岩融は小さいものが好きである。
 その理由は至って単純で、自身が巨体だからだ。往々にして人とは自分にはないものを求めてしまうものらしい。腰を曲げねば見えないほどに小さく頼りない生き物が、足元でちょこまかとすばしっこく動き回っているのを見たときなど思わず体がウズウズしてしまう。
 洗濯を干すために物干し竿と縁側を行き来しているいち野の姿はまさに岩融の琴線に触れるもので、ついつい手伝いもせずに見つめてしまった。審神者である彼女はとても小柄で、子供の姿をした短刀たちとそう変わらない背をしている。もみじのような手が一生懸命に大きい布を抱え、小さい足がよちよち歩いているといつもより余計に幼く見えた。じっと見ている岩融に気付いたいち野がぱっと目を輝かせてまさに天の助け、という顔したのがさらに彼の笑いを誘った。

「岩融いいとこに……なんで笑うの?!」
「ぶっ、くくっ、いや、なんでもない。それよりどうした、力仕事か?」
「お布団干してもらったんだけど自分で下ろせないことに今気付いた」
「おうおう、任せろ!」

 少し高い竿竹に掛けられた布団をひょいと軽く取り込んで部屋に放り込む。岩融にかかればものの数秒で終わってしまった作業にいち野は手を打って喜び、重ねられた太陽をたっぷり浴びている布団にはしゃいで飛び込んだ。干したばかりの羽毛布団を見れば誰しもやらずにはいられないだろう。柔らかな綿に埋まったいち野の姿を見て岩融はまた体がウズウズするのを感じた。
 やらずにはいられない。
 本能のままに両手を広げて走り出し、思い切り布団といち野に覆いかぶさる。だが寸前で足を遅らせて勢いを殺し、重さと衝撃がかからないようにしたのは岩融自身ですらほとんど無意識だった。

「うぎゃっ」
「がははは!小さい小さい!」
「おーもーたーいーー」

 いつもの重たげな袈裟と甲冑を脱いで着流し一枚とはいえ、大男に乗っかられてはなかなかの重量だ。しかし呼吸が苦しい程ではない。いち野がふと横を見ると、岩融の腕肘が板の間に張られ、いち野にあまり体重がかからないようにしているのに気付いた。
 岩融に限った話ではないが、刀剣たちは人の体を持ってあまり経っていないからか度々ぎこちない動きをすることがある。特に彼は体が大きく力が強いからか加減が分からず物を壊すことがあった。そのためか、黒い手袋に覆われた手は最近かなり恐る恐るといった風にいち野の頬に触れる。産毛を撫でるような柔さにくすぐったさにいち野は思わず口を開いた。

「別に普通に触ってもだいじょぶだよ」
「む……」

 その言葉に唇を尖らせて少しはにかんだ岩融は、相変わらず体重はかけないままいち野の頬を弄りはじめた。指の背で撫でたりもちをこねるようにつまんだりとだんだん遠慮がなくなってくる様子に、いち野は小さく吹き出して目を閉じ好きにさせておいた。
 岩融の体がうずうずと動く。
 生来何かを我慢するということに向かない性分である。好きにさせてもらえるとなると今まで堪えていたことが溢れてしまいそうだ。少しならばいいだろうか。今なら。いやいや。けれども。無防備に寝転がる柔らかい頬を舌舐めずりでもしそうな顔で見つめ、岩融はついにずいっと顔を近づけて、口を大きく開けた。

 がぶっ

「ぎゃーーーー!!!」
「むぐ、」
「か、か、噛んだ!いたいいたいいたい!めっちゃ痛いバカばか離して離して!食われるーーーー!!うわーーーーん!!!」
「はっ……す、すまん、つい美味そうで」
「つい?!!」

 まさか噛み付かれるとは思ってもいなかったいち野は飛び上がって布団の上から逃げ出した。触っていいとは言ったが食いついていいとは言っていない。白い頬には尖った歯型がくっきりと赤く並んでいて、岩融はしまったという顔で体ごと両手を引いた。しかし怖がらせてしまっただろうかというのは杞憂で、いち野は涙目になりながらも怯えてはいないようだ。眉を吊り上げて仁王立ちをする主人の姿に岩融は思わず襟を正して正座をする。

「なんで噛んだのかいいなさい!」
「すまん、前々から柔らかそうで噛みついてみたいと思っていてな……」
「いやそれにしたっていきなり噛まないでよ、千切られる想像しちゃったじゃん!そんなギザギザした歯で!」
「では、前もって言えばよいのかっ?」
「うん?う、うーん、うーーーん………」

 期待を込めた輝く金色の瞳に覗き込まれ、やや勢いを削がれたいち野は歯型のついた頬をさすりながら考え込んでしまった。猫なんかは歯の生え変わりのときにむず痒さで色んなものを噛んでしまうというが、人間でもそういうのがあるのだろうか。しかしいくら相手がいつもじゃれついている岩融といえど、あの鋭い歯でまた噛まれるのは勘弁だ。
 こうなったら折衷案である。

「………甘噛みなら……ゆるす!」
「そうか!」

 ぱっと顔を明るくした岩崎がいそいそと着物を直して膝を叩く。そのあまりにも無邪気な表情に何だか拍子抜けしてしまい、いち野は渋るのも忘れて岩融の広い膝に腰を下ろした。首に何重にも巻いたマフラーと埋まる髪を高い鼻が掻き分けて匂いを確かめるように動く。まるで動物である。それから歯が当たらないように唇で食むように頬を甘噛みしはじめた。
 いち野がされるがままに大人しく様子を見ていると、岩融の動きはやはり動物のマーキングに近い。さすがに先ほどのことから遠慮しているのか子猫がミルクを舐めるような強さではあるが、それがくすぐったくて堪らない。こんな大柄な男が努めてそうしているかと思うといち野は笑ってしまいそうになった。
 しかし、だ。

「あ、の、さー」
「んー?」
「いちおう言っとくけど、私が岩融のものなんじゃなくて、岩融が私のものなんだからね」

 したがって、マーキングが縄張りを示す行為であるなら、正解はこうである。いち野は小粒に揃った歯を立てて岩融の頬に思い切り噛み付いた。驚いて目を丸くするととても幼く見える顔だ。やがて理解が追い付いた岩融が一気に耳と首を赤くするのを見て、いち野はたいへん満足そうに笑った。


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