まだ午前だというのに、既にジリジリと熱の降り注ぐナポリの丘の上。光を遮るものは何もなく、専用の開けたバルコニーでひたすら洗濯物を掛けてゆく。
 ああ…またそばかずが増えちゃうわ、と少し気にしつつも、薄らと汗ばみながらてきぱきと仕事をそつなくこなしていった。
 ついに最後の一枚を干し終え、午前中のやる事はこれで全て片付いた。
 心地のいい疲労感にホッと息をついていると、ふいに遠くから声が掛けられる。
 その声だけで分かる。何よりも、誰よりも安心し、そして胸の高鳴るテノール。

「ナマエ!終わった!?」

 振り向くと、そこには期待した通りの人物が、想像した通りのキラキラと輝く笑顔を、塀からひょっこり覗かせていた。

「ナランチャ!うん、今ちょうど終わったところなの…!」
「へへっ、知ってる!実は見てたんだ〜」
「…!!やだっ……声かけてくれればよかったのに…!」
「もうちょっとで終わりそうだったから、集中してるのに悪いなーって思ってよォ〜?なあ、もう終わったならちょっと下来られねえ??」
「うん、すぐ行く!ちょっと待ってて…!」

 洗濯籠の代わりに踊る胸を抱え、絡みつくメイド服のスカートの裾を抑えながら、ナマエは大急いで階段を駆け下りていく。
 キッチンの勝手口から外に出る前に、雇用主に一言声を掛けるのも忘れない。
 優秀な仕事の捌き具合に少し早めのシエスタを貰い、堂々と外で待つナランチャの元へと走って向かった。

「ナランチャ、お待たせ!」

 使用人用の出入り口から外に出ると、塀に背中を預けて待つナランチャがそこに居た。
 ナマエが来たと分かると、ニシシッと笑い、袋を差し出してくる。

「これ、俺の上司からもらったんだッ!林檎嫌いなんだってよ、珍しいよなァ〜?俺一人じゃこんなに食べられねーから、ナマエにやろうと思って!」
「あ、あ、ありがと…!」

 沢山の新鮮な林檎ももちろん嬉しいが、何よりも嬉しいのは自分を真っ先に思い浮かべ、来てくれた事だ。
 ナマエの小さな胸が、甘く熱く、じんわりと震える。

「あの……ナランチャ、よかったら中で切ってくるから、一緒に…」
「あぁー……ごめん、ちょっと用事入っててさ、あんまゆっくりできねーんだ…」
「……そっかぁ…」

 現実的な回答に、先程までの高揚感などもう消え去ってしまったかのように、みるみるうちに落ち込みしょんぼりする。
 ナランチャとしても、ナマエのこんな顔は本望ではない。
 なんとか頭の中で、苦手ながらも時間のやりくりを算段する。

「んーと、じゃあ、中でゆっくりはできないけど、ここで林檎齧りながらちょっと話すくらいならできるぜ」
「…うん!ありがとう!」

 じゃあ林檎を切ってくると踵を返しかけたナマエを制し、手渡した袋から林檎を一つ掴み取ると、自前のナイフを取り出してそのまま真ん中から二つに器用に割った。
 ほら、と片方をナマエに手渡して、自分はもう片方にガブリと齧り付く。
 うまいからと促されたが、ナランチャの目の前で大きく口を開けるのに恥ずかしさを感じ、少し控えめに真似してみると、予想以上に甘く爽やかな林檎の風味が口いっぱいにふんわりと広がった。
 シャクシャクを軽い音を立てながら咀嚼する毎に、それは弾けて広がっていく。

「すっごくおいしい…!」
 自然を笑みが溢れる。
「なー?こんなうまいもん食えないなんて、可哀想だよなァ!」
「ふふっ、でもおかげでこんなに貰えたし!」

 二人並んで壁に背をつき、眺めの良い丘の上からナポリの町並みを遠く見下ろしながら、静かに佇む。
 時折視線を交わし、微笑みながら食べる林檎のなんと美味しい事だろう。
 先程まで居たベランダと違い、塀の内側に植えられた樹木が木陰を作り、木々と塀の間から流れる風がこの上なく気持ちいい。
 こんな時間がずっと続けばいいのにな、という静かな情熱が、ナマエの奥深くから湧き上がってくる。
 離れがたい。ただただそれに尽きる。
 しかし時間は待ってはくれない。

「…じゃ、俺そろそろ戻るよ」
「うん…」

 寂しそうに一言返したきり俯き、すっかり黙り込んでしまう。

「そんな顔するなって!今度の休みにさ、一緒に飯食おうぜ。家まで迎えに行くから」
「……!!…うん、うん!約束ね…!?」

 パッと顔を上げ、大きく見開かれた目が零れそうな勢いで頷く。

「…いつ休み?」
「明日!明日は、休みなの…!」
「そっか!じゃあちょうどよかったな。明日の正午頃に、迎えに行くから」
「うん、待ってる!」

 じゃあな、という言葉と共に、ナマエの林檎のような赤い髪の毛をクシャクシャと混ぜて、ナランチャはそのまま背を向け街へ続く道を下りていく。
 名残惜しくその背中をずっと見送っていたら、一度だけ振り向き手を振ってきたから、ナマエは大きく両手を広げて全身で振り返した。
 撫でられた頭にはまだ暖かい感触が残っている気がする。特別に背が高いというわけではないのに、男の子らしい、自分よりずっと大きな手。
 明日は貰った林檎で何か作りながら待っていよう。
 楽しい未来へ思いを馳せながら、ナマエは屋敷の中へと軽い足取りで戻るのだった。




 エリさんにひょんなことから賜ったナランチャとメーラ!
 エリさん本当にありがとうございました〜!



Back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -