モニターを眺める二対の目が、真剣な色を映して光っていた。
 その部屋には簡素なロッカーが数台あり、床は二人の足が映り込むほどに磨き上げられている。液晶を見つめるのは、事実上乃木グループの傘下となっている「山下商事」の代表闘技者十鬼蛇王馬と、「CH冷凍」の社長兼代表闘技者である理人だ。
 画面の中では今まさに第一仕合が始まろうとしている。会場の熱気と盛り上がりまで鮮明に伝わってくる立派な薄型テレビも、巨漢二人が前に立つとオモチャのように小さかった。

「お前どっちが勝つと思う?あの今井コスモって奴ァまだ若いが、あちこちで天才だって言われてるぜ」
「さーな、スタイルが違いすぎる。どうとでも転ぶだろ」

 第一仕合は弱冠19歳の今井コスモと屈強なアメリカ人のアダム・ダッドリーの仕合だ。柔のコスモか剛のアダムか。二人があれこれと考えを飛ばし合っていると、控え室に「あっ」と高い声が転がり込んだ。王馬と理人が振り返ると、半開きの扉からひょっこりとポニーテールが覗いている。
 不安げな顔から一転、知り合いを見つけてぱっと顔を明るくした山下アンリが、王馬に手招かれて部屋に入ってくる。

「うわーー良かったーー!!会場入る時お父さんたちとはぐれちゃって……あっちスッゴイんだよ、みんな興奮してるから全然前に進めなかった」
「んじゃここに暫く居ればいいじゃん!アンリちゃんなら大歓迎だって」
「でもここってもしかして選手控え室?入っていいのかなぁ」

 相変わらず下心丸出しの理人にはもうすっかり慣れてしまったらしい。アンリは苦笑いしながら辺りを心配そうに見回したが、結局行く当てもないのでモニターの前に居座ることにした。
 仕合はマウントを取ったはずのコスモが、アダムの寝転んだままのパンチに大きく飛び退いたところだった。次いでとてつもなく思い重りを下げているようなアダムの拳がコスモの頬にめり込み、闘技者としては小柄な少年の体がコンクリートの床に叩きつけられてバウンドする。

「ひえ、いたい……」
「お前は痛くねえだろ」
「痛くないけど見てると痛い!」

 カメラは複数あるのか、コスモが痛々しく腫れた顔がアップで抜かれる。少年は金色の前髪を両手でかき上げて体制を低くし、血を滴らせながら、先ほどまでとは違う獲物を狩る蛇の目を光らせた。仕合はまだ分からないな、と理人が何となく隣の少女を横目で見る。
 アンリはポワンとしていた。
 ほんの少し生意気そうに上がった目尻がとろんと伏せられ、頬を桃色にしている。その表情は恋する乙女か夢見る少女か、少なからずショックを受けた理人が声を上げた。

「えー!アンリちゃんもしかしてあーいうナヨい感じの男が好みかよ?!結構面食いだな」
「私から見たら今井コスモくんは全くナヨくないけどね!?でも可愛い顔だよね、うんうん、王子様みたい。このむさ苦しい拳願仕合のオアシスって感じがする……」
「チクショウ、負けちまえ今井!」

 悪態をつく理人に笑いながらも、アンリのキラキラした目はずっとコスモに夢中だ。王馬はそれを視線をやらないまま視界に入れて、奥歯に力を入れた自分にふと気付いた。あの視線がモニターにじっと注がれていることが、どうやら気に食わないと感じているらしかった。
 理由は考えず、ただ本能に従う。
 モニターの中で二人が最後の一手に出た。王馬はコスモがアダムの突きを間違いなく受けたところで、アンリの頼りない手首を引く。間髪入れず色の薄い瞳が振り返ったので、王馬は少しだけ唇の端を上げる。

「へ?」

 決まった!と理人が叫んだ。
 仕合の盛り上がりがクライマックスに上り詰める瞬間、少女の視線はその男に向けられていた。耳に届く歓声。頭の奥まで痺れそうなほど鋭く射抜く目。王馬の黒髪から覗く琥珀のような虹彩の中に、轟々と燃えるオレンジ色の炎の輝きがちらついていた。
 暗闇で浮かび上がる怪物の目玉のような恐ろしさと、脈々と湧き上がる気高い美しさに、少女のか細い呼吸は殺される。その隠そうともせず浮かぶ真っ直ぐな執着の色が、少女の体を強く強く縛った。

「―――……」
「おいコラ十鬼蛇てめー!何してんだ!!」

 パチンと視界が弾けた。
 王馬から視線を外された瞬間、今まで止まっていた血液が急激に体を巡った。ドクドクと耳の裏で心臓が脈打っている。触れられたままの部分が信じられないほどの熱を持っていて、アンリは数十秒は何も考えることができなかった。
 画面の中では勝利したコスモが満身創痍ながらも力強いガッツポーズを観客に見せている。何が何だか分からない。理人と王馬が何やら話しているのもほとんど聞こえなかった。

「ったくこのワカメ野郎ときたらかなりのむっつりスケベだぜェアンリちゃん。どうせあの今井コスモとかいうやつに嫉妬して―――いでッ!!何すんだテメー!十鬼蛇ァ!!」
「うるせえ野郎だな……俺は寝る」
「寝るゥ?この仕合観ねーのかよ?ていうかお前の仕合もうすぐだろ」

 トーナメントの死闘は滞りなく進んでいる。第二仕合目は河野春男と阿古屋清秋。あり得ないほどの巨体を持つ河野春男の方が、さっそく猛烈な攻撃を仕掛けている。それを一瞬横目で見たあと、王馬はまだボーッとしているアンリの手を引いたまま部屋を出て行こうとする。

「……どっちも本気じゃねえ。観るだけ時間の無駄だぜ」


▲▼


 会場の近くの通路とあって、まだ興奮冷めやらぬ声と振動が響いている。歩いているうちにやっと頭がハッキリしてきたアンリは、自分の手を引いて無言で歩いていく王馬に声をかけるべきか悩んでしまった。
 静かな廊下に二人分の足音がやけに大きく聞こえる。今冷静になってみると何故「寝る」と言った王馬に自分が連れてこられているのか分からない。流石に居た堪れなくなったアンリが恐る恐る指先に力を入れると、僅かに歩みが遅くなった。

「………」
「……お、王馬さん?」

 先ほどの余韻か、触れられている腕はまだ鼓動がするほどじんじんと熱を持っていた。視線が交わった時間は、実際ひどく短い時間だったのだろう。けれどあのマグマのような輝きが精彩を欠くことなく頭に浮かんだし、前を行く男の様子はいつもと違っている。
 少女は一体彼がどんな顔をしているのかと妙に緊張したが、クルッと振り返った王馬の表情は至って普段と変わりないもので、アンリの方がポカンとしてしまった。

「さっさとヤマシタカズオと合流しろ。俺の仕合をしっかり観とけよ」
「あっ!そっか、王馬さんの仕合だった……!え、円陣でも組んだほうがいい!?勝つぞォ、オーッてなやつを」
「ほお……」

 二人しかいない円陣というのも間抜けだが、記念すべき初戦はすぐそこまで迫っているのだ。験担ぎの一つでもすべきだろうとアンリは拳を突き上げる。王馬が感心したように頷き、しかし円陣を見たことはないのか、倣って拳を彼女の顔へ勢いよく突き出したので、アンリはぎょっとする。
 拳は鼻先3cmで止まった。
 眼前すれすれで寸止めされた瞬間、ぶわっと風圧で前髪が棚引いた。額に落ちた髪の先、拳の向こうで最強の男が笑みを浮かべている。

「俺が勝つ」

 不敵にそう宣言してから、十鬼蛇王馬は背を向けて自室へと去って行った。アンリはその場で暫し呆然としたあと、覚束ない足取りで黒服を探し歩いていく。格闘技のことなんてまるで分からないが、何だか、あの男が負ける気は全くもってしなかった。
 まだ心臓が跳ねている。
 今までまだ夢心地でいた気分が、急激に地に足がついたようだった。もう闘いは始まっていて、数多の物を背負い王馬がこれから死闘を繰り広げるのだ。ならば託す自分は観客席でしっかりそれを見届ける義務がある。心が固まったような晴々とした気持ちで、アンリは会場へ歩いていった。

 ―――その後黒服に伝えられた司会進行の鞘香によって会場全体に「迷子放送」をかけられ、アンリは死ぬほど恥ずかしい思いをするのだが、それはまだ誰も知る由もない。


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