午後21時。
 空を阻む余計なものはここにない。元々ゴーストタウンと呼ぶべきここZ市の外れは、以前の隕石事件によってさらに喧騒が遠のいている。
 悪いことばかりではない。
 夜は静かに眠れるし、空気は澄んでいるし、邪魔する建物もないものだから空も広い。ぽっかりと浮かんだ満月を見上げながら紫煙をくゆらせて、ぽつりと呟いた。

「似てるわね」
「オイどこ見てんだ」

 余計な未練もなしに毛の無くなった自身の頭のことだとすぐ気づいたのか、サイタマはスーパーの袋を下げた肘で突ついてくる。煙草を挟んだ手で唇を隠し、喉を鳴らして笑った。

 サイタマはさざ波のような男だ。
 平静と打ち寄せては返す穏やかさに加えて、今にも津波が押し寄せてくるような激しさが同居する。単純なようで底が見えない。広いようで狭い。そんな性質を持っている。

 だからこの男と一緒に居ると、ひどく孤独を感じることがある。
 それは彼が人外的な力を手に入れるその前からであったように思う。つかみ所のない性格と言えばいいのか、どれだけ長い時間過ごしてもよく分からないことが多い。そう言えばサイタマは決まって「こっちの台詞だ」と返すのだが。

「あ、めんつゆ買うの忘れた」
「このクソ暑い中ラーメンなんて冗談じゃないわよ」
「つ、つけ麺にすっか」
「ビールないとやってらんないわ……」

 今日は退勤直後に買い物帰りのサイタマと会ったので、珍しく一緒に帰宅している。スーパーの機能する市街地からどんどん荒廃していく道なりはなかなか見ものである。
 ルーシアの5mgがかなり短くなってきた。メンソールらしい爽快感とシトラスの香りのそれは、私というよりも隣の男のご要望だ。番側にいることが多い人間の意見、理由は推して知るべし。

 サイタマは煙草を滅多に吸わない。為替が何たるかなど興味もないし、ニュースは事件ばかり見ている。一方私はヒーローが何たるかについてや、腕力的な強さにあまり関心がない。娯楽の趣味も違えば食べ物の嗜好も違う。
 他人から見れば、私達二人は何が楽しくて一緒に居るのか分からないだろう。なんせ本人同士ですら、明確に理解しているわけではないのだ。

「しかし、建物もねーから空高いな〜。確かにビール飲みてえ」
「満月ねェ。最近忙しくてパソコンか腕時計しか見てない気がするわ……あ〜タバコ無くなった」
「ハイもーダメ〜〜」
「やだ〜それないと落ち着かなァい……ン、」

 これで我慢しろ、とばかりに煙草と唇を奪われる。素面と全く変わらない温度の目で、不思議なくらい自信ありげに。
 数秒だけ視線が絡んだが、そのまま甘い雰囲気が流れるわけでもなく、しかし思惑通りもう煙草が欲しいとは思わなくなってしまった。

 冴える夜空の望月。
 廃墟と瓦礫の街にロマンティックなものなど何もない。或いはこれを耽美という者が居るのかもしれないが、少なくとも私の趣味ではない。
 ただ月は綺麗だなと遠望していると、並んだサイタマが口を開けて同じように見上げていた。一瞬だけ瞳がこちらを見たので、何か言おうとしたのだということだけすぐに分かる。
 すんなりと出てこない言葉を待っていたら、自身の頭を撫でて月から目を逸らした。

「柄じゃねえからいーや」
「夏目漱石は?」
「あ、それは俺が死ぬ間際で」

 本当に柄ではない。
 甘い言葉一つ吐けやしないのに、実のところ女を喜ばせる術を知っているのだから憎たらしい。半歩前を歩く男の背中を見ながら、本当に不思議になった。

 一つ知るごとに、分からなくなる。

 ただ、この男が自分を愛しているということに関しては疑う余地はない。私と彼は他人だ。暫くの間離れてしまえば、また別々に生きることもできるだろう。けれど私達はこうして側にいる。
 きっと、分からないから探すのだ。
 信じるということは全てを知ることではなく、理解できない部分と寄り添うことだと思うから。

 私を愛する孤独な男
 私の愛する孤独そのもの。

「……いい歳してちょいとポエミィすぎるわ」
「るせー!忘れろッ」

 この冷淡ぶった愛妻家の赤くなった耳を引っ張って、唇を寄せて囁いた。真意と問いてくるような顔を無視して、今度は私が道の先をいく。全てを口に出すのも野暮というものだろう。
 何たって、こんなことをつらつら考えるのに最適な夜だ。



柔らかい月


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