中のようにふわりふわりと落ち着かせなかった。


▲▼


 本丸は変わりない様子で彼らを迎えた。重傷を負った薬研、今剣、歌仙はすぐに手入れ部屋に担ぎ込まれ、岩融は自分の部屋で寝入っている。燭台切が先にいち野への報告をしてくれるというので、清光はその言葉に甘えて湯浴みに向かった。通常なら絶対に自分で向かうのだが、会わせる顔がない、という言葉がぴったりだった。
 幸いなことに怪我は殆どない。酷いのはべったりと付着した返り血や泥や土埃で、清光は服を乱暴に全て脱いで籠に放り込むと一目散に湯船に向かった。桶に湯を汲んで頭から被る。何度も何度も被る。赤黒い湯が蛇のように足元を流れていくのを眺め、追い立てられるように湯船に勢いよく飛び込んだ。

「………ぷはっ!」

 一度全身を湯に浸け、頭を上げるとすっかり綺麗になったような気がした。そのまま膝立ちになり何もないの湯を見つめていると、やがて透き通った緑の湯面にぼんやりと清光自身の姿が映る。切れ長の目。白い肌に薄い唇。すぐそばにある口元のほくろ。頭の天辺から爪先まで人の形をしている。
 この姿かたちは一体なんだろう。
 例えば今剣と岩融は、伝承にある義経公と武蔵坊弁慶によく似ている。燭台切光忠も話に聞く独眼竜そのものだ。薬研藤四郎や歌仙兼定や自分は、一体何故このような姿を取っているのか。持ち主の魂が移り物にも魂が宿るというならば、清光はなぜ沖田総司に似ていないのか。魂の形が異なるというならば、この刃を以ってして以外、何が自分を加州清光と証明するものだというのか。

(もし、俺が加州清光じゃないなら………)

 湯に浮かび上がる顔はなにも示さず、無言で清光を見つめ返すだけだ。白い指先がパシャンと水姿を崩し、彼は背を向けて頭を振った。馬鹿なことを考えるのはよそう。戦帰りの熱に魘された頭など信じられたものではない。体を拭いてノリの効いた着物を着込めばまるで生まれ変わったかのように心地良かったが、夢の中のように浮き足立っているのはやはり変わらなかった。


 風呂場から出てすぐの縁側に、小柄な背が柱にもたれかかって座っている。杏色の髪が抜けるような晴天に揺れて、まだ冬だというのに春の空のようだった。足音を隠さずに歩み寄るとまるで猫のように首だけで振り返り、スススと少し柱との間隔をあけた。ここに座れということらしい。
 清光は少し躊躇ったあと着物の裾をさばいて隣に座ると、いち野は柱にそうしたように頭を清光の肩に預けた。こういうことは珍しくない。彼女は日が昇っているあいだも眠たそうにしていることが多い。くあ、と大きく口を開けて欠伸をする姿なんて本当に猫に似ていた。

「お風呂はいった?」
「ん……入ったよ」
「いーい匂い。あれ、きょうお風呂にバスロマンの森林浴入れたからね」
「ばすろまんってなに?」
「お湯がいい感じになるやつ」

 そういえば湯が綺麗な緑色をしていた。まだ湿った髪から爽やかで清々しい香りがするのを鼻先で楽しみ、いち野は小さく笑って清光の肩口にじゃれついた。縁側で何も履いていない少女の足がふらりふらりと遊んで揺れている。風が静かに揺蕩っている。
 なんだか夢みたいだ。
 今日に至って再三思ったことを、清光はもう一度心に起こしてみた。戦場となったあの霧の街も本丸の庭も静寂に包まれていて、真綿の上を歩くように心許ない。足元をさらう雲の海は天上か地獄か、それすらも分からないほど濁って遠かった。あ、と何かに気付いたような声を上げたいち野をぼんやりと眺める。

「加州清光」

 名前を呼ばれた瞬間。少女の声が矢のごとく凛と突き刺さり、清光は目の前を覆っていた曇りガラスが粉々に割れたのを見た。大きく目を見開く。それは飛び散った破片が身体中を傷付けて鋭い痛みを伴ったが、まるで失いかけた己の形を再び取り戻したかのような、例えようもない震えだった。
 目の前の景色が急速に生々しくなり、風が木々を揺らす。枝に羽を休めた小雀の小さな囀りまではっきりと届く。何もかもが鮮やかだ。清光は自分の身に何が起こったのか分からず呆然としていたが、いち野がペチッと額を叩いた拍子にやっと瞬きをした。浮世離れしたような感覚は消え失せ、ただいつも通りの少女の姿がある。

「おーい、清光ー?起きてる?」
「起きてるよ!」
「目開けたまま寝たのかと思った。あれ、ほらまだ言ってなかったじゃん」
「なに?」
「おかえりー」

 己が何者であるかの「あかし」
 鳥は自分を鳥だと知っているのか、それとも鳥だと呼ばれて自らを鳥と知るのか。清光は屈託なく笑ってそう言った少女の声を聞きながら、ふと仲間の僧が語った言葉を思い出していた。いち野には刀剣の内心を完璧に推し量ることができない。良き審神者であることとそれはまた別の話だからだ。
 清光は喉と瞳から溢れそうになったものを堪え、代わりにいち野へ少年のように歯を見せて笑ってみせた。この暖かいものだけは、決して誰にも見せずにずっと自分だけの心へ宝物のように留めておきたいと思った。この呑気な顔した主人はきっと気付いていないだろうけれど、そうしたかった。ただそれだけなのだ。

「ただいまー」

 清光はあるじに似た呑気な声で言った。楽しげに音高く鳴いた小雀が、軽く枝葉を揺らして飛び立っていった。







 

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