―――ぎし、ぎし。
ブーツの底で音が軋む。 道の雪は一度除雪されているのか、一応踏みしめて通れるだけの状態になっていた。凍結した地面に足が滑らないように気を付けながら進む。持っていくべきものを確認することに集中していたら、首元のマフラーは置いてきてしまった。 この街には誰も知らない小道がある。大通りから少し外れた路地の、赤いポストを越えたらすぐの場所。そこでは未だに家族を待たせる十数年前の行方不明者が、魂だけの姿になって残っていた。
「可愛いマフラーね」
寒い日に凛と鳴る鈴のような声が、ケイは好きだった。飼い犬を遊ばせている少女が、眼窩に嵌めこまれた大きな2つの宝石をもって少年を見つめている。軽く腕を持ち上げると、肩もすっぽり収まりそうな赤いチェックのマフラーが揺れた。 小道に入った途端、風を忘れたように静かになる。海からの潮風が冷やされた身体を動かし、ぎしぎしと、足の裏で雪が踏みしめられる音がやけに大きく響いた。
「知ってる?このへんに雪が降るの、何十年ぶりってくらい珍しいんですって。夏は特別暑いものね、ここ」 「隣町では、たまにちらちら降ってくるよ」 「ホント?そっか、ケイくんはちょっと遠くから来たのよね」
幽霊には足がない。 死してなお一つの場所に縛られれば、二度とその場所から離れることはない。強い信念を持ちながらここに留まる少女は、まるで年相応に憧憬を瞳に浮かべた。 纏った真っ白な薄いワンピースは、華奢な肩で揺れている。彼女が亡くなったのは、あの白いワンピースが太陽に透ける眩しい夏日だったのだろうか。知る術はある。逃げているのは、知りたくないと思っているのは少年の弱さだった。 「寒いでしょ」 「うん」 「つけないの、それ」 「僕のじゃないからね」
指さされたマフラーを見下ろす。ケイは自分が使うには少し可愛すぎる赤いチェックをめいいっぱい広げて、不思議そうな顔をする鈴美にばさりと包んだ。きゃあ、と細い声が聞こえる。少年の手が決して触れることができないはずの少女のシルエットが、確かにそこに現れてくる。 それが堪らなく切ない。 だからケイは唇の位置も確かめないまま、一瞬だけその影にキスをした。
「何するの、もう!」 「なんにも」
赤いチェックから顔を出した女の子は、不機嫌そうに頬を膨らませていた。短い言葉を返してから、そのまま鈴美の肩にマフラーをかけて、贈り物は無駄にはならなかったなとケイはほんの少しだけ微笑む。
「それ、あげる。寒そうだから」
死んだ人間は、寒いとも暑いとも感じないのだろう。このマフラーは最初から最後までケイの自己満足でしかない。けれど幽霊は、少女は、鈴美は少し驚いた顔をしてから、春の日差しのように柔らかい笑顔を見せたので―――少年はそのときどうしようもなく泣きたくなった。 雪の冷たい温度だけしか残らず、涙も出ないのに唇は濡れている。世界で誰も知らなくていい恋だった。
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