7月20日、エステ「シンデレラ」
 
 椅子に大人しく腰掛ける甥を見て、辻彩は細くため息をつくしかなかった。自分の知っている姉夫婦は特別裕福ではなくとも、破綻する兆しもない、ごく一般的な家庭だったはずなのにと。

「フ〜〜〜。どこに行ったのかしらね、兄さんとお義姉さんは……」

 もうすぐ中学を卒業しようという息子を残し、二人は消えてしまったのだ。両手を握りしめて、所在なさそうに弄くる甥は、名前を辻ケイといった。
 身長は170cmあるかないか、中肉中背で髪は染めていない焦げ茶。父親に似ている目元は彩にも少し似ている。クセもアクもない顔に、黒縁の眼鏡というありふれた特徴が乗っている。野暮ったくもないが、洗練されてもいない。つまり言えば「ごくふつうの男の子」だった。
 
「ケイくん、心当たりはないのね?」
「うん………、無いです」

 頷いたあと、思考を巡らせてみたようだが、やはり原因に心当たりはない様子だった。
 出された料理も好き嫌いなく食べ、慣れた動きで手伝いもする。少しおどおどしているが、ありがとうと言ったら控えめにはにかむ顔なんて、感じがいい子だ。
 この子に原因があるとは思えない。理由も分からなければ、二人がどこに居るのかも掴めないままだった。

「杜王町には行方不明者が多いとは聞いていたけど……」
「そう、なんですか」
「聞いたことないかしら?ここ、とても美しくて住みやすい町だけれど、年間の行方不明者が他より目立つそうよ。犯罪率は低いのにね〜」
「知らなかった」

 少年のどこか朦朧とした、けれど聞こえにくいわけでもない声が、呆然とつぶやく。
 警察に行方不明届けを出して早一週間、まだこれといった動きもない。彩の母はまだ存命だが、実家となるとこの杜王町から遠く離れた場所になり、引っ越しと転校を余儀なくされることになる。
 大人の事情に振り回されるのは、いつだって子供だ。彩は短いため息をついて、威圧感を感じさせないように組んでいた足を下ろした。

「ケイくん、アナタがよければだけど……ここで暮らさないかしら?」
「えっ」
「中学生のあなたをあの家に一人暮らしさせるわけにいかないし、かといって実家っていうと大がかりな話になるのよ。ここからすごく遠いわ……どちらでも構わないけれど」

 若いころから夢に燃えていた彩とケイは、過ごした期間も確かに短いが、親愛というものが全くないわけでもない。暫くの間だけといって預かったが、その期間一緒に過ごして情も湧いた。おそらく遠方ということで彼とその祖母との関わりも薄いはずである。
 それに、愛の奇跡を起こす「魔法使い」が男の子ひとり助けられないなんて、お笑い草だ。

「家事は手伝ってちょうだいね。学校も転校しなくていいし、アルバイトはしたければしてもいいけれど、必要なだけのお金やお小遣いはあげるつもり。フ〜〜〜……あと、何か聞きたいことはある?」
 
 とはいえ、決めるのはこの子自身だ。
 少年は戸惑ったように視線を室内にさまよわせる。急すぎる話の運びに、気持ちがついていっていないのかもしれない。自分の暮らしぶりを選択することなんて、この歳では今まで無かったのだろう。
 もう高くなりはじめた日差しに、沈黙を塗りつぶすような蝉の声。平日の昼前は、さすがに大通りに人も少ない。

 ケイはまだ躊躇いを見せながら、それでも「YES」の意思表示として、首を縦にふった。

「そう、よろしくね」
「は、い」

 伸ばした手を慌てて握り返す手は、荒れていないように見えるのに少しざらついた薄い皮膚の感触があった。指先は震えている。
 この子本人に懸念はない。
 ただ一つ不可解なのは――父親が職場に姿を表さなくなった日から三日間、少年がどこにいたのか分からないという点――無論、学校にも出席していない。本人に問いただしても、そこだけは驚いたことに「覚えていない」らしいのだ。

 三日間の真実を解放できたところに、鍵がある。
 そんな予感があったからこそ、彩はケイを引き取ることにしたのだ。
 
「よろしくお願いします」

 礼儀正しいお辞儀に笑みを返すと、ケイは彩と同じだけ唇の端を上げた。それが鏡のようにそっくりな気がして、彩は無意識にどきりとする。顔は目元くらいしか似ていないはずなのに、なにを馬鹿な。
 停滞した部屋の中に、エアコンのフラップが二人に風を送る。ふわりと彩の前髪が揺れるのをみて、ケイはそっと握った手をはなした。
 


▲▼



 7月9日、地図にない場所。

「案内してあげましょうか?」

 ポストの影になるように、少年がうずくまって顔を伏せている。その焦げ茶色の髪が沈みだした太陽に照らされ、やや赤い色に見せていた。その後頭部に、かがむようにして少女は声をかけた。
 真上にある日の下、肌や足が透けることもない。血色のいい頬は健康的で、一目みただけでは彼女が"幽霊"だということに気づかないであろう。
 ここは、振り向いてはいけない小道。
 声が聞こえるかどうかもわからない。人が入ってきたのは、初めてだったから。

「……いい、です」

 顔を伏せたまま、彼は小さく首を横に振った。通じたと喜ぶ反面、まさか家出なのだろうかと首を傾げる。少女は不思議そうに側へ歩みより、うっと仰け反りそうになった。
 一歩後退したサンダルの足音に、少年は顔を亡霊じみた緩慢な動きで上げた。ひどく、覚えのある臭い。

「出られないってことは、入りにくいってことだから」
「………!!」

 鈴美は口元を覆い、悲鳴を上げそうになった。その様相の凄惨さにだけではない。「あの男」の被害者であり、そして生存したものがここに迷い込むという、恐ろしく数奇な偶然にだ。
 左目から耳にかけて、焼け爛れたような真新しい傷。炭化した皮膚の下で、血と肉と脂肪が見え隠れしている。まるで大きな爆発に、ついさっき巻き込まれたかのようで。思わず肩を両手でつかんで目線を合わせる。

「あ、会ったのね、あなたッ!」
「どこか、安全な場所」
「あの卑劣な"殺人鬼"に………!!」
「だれに、も、見つからない、場所」

 高さを揃えても、瞳が虚ろに宙をみるだけ。力がまるで入っていないように唇は開き、舌も真っ赤に火傷していた。興奮して気づかなかった少年の様子に、彼女はハッとして揺らすのをやめる。
 そうだ、何より優先するべきはこの子だった。慌てて道路に膝をつき、痛々しい顔をのぞき込む。髪と同じ焦げ茶色の目には、怖いくらい光が見あたらない。

「い、痛むのよね?そりゃあそうよね、こんな大きな火傷!ごめんなさい……あたし、どうかしてた………」
「……………誰かが」
「え?」
「殺された、ぼくの家で……」

 言葉の途中、瞼が閉じられる。色の剥げたポストに寄りかかるように、だらりと身体から力を抜いた少年。膝を抱えていた腕も、事切れるようにコンクリートに落ちた。まだ柔らかさを残す右頬に、細く汗が伝う。
 意識を手放したのだ。そう鈴美が理解するまで数秒。とにかくどうにかして家にまで運ばなければ手当もできない。火傷の手当なんて分からないけれど、ここに救急車なんて来ることができないのだから。


 少年が意識を取り戻したのは、三日後のことだった。 



▼To be continue......


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