眠れない夜がある。
 魔女の使いである鳥や猫も寝てしまって、「世界で最後に起きている」なんて錯覚さえ起こす夜。話し相手は口を開かない月だなんててんでお粗末で、眠気を誘わないシーツにくるまることしかできなかった。

 全く何故夜はこんなにも長いのだろうか。明日は休みなのだから無理に眠らなくても構わないのだけれど。

「………」

 寝返りを何度打っても、瞼はいうことを聞かない。来ないのは分かっているけれど、数分微動だにせずに寝たふりをした。頭が勘違いして眠りに落ちる瞬間を待つ。
 それから暫くして、のそりとベッドから上体を起こした。暗闇の静寂に目を慣らし、床に足をつける。諦めるのだって慣れたものだった。


 ドアを音を殺して開け、猫のように廊下を歩く。
 私が遅く帰宅したときから既に眠そうだった男は、当然のように居間でぐっすりと寝入っていた。

「………サイタマー」

 空気だけで名前を呼ぶ。
 まあ、起きる気配はない。今日も大した怪人退治は無かったのかもしれないが、それでも体力勝負の世界だから、疲れもするだろう。
 ゆっくりと傍に座り込んで、布団にかけられた手に、指だけで鍵盤を弾くように触れる。起こす気のない柔いタッチ。

 固い皮膚。
 短く切られた爪。
 爪で産毛を撫でるように。
 愛撫には意図も意味もない、そこにはただうっすらとした淡い愛しさだけがある。過ぎた時間や、今生きている証をなぞるようで、妙に落ち着いた。
 少しだけ瞼が重くなった気がして、緩慢な動きで指を離した。

 瞬間、絡め取られる。

「なァんだよ」

 闇夜に白目が浮き上がる。
 あまりに驚いて声を失ってしまった。いつから起きていたのか、と考えると怒鳴りたくなったが、真夜中ということもあって声を荒げることもできない。
 サイタマは恋人の珍しい失態を喜ぶように口角を上げ、にやにやと目を三日月型に細めた。

「眠れなくてサミシーってか?可愛いとこあんだなアンリちゃん」
「……あんたね……」
「まあまあ〜〜っこっち来いよホラ」
「狭いでしょ」
「いいから、おいで」

 聞き分けのない子供を諭すような声で、絡められた指ごと腕を引かれる。抗う術もなくそのまま奴の布団に引きずりこまれ、気付けば逞しい両腕に捕獲されていた。
 流石に抜け出せそうもない。
 形だけの抵抗として少しだけ動けば、さらに抱き込まれて胸板に顔を埋める結果になった。

「オヤスミ」

 そんな声は止してほしい。
 平熱から崩れない顔で呼吸をしているくせに、声と手のひらだけが確かな熱を宿して、柔く髪の毛を梳いていく。
 額を胸に擦り付けたらつむじに暖かな感触を感じた。ああ、私はこの男の熱情が籠る声に、いまだ勝つ方法が分からないでいる。


ある夜の話

 


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