4月2日 ぶどうが丘学校。 一年生の教室では、まだどこかぎこちない空気が流れていた。僕、広瀬康一は中学のころの仲の良い友人たちとは違うクラスになってしまい、既にいくつもできている女の子のグループを横目にぼうっとしていた。
(あーあ、何だって女の子はグループを作るんだろう?両隣どっちも女の子だなんて、ツイてないなぁ)
配られたプリントに記入して、受験のときからお世話になっている「よく落ちるくん」を筆箱から取り出す。確かによく消える消しゴムをとはいったが、受験を控えた息子にこれを買ってくるなんて我が母ながら配慮ってものがない。 考えごとをしていたからか、手を滑らせて消しゴムが後ろに転がっていった。拾おうと座ったままかがんだ先で、目があう。
「「あ」」
一瞬固まってから、二人同時に顔をあげた。 見たことない顔だな、と内心首を傾げる。このあたりは校区が決まっているので、教室を見渡せばわりと知っている顔が多い。けれど、後ろの彼には覚えがない。 染めていない焦げ茶色の短髪に、スクエアフレームの黒縁メガネ。背は僕より高い……全体的には目立たない感じだ(バカにしたわけじゃあなく、この学校には目立つ人や不良が多いので、ちょっぴりホッとしたのだ)。
「ありがとう!えっと……?」 「あ、辻(つじ)です。辻ケイ」 「ケイくんかぁ〜、僕は広瀬康一です。ケイくんは、どこの中学?」 「西区のだから、知らないかも……T学院中学なんだ。最近杜王町に引っ越してきた」
だから友達が全然いなくて、とはにかむケイくんに、僕は早くも親近感を抱いていた。何というか、強烈な印象があるわけじゃないんだけど、控えめな笑顔とか雰囲気が、気取っていなくてとっても"良い感じ"だと思ったのだ。 「僕もだよ!だから寂しかったんだ。周りは女子ばっかりで、みんな固まっちゃうし」 「ああ、早いよね、女の子のグループ……」
彼はスゴク聞き上手だった。本人はそんなによく話す方じゃないみたいだったけれど、初対面だというのに、犬を飼ってるだとか、新しいマウンテンバイクが最高だとかを相槌を打って聞いてくれた。 それから、僕たちは自然と友達になったのだ。
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ところでなぜサマーシーズンも訪れる今の時期になって彼との出会いの話をしているかというと、僕のカノジョである山岸由花子さんの一言からだ。
夕暮れが赤を落とす校舎で、二人同時に裏門の側を通ったときに、掃除当番のケイくんがゴミ箱を持ってひょっこりと現れた。 裏門で待ち合わせをするのは、クラスメイトにかわれるのが嫌だというのがあるのだけれど、ケイくんなら心配がない。やあ、と言って手を上げたら、手を振り返す代わりにちょっぴり微笑んで一、二言交わし、やっぱり何も言わずに由花子さんに小さく会釈をして去っていった。
「今の、康一くんのお友達?」 「ケイくんって言うんだ。いいやつだよ」 「彼、誰かに似てるわね。誰かは分からないけど。それよりねえ、康一くん。このあと一緒にカフェへ行かない?」
すぐに由花子さんは興味を失ってしまったようだったけど、僕はそれが確かにと気にかかった。よく考えると、彼がどこに住んでいてどんな趣味なのか、あまり知らない。話したがらないというのもあるけれど。 僕は小さな焦りと好奇心を感じて、その次の日はケイくんと一緒に学校を出てみることにした。
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「康一くん、家こっちだっけ?」 「ううん、違うんだけど……まあちょっと用事があって」
適当な言い訳に気付いたのか気付いていないのか、ケイくんは頷いて特に追求してくることもなかった。話すことは教室での話題と変わり映えはせず、彼は相変わらず聞き上手で、気付けばまた僕ばかり話している。 これでは意味がないと一旦区切りがついたとき、僕はケイくんにできるだけさりげなくその話題を持ち出した。
「そういえばケイくんは兄弟いないの?お兄さんとか、弟とか」 「うーん?いや、一人っ子だよ」 「そっかあ」
一番簡単だった"他の学年に兄弟がいる"という線はさっそく消えてしまった。もう「君に似てる人がいる気がするんだけど誰?」と聞いてしまいたくなったが、困るのはケイくんだろう。 失礼ながら目立つような顔立ちでもないし、有名人という線もあまり考えられない気がする。由花子さんと共通の知り合いとなればかなり絞られるはずなのに。
「康一くん!偶然ね」 「ワッ!」
噂をすれば、というやつか。それとも今日は一緒に帰るのを断ってしまったから気にしていたのかもしれない。由花子さんはこちらを窺うような顔、隣のケイくんと僕を見ていた。 彼は少しだけ目を丸くしたあと、気を利かせたように笑ってじゃあ僕は用事があるからと朗らかに笑って見せた。
「じゃ、また明日」 「あ、あの、ケイくん……!」 「康一くん、昨日とは違う新しいカフェを見つけたんだけど、いっしょに行かない?」 「ああ、いいね、でも」
彼女は少し彼に嫉妬していたのかもしれない。僕は背がひょろりと高いあのシルエットが消えた曲がり角を気にすると、僅かだが眉を吊り上げた。 まあ仕方がないか。 由花子さんに笑って頷いたら、彼女は嬉しそうに僕の腕を取って歩き出した。それは結局彼が行った先と同じ、あの「エステ・シンデレラ」のある通りだ。
「エステ・シンデレラ……」 「え?」 「あっ! 分かった、辻彩さんだよ!由花子さん、ケイくんってもしかして辻彩さんの親せきなんじゃない!?」 「え?ああ……そうかしら」
不意に思い出した美人のエステティシャンの少し釣りあがった目じりが、彼の眼鏡の奥の意外に気の強そうな目許と重なった。そういえば、苗字だって々である。 気付いた事実に興奮する僕とは逆に、由花子さんは淡泊な反応を返した。もしかしなくとも、多分彼女はあまりケイくんに興味がないらしい。
「……あ、でも私、ちょっと康一くんに似てるかしらとは思ったわ」 「え?僕ゥ〜〜?」
はっきり言って、顔は全然似ていない。髪の色が黒じゃないとか、地味なところくらいではないかと首をひねっていると、「笑い方がね」と付け足されてしまった。 なるほど、自分の笑った顔は中々分からないかもしれない。実のところ目じりの下がり方や眉の角度、口元の緩みや口調に至るまで―――それこそ鏡のように完璧に再現されてしまっているなどとは露とも知らず、僕はそのときただ納得して笑っていたのだった。
▼To be continue......
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