キッチンからカラカラと涼やかな音が響いている。体感温度は何も変わらないのに、それだけで何故かひんやりと空気が爽やかになった気がするから不思議なものだ。
 プロシュートが知っているトリノ人は気位が高く、ワインとトリュフなんて突っついているフランス人がそのままのイメージだったのだが、ベッドサイドに膝をついてひんやり冷えたドリンクを差し出す少女を見ると、それは偏ったイメージだったかと思わせた。

「レモンとはちみつと、あとジンジャーをちょこっと炭酸水で溶くの。体の調子が悪い時はこれがいいんだよ」
「アー……グラッツェ。だけどそりゃあ風邪の時なんじゃねえのか?」
「栄養はあるし、いいかなって」
「ありがたく貰うけどよ」

 アジトには2人以外出払っており、人の気配はない。熱心に介抱の真似ごとをするベアトリーチェは、リゾットが残した「プロシュートを頼む」との言葉を真に受けているに違いないのだ。相変わらずジョークがわかりにくい奴め。
 ベッドにクッションを設置して上半身をゆるく寝かせているプロシュートの胸から腹には、痛々しく包帯が巻かれていた。
 スタンドの相性が悪かったのか、珍しく負傷しながらも大きな仕事をこなしきった彼は、現在療養1週間を言い渡されている。ちなみに縫合を行って動けるようになるまでの期間であって、全治ではない。

 窓から夏の日差しを受け、2人のブロンドがきらきらと輝いている。底抜けに明るいイタリアの太陽をプロシュートも愛していたが、如何せんこの暑さはどうにかならないのだろうか。元々涼しい地域の出身である彼にとっては、いつまで経っても暑さなど喜ばしくないものだった。

「なんだってこの国は、エアコンが発達しねえんだ?地元じゃあもうちょっと設備整ってたがな」
「それは私も思ったけど……ママは、『エアコンなんて体に悪い』って言ってた」
「電子レンジ使うと体に悪いとか、胡椒は摂るなとか、エレベーターはダメだとか、毎日風呂に入らない方がいいとか……誰が言い出したんだかな。ったくよォ」

 グラスの氷がカラン、と音を立てた。喉を通るきりっとした刺激が火照った体に染みわたり、思わず美味いと呟く。ベアトリーチェは誇らしげに笑った。

 サヤのように洗練されたラインはまだ成形していないものの、ほっそりと美しくなる将来が約束された少女の指が清潔なガーゼをなぞる。肌の微細な感覚はほぼ麻痺してしまっていて、プロシュートにはたどたどしいリズム感だけが伝わった。
 子供の真意が読めない、あるいは意味のない行動に彼はきりりとした眉を寄せるが、しかし何も言わず好きにさせる。その動作に他意はなく、単純ないたわりが込められているとすぐに分かったからだ。こうした仕草を見ていると、少女は自分に懐いているというよりは元々人見知りなどしない性格なのかもしれない。

「まだ熱くてズキズキする?結構ばっさりで傷が深いってリーダーが言ってたから、痛み止めの薬も預かってるんだけど……」
「ありゃいいナイフだった。切れ味がいい刃物は傷が真っ直ぐで直りが早いもんだ、出血多量で倒れちゃざまあねェがなッ!下半身不随で寝込んでるジジイの気分だぜ」

 自虐とも取れる声色。常に高潔であろうとする彼の性格からすれば珍しいことであったが、プロシュートは"己の失態で後輩の手を煩わせる"という今の状態をもって自らを戒めようとしていた。聡いベアトリーチェはまるで冗談を聞いたかのように肩をすくめる。

「じゃあ、私介護人?お願いだから死んだりしないでねnonno(おじいちゃん)」

 少女は自然な動作で包帯の上からヘソにキスをした。
 小鳥が啄ばむような軽い衝撃だけを感じたプロシュートは一瞬驚きに目を見張ったあと、腹の感覚が麻痺していることが惜しいとさえ考える。消毒液と薬でいい匂いなどしないだろうに、誰しも母親と繋がっていたそこへ贈る口づけは「長生きしてね」というまぎれもない親愛の証だ。
 幼いながら真摯ともいえるその接吻を受けて、思わず柔らかな唇をなぞってしまった。

「オメー、可愛いな」

 その言葉にミルク色の頬がぽっと赤くなるのを見てプロシュートははたと、今恐ろしいことを言わなかったかと自分の発言を反芻する。
 12歳の少女、そこには邪気のない愛らしさが存在するものだ。子供を可愛いというのは別におかしくもなんともないはずだ、たとえ彼が今まで子供を見てほほえましく思うことが常ではないとしても。

 被害妄想に違いないのだが、プロシュートは窓の外から見える通行人が冷たい侮蔑の目で自分を見ている気がしてさっと背中が冷える。

「お前のスタンド、泣いてンの見たら発動するんだったな?」
「うん、メローネがこの前『マイ・ケミカル・ロマンス』って名前付けてくれたんだ」
「マイ・ケミカル・ロマンス(合成された大恋愛)……ぴったりだと思うぜ」

 無論、ベアトリーチェは泣いていないが。
 汗をかいているグラスが手から滑り落ちそうなのを言い訳に少女からさっと離れ、彼は頭を冷やすため残りのドリンクを勢いよく飲みした。


蜃気楼

 そして1週間ベアトリーチェの甲斐甲斐しい介抱を受けたプロシュートは、動けるようになったその日歓楽街で熟した肉体を抱いた。まぎれもなく心のバランスを取るためである。




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