気付けば立派な部屋に座していた。
 よく手入れされている慣れた畳が並ぶ、だだっ広い部屋にただ一人。左目を眼帯で覆った男は、室内をぐるりと見回してから立ち上がった。腰には自身の太刀。人の姿。両手をその独眼で見下ろしまじまじと見たあと、燭台切光忠は障子を開けて部屋を出た。
 庭は冬の色が色濃い。霜のついた常緑樹以外には緑がなく、未だ春の訪れは遠いであろうことを感じさせた。澄み切った冷たい空気の中で息を吐くと白く濁る。彼が廊下に立ち尽くしていると、手前の曲がり角から大きな影がのっそりと姿を見せた。

「おう、新入りか!」
「ああ、良かった。誰もいなくてどうしようかと思っていたんだ」
「がははは!すまんな、皆少し準備に駆り出されていた。どれ、俺が案内しよう」
「助かるよ」

 薙刀を肩にかけた非常に背の高い僧が豪快に笑い、鮮やかな紫の袈裟をはらって背を向ける。明朗な、しかしどこか有無を言わさない口調に男は自然と黙り込み、冷え込んだ長い廊下をひたすらに歩いた。やがて連れられた居室で彼は大きな松の木が描かれた襖を前にする。力強く巨大な二本の松の木に見下ろされた燭台切は、何故か自分が小さくなったかのような錯覚に陥った。
 僧が襖を開け放った先には、既に三人の男が左右に分かれて並んでいた。一番奥は細身の目元の涼しい美男で、背筋を伸ばして澄ましている。その横には色白の少年が小慣れた様子で堂々と座し、向かいのまるで天狗のような水干姿の少年も落ち着いている。僧がその少年の横に腰を下ろし、自身の右側に薙刀を置いた。
 燭台切も促され、さらにその横に並んで太刀を自身の右に置く。広い畳部屋の襖はぴったりと締め切られ息苦しい。さらに上座には一段高い場所があり、几帳に美しい薄絹がかけられている。ここが主人と顔をあわせる御座の間であろうことは明白だった。

「一同控えよ、主様の御なりだ」

 上座に近い黒髪の男がそう告げると、その場にいた全員が畳に額をつけるほど恭しく頭を垂れる。燭台切も慌ててそれに倣い遅れて頭を下げて待つこと数秒、いつ襖が開け放たれたのか風がさらりと吹き込んでくる。するとなめらかな絹地が畳を滑り、足音も小さく燭台切の横を通ろうとした。意外なほど華奢な足首。ほんの短い時だったというのに、緊張のせいか数刻のことのように感じられた。

「では燭台切光忠、前へ」
「はっ」

 刀としては何度も武将の手に渡ったことはあるが、自分が主人に相対するのは当然ながら初めてである。恐れ多くも殿への謁見をする家臣の記憶を辿り、頭を下げたまま体の向きを変えて拳で軽くにじり寄る。
 「面を」と高い声が落ちてきた。透き通った響きは少年のようでも少女のようでもある。恐る恐る顔を上げると、薄絹の向こうには布を贅沢に使った衣を纏い、明るい杏色の髪を真っ直ぐ垂らした少女の姿があった。若い。幼いと言ってもいい。肝心の顔だけが几帳に遮られぼんやりとしか見えない。燭台切はあまりのことに固まってしまった自分にハッとして、再び背筋を伸ばした。

「お初にお目にかかります。長船派の祖、光忠が太刀でございます。前の主が家臣を切った時に切っ先余って側の燭台まで切り落としたことから、燭台切光忠……と呼ばれます」
「わたしは審神者。刀に人型を与えることはできるけど、戦えない。それで、あなた自身に戦ってもらうことになるんだけど」
「承知しております」
「……では、さっそく。薬研、案内を」
「御意に」

 薬研、と呼ばれた白面の少年が手をついて頭を下げ、燭台切に目配せをして立ち上がり背を向ける。燭台切はもう一度審神者に深く頭を下げたあと、薬研の背を追った。
 部屋を出た瞬間、前を行く少年には聞こえないようにしながら、風船から気が抜けるようにほっと息を吐いた。新しい主人はなかなか高貴な人物らしい。今までなら主人の腰元に収まっていれば良かったが、作法となると殆ど見聞きしたことしかない。それも当たり前といえば当たり前なのだが。

「緊張したか?」
「あ、ああ。格好悪いね、こんなに上がってしまって……君は、もしかして薬研藤四郎かい?」
「おお、あんたは燭台切光忠って号になったんだな。いや、長く生きてると懐かしい顔に会うもんだ」

 振り返って不敵に笑う少年―――薬研藤四郎という懐かしい名に燭台切も不思議な感慨を覚えて口元を緩める。長い時を経て再び同じ主の元に集うとは、何が起こるか分からないものだ。ともかく新しい主の前でも粗相をしないように気を引き締めなければ。
 そのように二人が軽く言葉を交わしていると、先ほど出た部屋からなにやら声が聞こえてきた。次いでバタバタと慌ただしい足音が聞こえ、それが近づいてきたかと思うと、ガタン!と大きな音を立てて彼らの真後ろにある障子が廊下に倒れ込む。後ろで薬研がしまったという顔をした。
 そして薄絹が絡まった塊の中から、ひょっこりと一人の少女が顔を出す。それが先の審神者だと気付いた瞬間、燭台切は仰天して声を上げた。

「主様?!」
「あ」

 薄く化粧の乗せられた顔がはっきりとそこにある。抜けるような青緑の瞳。目を奪われていると、部屋から追いかけてきた青年が焦ったように審神者に声をかける。

「ちょっといち野大丈夫!?」
「アーーー!!待って今足痺れてるのだめ触んないで!!ストップ!!!」
「あーあ、台無しだぜ大将」
「だから、無理あるって私のこのキャラ……」

「……………ええ?」


▲▼


 曰く、だ。
 魂の宿る刀というのは気性の激しい物もあって、気に入らない主人に時として牙を剥くことがあるという。盗まれた刀が夜な夜な夢枕に立って泥棒を袈裟斬りにしたところ、その傷とぴったり重なるように病が祟ったというのは有名な話だ。
 そしてそのことを懸念した加州清光が、次に来る刀が従順とは限らないのだから威厳のあるところを見せたほうが良いと言い出してそれらしい装いを用意し、薬研がそれならばと場を整え、岩融と今剣が平安風に几帳まで用意した。まんまと気圧された燭台切が言うのもなんだが、悪乗りである。尤も肝心の本人は全く乗り気ではなかったらしく、話途中で畳にべったりと足を伸ばして清々した様子だが。

「だから私はやりたくなかったんだよー、でも清光たちがさあ」
「あれかなー、やっぱ威厳ってもいって巫女っぽい方向のが良かったかも」
「今度は宝玉で飾り立てるか!」
「あかいめばりをいれてみましょう!」
「神主の玉串でも持たせるのも……」
「やだやだもう着ないからね!」
「えー」

 ぷいっと顔を背けるいち野に刀剣たちから口々に落胆の声が上がる。逃げるように未だ正座をする燭台切の背中に隠れる姿ときたら、威厳のいの字もない。どちらかというなら七五三の子供だ。燭台切は先ほどまで緊張していた自分がほとほと恥ずかしくなり、大きくため息をついて手で顔を覆う。
 まったく格好のつかない。
 だから、燭台切はちょっとした仕返しのつもりで自分の背からいち野を引っぺがして刀剣たちの前に置いた。そしてきょとんと自分を振り返る少女と刀剣たちに整った笑みを見せてこう言い放った。

「さっきの薄絹を羽衣にすればいいんじゃないかな?絵巻の天女みたいに。あと、髪もきっちり結わえて、ね」
「えっ?!」

 途端に水を得た魚のように色めき立つ刀剣たちと「裏切られた!」と言わんばかりの顔をするいち野に、燭台切はとうとう我慢できずに吹き出して笑ったのだった。


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