もはや極楽浄土は拝めない。
 あなたは未来永劫私の妻となるのだから。


 夜を徹して作業をした日は、一日の境目が曖昧になる。きっと時計を見れば驚くほど時間が経っていることは分かっていたから見たくなかった。絡まってあちこちに跳ねる髪を撫でながら、隣にある布団のもうひとふくらみを横目に頬杖をつく。
 彼女は私を待って起きている、という殊勝なことはしない。眠くなったら机の灯りがついていようが好きに寝床に入るし、起きたいときに起きる。我が儘に気の向くままに生きている、自分の言うことなどちっとも聞きはしない、まったく怠惰でだらしのない女。
 それでいい。
 数千年前の少女の面影を寝顔に残す、その無邪気な寝顔がいい。何者にも縛られない風のような彼女が、血生臭い鬼の己に縛られているという事実で胸がすくような想いだった。

「あなたが寝乱れずに眠っているところを見たことがない」

 溜息で咎めながら、大きくはだけた着物から覗く白い腹に触れる。穏やかな呼吸に合わせて緩く上下するそこを、爪を立てないように撫でてから襟を正した。仰向けになって肉が流れてもまるい影をつくる膨らみに、誘われなかったといえば嘘になるが。
 指先をそのまま滑らせて、首筋から喉を伝い、軽く開いた唇の形を確かめるようになぞる。美しい女性の器。然れども形は問わぬ。彼女の魂がそこに収まり、己が触れられるということが何よりも重要なのだ。

「アンリ」
「………んむ」
「いい加減に起きなさい、何時だと思ってるんです」
「やあだ……」
「やだじゃありません」
「ヤなの」

 自分もつい先刻起きたことを棚にあげて叱るような口調で。唇に当てられているのが指であることに気づき、食むようにゆっくりと動く。まだ完全には起きていないらしく、口を開けども瞼はまだ開いていない。放っておいたらまた夢の中に戻ってしまいそうだ。
 顎をすくって唇を合わせる。途端に堅い背に回る柳のように柔らかな両手。纏うひらひらとした着物と同じ誘うような動きで、目元の蝶が震える。埃のかぶった本。部屋を囲む棚。薄暗い室内で、水を浮かべた瞳が光。まるで月だ。

「ほおずき」

 耳にじんと残る響き。
 目の前に実った果実に噛り付いても誰にも咎められはしまい。無遠慮に牙を立て、蜜を啜り、泣きわめいて懇願するまで責め立てても。なぜなら彼女は身も心も誰の目にも自分のものであり、私もまたそうであったから。
 それでも不可能なことはある。
 向こう500年の長い、しかし酷く短い時間だけ結ばれる縁。それよりは遥かに短い、しかし恐ろしく長い20年の別れ。流れは深く冷たく私達を分ち引き離す。そのことを考えれば考えるほど、亡者を引き裂き痛みを与え続ける手が、ひどく情けなく彼女に触れる。今の間だけだから、いつかまた別れが訪れてしまうからと、言い訳に言い訳を重ねて。
 私は結局甘いのだ、この人に。

「起きましたか」
「起きないもん」
「ちゃんと目を開けなさい」
「いーやーだ」
「アンリ」
「まだ、まだ、もうちょっと」

 腕の回った首裏がちりちりと熱を持っている。楽しげに顔を背け、もっと追いかけろと誘う。これだけ注いでもまだ足りないというのだから、強欲にもほどがあるというものだ。勢いに任せて唇を再度重ねれば、牙がぶつかってアンリが痛みに眉を寄せたあと、満足そうに笑った。あと500年。なんて短い。もうあと500年でまた終わってしまう。
 一時も逃さず注いでくれ。
 あなたが目を開けて、名前を呼んで、微笑んで、そうしなければ私の朝は来ないのだから。









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